今回から07/15のシリーズ記事をアップいたします。よろしくお付き合いくださいませ。

 

さて、管理人が向かったのは鳩ケ谷。

理由はこれを見たかったから↓

 

 

鳩ヶ谷と幡ヶ谷を間違える人ってそんなに多いのかと思ったり。あるいは埼玉高速鉄道(SR)の話題作りかも? とも。

 

ここに来る前に寄った場所(田町)の関係で、JR京浜東北線で田町から赤羽まで。王子で乗り換えようと思っていたのですが、王子乗り換えだと東京メトロの運賃も加算されるのでw

というわけで、赤羽駅から歩いて赤羽岩淵駅へ行き、そこからSRの浦和美園行きへ。

 

乗ってしまえばあとは速く、十数分で鳩ヶ谷へ。

早速正面改札へ。

 

あれ…。

 

ここにはなかった。

もしかしてあれは期間限定で、あのポスト(ツイート)から1か月以上経過しているから、撤去されてしまったのか?

 

そう思ったのですが、鳩ケ谷駅は↑が「西口改札」で、西口改札の左側に東口改札があります。

そちらを見てみると…。

 

右下がそうか?

 

おお。

これこれ。

 

確かに鈴木雅之のあれだw

 

これ、鈴木雅之のヒット曲「違う、そうじゃない」のジャケット写真のパロディになっているのですよ。他にも手が込んでいて、よく作り込んだものだと感心させられます。

さて、それではなぜこんな掲示物を出すに至ったかというと、この駅と間違えられるからなんだそうで。

 

幡ヶ谷と?

 

確かに耳で聞くと「は『と』がや」と「は『た』がや」で、紛らわしいと言えば紛らわしいですが、字で書かれれば一目瞭然なのでは?

実はそのように考えるのは、管理人が紙の時刻表などアナログな媒体に親しんでいたからであって、スマホでの検索などデジタルな媒体を用いて行先検索などをすると、「と」と「た」との打ち間違い(入力ミス)は致命的になってしまうわけでして。

 

実はこのポスター、今年の3月から掲載されているようで、以下リンク先では掲載に至った経緯が取り上げられています。

 

 

しかもこのポスターの掲載は「鳩ヶ谷駅」のwikiにまで↓

 

 

wikiによると、「鳩ヶ谷駅」の「その他」の項目に以下の文章があります。

 

以下引用開始

埼玉高速鉄道線の開業当初より幡ヶ谷駅と間違える乗客が一定数いる。2024年3月下旬より駅構内に歌手鈴木雅之のヒット曲『違う、そうじゃない』のジャケット写真を模したパロディポスターが掲示され、「ご注意ください」「ここは鳩ヶ谷(はとがや)駅(埼玉県川口市)です 幡ヶ谷(はたがや)駅(東京都渋谷区)ではありません!」と誤下車を注意喚起している

以上引用終了(赤字はフリガナ)

 

そういえばまだ「佐貫駅」だったころのJR竜ケ崎市駅には、「当駅は佐貫町駅ではありません」という注意書きがあったなあ。ちなみに佐貫町駅とは、「マザー牧場」の最寄り駅で千葉県にある。千葉に行きたいのに茨城に連れていかれてはたまったものではありませんが、こちらの「幡ヶ谷」と「鳩ヶ谷」の取り違えも大概だと思います。

スマホの乗り換え案内・行先検索は非常に便利なものですが、駅名は正確に入力しましょう。駅名が正確でないと、検索結果も適切なものが出ませんから。

 

最後におまけ。

その1。鳩ヶ谷駅にあった「たまさぶろう」の自販機。

 

歌舞伎俳優ではなくSRのキャラクターです

 

これはかわいいw

 

その2。駅エレベーターにあった注意書き。

 

ベビーカーで無理に乗り込む奴とかいるのか

 

「お年寄りや体の不自由な人など優先」のポスターは数多ありますが、ベビーカーに対する注意書きは初めて見たぞ。

 

なお、タイトルはシェークスピアの「ハムレット」の名セリフをそれっぽく改変しました。

ご無沙汰しておりました。

 

先日、久しぶりに模型運転に出かけて参りました。

管理人単独ではなく、親愛なる同業の方のお誘いに応じたわけですが、同好の士というものはありがたいものです。何せ、管理人は自前の線路を持たない「第二種鉄道事業者」ですので😅

 

持ち込んだのは、EF58(大窓暖地仕様と上越仕様)、EF62と旧型客車(座席車・寝台車)、12系客車。

 

昭和の客車急行の並び

 

EF58牽引列車は、12系客車に10系寝台車とグリーン車(スロ62)をつないだ、急行「きたぐに」のイメージ。EF62牽引列車は急行「妙高」のイメージ。こちらは座席車をオハ35系で固めた鬼畜仕様w

