さすらい館-090920_135025.jpg

タイトルは映画から頂戴しました。


冒頭の写真は、京成電鉄東成田駅コンコース。ここは、現在の成田空港駅が開業する平成3(1991)年3月まで「成田空港駅」として空港アクセスの任を果たしていた駅ですが、現在は成田空港駅や空港第2ビル駅に玄関口の役割を譲り、僅かな利用者しかなくひっそりしています。この駅の周囲は成田空港の敷地なので、利用者は成田空港の関係者以外には、たまに来る管理人のような愛好家しかいません。


それにしても、この写真を撮影したのが午後2時前。空港は出入国の利用客でごった返している時間帯です。そのような空港の喧騒と引き比べ、ここの静寂と来たら…。決してこの駅が寂れたのが「驕っていたから」ではないのですが、それでも「平家物語」の冒頭の一節の如く、栄枯盛衰、盛者必衰の理が実感として迫ってきます。


それでは、かつての「日本の玄関口」の重責を担った面影を御覧頂きましょう。以下あえてノーキャプションで。


さすらい館-090920_135202.jpg

さすらい館-090920_135138.jpg
(いずれもクリックで拡大)


かつて売店やカフェがあった区画は全て壁でふさがれていて、しかも人気もまばらなものですから、なおさら当時の栄華がしのばれてしまいます。下の写真の壁画も、きっと日本に来た外国人が初めて見る日本の光景だと思って、気合いを入れて作成したのでしょうに、綺麗に保たれてこそいますが、顧みる人もいないのは寂しい限りです。


この駅は昭和53(1978)年に開業し、日本で初めての空港連絡特急「スカイライナー」が運転を開始しました。しかし、この駅の開業までにも紆余曲折があり、当初は昭和48(1973)年までに開業していたものが、空港の反対闘争などで遅れに遅れ(その間には初代AE形が1編成丸ごと焼き討ちに遭う被害があった)、この年の開業となったものです。しかし、空港反対派(その多くは地元住民ではなく、空港反対運動に便乗した活動家であるといわれている)のテロ行為を警戒し、厳重なセキュリティーチェックがなされていました。

それよりもこの駅の根本的な問題点は、そもそもターミナルビルの直下に位置していなかったことです。ターミナルビルにも歩こうと思えば歩けますが(現在は連絡通路がある)、連絡バスによる移動が想定されていました。これでは、いくら渋滞の心配がないとはいえ、大荷物を抱えた海外旅行者には過大な乗り換えの負担を強いるものであり、それ故に京成の利用率は伸びませんでした。

そこで、既に出来上がっていた成田新幹線の駅部分を転用し、現在の成田空港駅が出来上がったものです。それと同時にこの駅は「東成田」と改称されましたが、スカイライナーは当然の如く来なくなり、しかも一般旅客も激減したため、2面あるホームの1面を閉鎖し、現在は1面のみを使用しています。とはいえ閉鎖した1面も線路まで撤去したわけではなく、かつては退役した先代AE車を留置していたこともあったようです。


そこで、「連絡通路」の写真を御覧に入れましょう↓


さすらい館-090920_135038.jpg
すんごい長いんです!(クリックで拡大)


この通路、ほとんど人通りがなく、たぶん管理人が一人で歩いていたら、怖くなって途中で走り出してしまうかもしれません…。


東成田駅のホームは、ほとんど手が加わっておらず、昭和の末期にタイムスリップしたかのようです。


さすらい館-090920_135500.jpg
木目調化粧板のベンチが哀愁を誘う(クリックで拡大)


このホームは現在営業列車が発着している側のホームですが、そうでない側のホームも見通すことができます。そちら側の壁の駅名表示には、何と「東成田」ではなく、「成田空港」が残っていました!


