10月19日、管理人は東武北千住・浅草の両駅を訪れてから、メトロ銀座線で神田へ寄り道、そこから淡路町駅まで歩いてメトロ丸ノ内線に乗り、茗荷谷へ向かいました。

 

茗荷谷で、世代交代の渦中にある02系を一発。

 

リニューアル車ではない

 

かつて02系が放逐した500形などの旧型車は、海を渡ってアルゼンチン・ブエノスアイレスの地下鉄を運営する「メトロビアス社」に譲渡されましたが、02系は今のところそういう話はないようです。標準軌で車幅も広く、しかも第三軌条集電のため地方私鉄では使いにくいのか、他社への譲渡の話もないようです。

 

そして今、02系を丸ノ内線から放逐しようとしているのが2000系。

 

この風貌にもなじんできた

 

500形などの昭和の丸ノ内線を知る者にとっては、やはり「赤い電車」は魅力的に映ります。

 

…以上は今回取り上げる本題の「まくら」でして、本題はこの先。

メトロ茗荷谷駅から歩いて行ける場所には、かつてこんなものがありました。

 

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都営バス大塚車庫(☆)

 

はい。都営バスの車庫があったのです。

この大塚車庫(大塚自動車営業所。末期は巣鴨の傘下となり、正式名称は巣鴨自動車営業所大塚支所になっていた)は4年前の平成27(2015)年3月いっぱいで廃止されました。最後まで担当していたのは、都市新バスの雄「都02」と、かつて「茶60」でお茶の水へ出入りしていた「上60」。いずれも親営業所の巣鴨に移管されました。

 

当ブログではその後の大塚車庫もレポしたことがあるのですが(下記関連記事参照)、廃止後4年半を経た現在どうなっているのか、ふと気になって見に行ってみた次第。

 

バス停の場所は変わらないが

 

バス停は名称こそ「窪町小学校前」に改められていますが、場所そのものは変わっていません。

 

バスの後ろの風景を見ると…。

 

 

 

 

(あえてノーキャプションとしました。なお、1枚目はスマホのレンズを金網の隙間に合わせて撮影したもので、立ち入りはしていません)

 

はい。完全に更地化されて、敷地内にあった建物は全て撤去されてしまいました。かつてはここに、何十台というバスがたむろしていたとは、にわかには信じられない光景が広がっています。

↑の3枚目の写真、4年前にこの写真を撮影した場所とほぼ同じなのですが、その写真を比較の対象としてご覧いただきましょう。

 

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恐らく都電時代からあった年季の入った建物(☆)

 

大塚車庫はかつての都電の車庫をバス用の車庫に転用したものですが、現役時代はこのように、都電の車庫の名残りが見られたものでした。更地化によって、このような建物も全て消えてしまいました。

この場所には、3年後をめどに、中央大学の法学部が移転してくるということですが、そうなった暁には、ここに都営バスの車庫があったことは、完全に忘れられてしまうでしょう。旧千葉駅の跡地と違い、「ここに大塚車庫ありき」などといった石碑が建つとは思えませんし。

せめて私たち愛好家が、「ここに大塚車庫ありき」を記憶していきたいものです。

 

なお、今回のタイトルの元ネタはロングセラー腕時計の商品名ですが、大塚車庫の営業所コード「G」もかけています。

 

※ キャプションに☆印を付けた写真は、以前の記事からの転載です。

 

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