前編から続きます。

 

東成田駅切符売場。

 

2台の券売機

 

これは2台とも京成仕様で、芝山鉄道、つまり芝山千代田までの切符を買うときは、「連絡切符」のキーを押さなければ買えません。また、うっかりSuicaやPASMOといった交通ICカードで入場してしまうと、芝山千代田駅では出場に難儀することになります。理由は、芝山千代田駅の改札機が、ICカードに対応していないから。

 

改札口にあった、恐らく駅員さんの手書きと思われる、成田空港までの道順案内。

 

ここから歩く人がいるのか

 

流石にここから歩くのは厳しいような。ターミナル間連絡バスに乗った方がいいのでは。

 

こちらは東成田駅の来歴を記した立て看板。

 

完成当時の空港新線(現在の京成成田-東成田間)のスペックが書かれている

 

そして今、ここに来る電車は、日中は40分に1本。

 

その旨の注意書きがある

 

この駅で40分も待たされるくらいなら、あの連絡通路を歩いて、空港第2ビル駅から列車に乗った方がいいような。

 

こちらが改札口。人っ子一人いません。

 

人がいない

 

改札口からホームに通じる通路もこのとおり。

 

これは現役の駅なのか

 

エスカレーターも片方は鉄板で塞がれています。

 

登りしか使っていない

 

階段でホームに降りると…。

 

やはり人がいない

 

駅名標。

 

「東成田」となっている

 

この駅はもともと「成田空港駅」として開業したのですが、ターミナルビルには距離があったことから、京成の利用は伸びないままでした。それが昭和末期からの好景気などに起因する海外旅行の普及に伴い、海外旅行客が激増、京成もその恩恵を受けるようになります。そうなると、駅とターミナルビルとの距離が問題になり、平成3(1991)年3月、かつての成田新幹線の遺構を生かす形で、JRの新線とともにターミナルビル直下への乗り入れを実現、現在の第1ターミナル直下の駅を「成田空港駅」とし、こちらの成田空港駅は「東成田駅」と改称されました。東成田駅となった後は、空港関係者が利用するくらいとなり、海外旅行客の喧騒は失われ、利用者も極めて少なく、現在のような静かな駅となっています。

利用者が少ない結果なのか、駅にはあまり手が加えられていないようで、このようなベンチも健在です。

 

このようなベンチは見なくなった

 

昭和のころは、このようなベンチを結構見かけたような気がするのですが、現在はあまり見なくなりました。

 

以下は、この駅がかつて「成田空港駅」として、世界からの旅行者を迎えた駅であった証拠。3点の写真をノーキャプションでご覧ください。

 

 

 

 

これはどういうことかというと、以前は2面4線だったものを、利用客激減に伴って半分(3・4番線)を閉鎖したから。閉鎖した側のホームには、かつての「成田空港」の駅名標や、当時の広告などが現在も残っているのです。勿論、管理人が撮影する際には、1・2番ホームの側から望遠で撮影しており、危険な行為はしておりません。2枚目は東武の特急「スペーシア」の登場当時の広告ですし、3枚目には天井から吊り下げられた駅名標に「なりたくうこう」の文字が見えます。しかもこれ、かつての京成仕様だし。

 

11年前に管理人がここを訪れたときには、かつての栄耀栄華を容易に偲ぶことができ、現状との落差に驚いたものですが、そのような状況は現在も変わっていないようです。今年は2020年、この駅が東成田と改まってから30年目の年となりますが、今後も変わらず推移するのでしょう。3・4番線がもし復活することがあるとすれば、芝山鉄道の九十九里方面への延伸が成ったときでしょうが、それも現時点では望み薄です。この駅もある意味では、成田空港の歴史に翻弄されたものとみるのは、短絡的に過ぎるでしょうか。

 

管理人はこの駅から、芝山千代田駅へ向かいました。

 

◇関連記事

№1079.ゴースト~繁栄の幻

(11年前の東成田駅訪問の記事です)

№1415.参詣の道は世界への道へ その4 成田空港計画と京成電鉄

№1430.参詣の道は世界への道へ その6 初代AE形の悲劇

 

※ 当記事は02/19付の投稿とします。