 

こちらは同好の士がお持ちになった、津軽鉄道仕様の旧型客車。

 

よくできている

 

その他、キット組み立て車両や改造車両も持ち込んでおいででしたが、技術力の高さに圧倒されました。

 

しかし、ほとんど写真は撮ってないw

走らせることばかりに夢中になっていたもので。

 

運転会終了後は、喫茶店に場所を移してミーティングタイム。

 

このお店名物のクリームあんみつ

 

ここはクリームあんみつなどスイーツ系も美味ですし、浅草にしては雰囲気も落ち着いているのでお勧めです。

 

最後に。

ここでお名前を出すことはしませんが、お誘いいただいた方にはこの場において厚くお礼を申し上げます。

 

【おことわり】

当記事は07/20付の投稿とします。

その12(№6204.)から続く

1日遅れのアップですみません。前回の続きです。
21世紀を迎えてもなお、熊本電鉄では依然として「青ガエル」が気を吐いていました。

【最後の『青ガエル』の活躍場所となった熊本電鉄】
平成9(1997)年、熊本電鉄では元東京都交通局(都営三田線)の6000形を導入、このとき「青ガエル」1両(モハ5044)が廃車されています。
その後も「青ガエル」は、モハ5100に改造された4両が気を吐いていましたが、21世紀最初の年となった平成13(2001)年、6000形がさらに導入され、これと入れ代わりにモハ5103・5105が廃車となりました。流石にこのころになると、車体や機器の老朽化は勿論のこと、冷房がないことが旅客サービス上の大きな弱点として見られていたことは否めません。
それでもモハ5101・5102の2両は稼働を続け、平成16(2004)年のATS使用開始時にはこの2両に関係機器類を取り付け、同時にモハ5101A・5102Aと改番がなされています。このとき、この2両は濃淡の青に赤と白の帯が入る多色塗りを止め、東急時代と同じライトグリーンの一色塗装に戻されています。
そしてこの2両は上熊本-北熊本間の折返し運用に専従することとなり、併結がなくなったことから切妻側の貫通路の幌が撤去され、単行運転専用になりました。

このころになると、熊本電鉄の5000系は、「最後の『青ガエル』の生き残り」として、鉄道趣味界から大いに注目を集めることになります。
しかし、注目しているのは愛好家だけで、一般利用者や地元民にしてみれば、冷房もない古い電車。地方でもバスには冷房が必須となった中、冷房のないままで稼働を続ける「青ガエル」は、当時の利用者にも時代遅れに映っていたかもしれません。管理人は今から17年前の平成19(2007)年に熊本へ行き、「最後の『青ガエル』の生き残り」への乗車・撮影を果たしましたが、車内には何と「冷房車が導入できないことの『お詫び』の文書」が貼り出されていたのを覚えています。撮影しておけばよかった。
 

このように気を吐いていた「最後の『青ガエル』の生き残り」にも、ようやく引導を渡されるときがやってきました。
平成27(2015)年、元東京メトロの01形(旧銀座線用01系)2連1編成が就役したのと引き換えにモハ5102Aが退役、廃車・解体の憂き目に遭いました。
そして最後まで残ったモハ5101Aは、翌平成28(2016)年、01形2連1編成の追加投入により、同年2月14日限りで遂に定期運用を離脱。

平成28年2月14日。
未だ戦争の爪痕が残る東横線に鮮烈なデビューを果たしてから実に62年。
昭和56(1981)年のモハ5043・5044の入線からでも35年。
この日は、地方私鉄に移籍して活躍を続けた「青ガエル」が全て退役し、同時に現役で稼働する「青ガエル」が全て退役したという、歴史に残る日となりました。
なお、モハ5101Aは、廃車解体とはならず、北熊本の車両基地内で保存されています。保存された「青ガエル」であれば、デハ5001とデハ5201を別にすれば、長野県(長電・松本)にありますが、こちらは動かさない静態保存。熊本のデハ5101Aは、動けるように状態が維持されており、「全国唯一の『動ける』青ガエル」となっています。流石に本線走行はしないようですが、時折イベントなどで構内を走ることはあるようです。

【総括 地方私鉄に移籍した『青ガエル』の功罪とは】
これまで見てきたとおり、地方私鉄に移籍した「青ガエル」は、概ね21世紀の到来と共に退役しました。
そこで最後に、地方私鉄に移籍した「青ガエル」がもたらした功罪について触れておきたいと思います。
 