さすらい館-090920_135550.jpg
読めますか?(クリックで拡大)


こんな写真しか撮れなくてすみませんm(__)m でも確かに、「なりたくうこう」って書いてあるんですよ。こちらのホームは使用しないので、これでいいのでしょう。でもこれも、かつての栄耀栄華をしのばせる、わびしい絵ではありますね…。


管理人を含めた一行は、14時10分発の芝山千代田行きに乗車し、「日本一路線総延長の短い鉄道」の踏破を志します。

この芝山鉄道は、以前にも訪れたことがありますが、前回は意識していなかった、反対派住民の所有地の真下を通る部分が迂回されているところなど、初めて知りました。同じ路線でも、何度乗ってもそのたびに新しい発見があるものですね。

ちなみに、管理人が芝山鉄道に乗車するのは今回が3度目。初回は各車両に制服警官が同乗するのを見て、「日本一警備の厳しい鉄道」として旧「さすらい館」で御紹介したことがあります。その後、一昨年の今頃に乗車した際には1編成あたり2人になっていました。今回も4両編成1編成に2人です。かつてほどはなくなっていますが、それでも制服警官が警備のために同乗するという路線は、バスまで含めてもここだけではないのでしょうか? やはり現在もなお「日本一警備の厳しい鉄道」であると断言してよいように思います。


電車は5分もかからずに芝山千代田駅へ。


さすらい館-090920_141113.jpg
ちょうど2年ぶりの再訪です(クリックで拡大)


芝山鉄道自身も、「日本一短い私鉄」をセールスポイントにしております。


さすらい館-090920_144533.jpg
観光地の定番(クリックで拡大)


このような「かぶりもの」は観光地の定番ですが、この駅のものがどうして古代人を連想させるようなものになっているのかといえば、この辺りには遺跡が多いからなんだそうです。芝山町そのものも、こういった「古代遺跡」で町おこしをしているようです。


管理人の関心事は、この駅にあったラーメン屋さんがどうなっているかだったのですが…。


さすらい館-090920_141052.jpg
あれ…(クリックで拡大)


見たところ、どうも焼き鳥主体の居酒屋になっているようで、ラーメン屋さんは廃業したのか、またはその居酒屋に転業したのか分かりませんが、ラーメン屋そのものはなくなっておりました。残念!


306.路線総延長最短の鉄道事業者-このタイトルはいつ破られる?-

このときは残っていたのですが…(以前の記事から転載)


前述のとおり、管理人が芝山千代田駅を訪問するのは今回が3度目。初回は旧「さすらい館」で記事にしていますが、そのときはおいしいラーメンにありつけました。そして前回が一昨年の9月で土曜日ですが、このときは既にラーメン屋さんは土曜日が不定休となっていて、食べることはできませんでした。そして今回の居酒屋転向…。やはり、乗客数が少ないために商売にならないのでしょうか?


一行は、15時57分発の電車で東成田に戻りますが、今回は成田空港直下の2駅の賑わいぶりと比べてしまい、そのひっそり閑とした雰囲気との落差が印象に残りました。東成田駅のだだっ広い構内は、かつての栄耀栄華を今に伝えているかのようです。現在ほどおいそれと海外へ旅立てなかった、海外旅行が特別なものだった時代の雰囲気もまた、色濃く残っているように思いました。


◇関連記事

№306.路線総延長最短の鉄道事業者-このタイトルはいつ破られる?-


※ 東成田駅・芝山鉄道を訪問される方への御注意

1 芝山鉄道は、PASMO・SuicaといったICカードは使えません。芝山千代田駅での現金精算となります。

2 東成田駅を訪問される方は、運転免許証やパスポートなどの身分を証明できる書類を持参した方がよいです。これらがないと成田空港のエリアには立ち入ることができませんし(荷物チェックまではされなかったが呈示を求められることはある)、警官が警備しているため職務質問を受ける可能性もあるからです。

3 警備中の警官や駅員さん・空港職員さんの指示には従って下さい。管理人は何も注意を受けませんでした。趣味で写真を撮影するのは構わないようですが。