【平成30年10月13日 本文追加】
10月11日の千葉巡りの記事です。昨日(12日)写真だけ貼り逃げしてしまいました。
稲毛から千葉行きの総武快速に乗り、車窓左側に西千葉公園…もといかつての千葉気動車区跡地を眺めつつ、千葉駅3番ホームに到着。
まずは現在の千葉駅から。
出口は上に上がる
…あれ?
以前は下に降りたはずでしたが。
千葉駅は、8年前から駅ビルの建て替えに着手、昨年に仮開業して改札口がホームの上部に移され、今年6月28日に本格開業しています。
こちらが中央改札口
この改札口は3階に位置します。つまり橋上駅舎と同じ構造になったわけでして。
写真の上に構造物が見えますが、これは何と「エキナカ」の4階部分。「エキナカ」には物販のみならず飲食店も多数あり、その中にはなかなか魅力的な店舗もありました。これなら某牛丼チェーンに魂を売らなくとも…と思ってしまったのは内緒です(^_^;)
お店の様子の写真はありません。理由は、人が多すぎたから。ごめんなさいm(__)m
橋上駅化したおかげで、モノレールへの乗換も楽になりました。
モノレール乗り換え連絡通路
以前は地上から、駅前にあるエスカレーターを上がっていかなければならなかったので、地上に降りる必要がなくなった分だけ楽になりました。
こちらは駅の正面。
長いエスカレーターが威容を誇る
どことなく京阪の京橋駅に似ているような気がします。
…ということを言ってしまう私は、「関西私鉄欠乏症」絶賛発症中ですが何か(´・ω・`)
…それはさておき。
今回千葉駅で下車したのは、かつてあった旧千葉駅跡地を見たかったから。
現在の千葉駅は昭和38(1963)年に現在の位置に移転したもので、それまでは総武本線東千葉駅の近くにありました。なぜ移転したかというと、房総方面への列車について、千葉駅でのスイッチバックを解消したかったから。千葉駅移転前は、館山・勝浦・安房鴨川方面への列車は全て千葉駅でスイッチバックしていたので、その運転上の煩雑さを解消する目的もありました。国鉄時代、千葉地区が気動車化のモデル地区に選定されたのは、機動性に劣る機関車牽引列車を減らしたい狙いもあったのではないかと思われます。
で、こちらが旧千葉駅跡地。現千葉駅からは700mくらいの距離があります。
千葉市民会館
旧千葉駅跡地には、このとおり、千葉市民会館という多目的ホールが建っており、コンサートなどに使用されています。
管理人は、ここが千葉駅だったという石碑を探したのですが、発見できず。そこで、千葉市民会館の正面玄関に詰めていた守衛さんに、石碑の場所をお聞きしました。
すると、守衛さんは嫌な顔一つせず、わざわざ建物の外まで出て案内してくださいました。恐らく、石碑を見に来る管理人のような好事家が多いのかもしれませんが、もしかしたらこの守衛さんも失礼ながらかなりご年配の方だったので、旧千葉駅には思い入れがある方なのかもしれません。
お仕事中にもかかわらず、快く対応してくださいまして、ありがとうございましたm(__)m
というわけで、やっとこさ見つけた石碑がこれ↓
意外に小さい
駐車場の「P」マークに隠れるような形になっているので、確かに現千葉駅から歩いてくると見落としてしまいがちになります。
接写
「ここに千葉駅ありき」と記されているのがお分かりになりますでしょうか?
しかしここも、千葉西公園同様、当時を偲ぶことができるよすがは、この石碑以外にはありません。それでも、このようなものが残され、ここが千葉駅だったという証拠が残っているのは、喜ぶべきことなのでしょう。
こちらは、当時の千葉駅の正面から伸びる道。右に行くと国道126号線へ合流して県庁近くへ、左に行くと千葉の歓楽街・栄町へ行きます。
当時のメインストリート
左側の道は、千葉中央公園に通じていますが、新大久保のような「コリアンタウン」を形成しており、韓国系の飲食店や食料品店が多く立地しています。
こちらは千葉市民会館の向かいにあった葬祭施設。
こちらは駅とは関係ないようだ
こちらももしかしたら、旧千葉駅の敷地だったのかもしれないと思って写真に収めましたが、関係はなかったようです。旧千葉駅の時代は駅前の敷地が狭隘で、バスターミナルが作れなかったそうです。さりとて駅前地区の再開発もままならず。これは千葉空襲で現在の栄町地区が焼け野原になった後、不法占拠者が多数住み着いて権利関係が複雑になったため。千葉駅が現在の場所に移転したのは、スイッチバックの解消という運転上の理由だけではなく、再開発の困難さという事情もあったようです。
このあと管理人は、ここから徒歩で千葉中央公園へ向かいます。千葉中央公園も、実は鉄道にまつわる場所でした。