「功」の最大のものは、何といっても車両が軽量であることによる電力消費量の劇的な削減、及び軌道に与えるダメージの劇的な軽減が可能になったことでしょう。実際に「青ガエル」を譲り受けた岳南鉄道(社名は当時)の幹部は、東急の幹部に対し、「青ガエル」に置き換えたおかげで、電気代が月あたり百万円単位で安くなったと謝意を述べていたことがあったそうです。勿論、軌道に与えるダメージの軽減も見逃せません。地方私鉄は路線規格が大手に比べ劣っているところが多いものですが、そのような路線であっても、さしたる改良無しに導入でき(特に橋梁の改良が不要であることは大きかった)、しかも軽量なため軌道にもダメージを与えない「青ガエル」は、現場からも大いに歓迎されたであろうことは、想像に難くありません。
また、「青ガエル」への置き換えの「功」の中には、全面置換えによる車種の単純化及びそれによるメンテナンスコストの減少もあります。これに該当するのは岳南鉄道(現岳南電車)・上田交通(1500V昇圧後。現上田電鉄)・松本電鉄(現アルピコ交通)の3社ですが、車種が単純であれば予備部品の点数を削減することができますから、メンテナンスコストもそれだけ下げることができます。勿論、これら3社では、メンテナンスに費用と手間がかかる年代物の吊掛車を全て退役させたことも、メンテナンスコスト削減に大いに寄与しています。
余談ですが、地方私鉄に移籍した当時の「青ガエル」は、各社の個性あふれる旧型車両を駆逐したことから、当時の鉄道趣味界、特に地方私鉄の愛好家からは蛇蝎の如く嫌われていたようです。かつてSLを放逐したDD51などのディーゼル機関車が嫌われたのと同じように。それでも、会社は勿論、利用者からも「青ガエル」は歓迎されています。
他方、功罪の「罪」は、やはり冷房を搭載することができなかったこと。これは車体の軽量化を極限まで進めたことの裏返しとして、車体の強度が冷房装置の搭載に耐えられなかったためです。屋根上に載せることができなかったのは当然として、床置き式や床下式も恐らくですが不可能だったでしょう。5000系の床下機器は軽量化に配慮した結果として、重量バランスを考慮して取り付けられていますが、冷房装置を搭載してしまえばその重量バランスが乱れるからです。
後年、同じような「張殻構造」を採用した名鉄の5200系が豊橋鉄道に移籍した際、通常の冷房装置は搭載できないが路面電車用のそれならば搭載が可能ということで、路面電車用の冷房装置を搭載して冷房化されたことがありますが、「青ガエル」はそれすらも無理だったのでしょうか。ともあれ、「冷房を搭載できなかった」ことが、「青ガエル」一族の寿命を大きく縮めてしまったことは否めません。
地方私鉄に移籍した「青ガエル」一族の退役が本格化したのが1990年代に入ってからですが、このころになるとバスでも冷房搭載が当たり前になり、冷房のない「走るサウナ」では商売にならなくなってしまいました。非冷房の「青ガエル」を非冷房の元営団地下鉄3000系で置き換えた長電ですらも、その3000系を冷房改造しています。

次回は最終回。
次回は「『青ガエル』一族がもたらしたもの」について論じていきたいと思います。

-その14に続く-

皆様、いつも当ブログに御贔屓を賜り、誠にありがとうございます。

 

表記の件ですが、ある過去記事(15年以上前のものです)にあまりにも不謹慎かつ当ブログの雰囲気にそぐわないコメント投稿がありました。

勿論そのコメントは即時消去いたしましたが、当該記事のテーマそのものがこのようなコメントを誘発しているのではないかと考え、当該記事も併せて消去することといたしました。

 

以上お知らせまで。

 

令和6年7月14日 管理人謹白

 

【追記】

当記事は相当期間経過後に消去いたします。また、当記事はコメントを受け付けない仕様にしておりますので、悪しからずご了承ください。

こちらも取り急ぎ。帰宅後加筆します。
なお、いただいたコメントは帰宅・記事加筆後に返信いたしますので、しばらくお待ちください。
 
・8506−8606は方向幕は正面が「東急テクノシステム」、側面は両方とも黒無地
・テクノシステム中庭にいたEV車は目立たないところに押し込められていた
・車両工場側には今なお8522と8631が留置中
・何故か8637Fの残党(8637-8797-8980-8537)が4連を組んで留置中。Bunkamuraラッピングは剥がされ青帯のみに
・テクノシステム、車両工場双方とも「立入禁止」の掲示物が貼られる
 
【以下加筆】
長津田の次は恩田です。
こどもの国線の電車から見た光景は、信じがたいものでした。
8637以下の車両が、何と4連を組んでいたからです。これは何だったんでしょうか。まさかの他社譲渡? しかし既に8500系を譲受した長野電鉄(長電)などは、8500系の置き換えを計画しているそうですし、秩父鉄道にしても冷房電源の規格が異なる8637Fの残骸を今更欲しがるとも思えないのですが…。
 
まず恩田駅ホームから工場を望みます。
 

8631の連結面が見える

 

改札を出て高台へ。その途中でテクノシステム中庭もチェック。

今日は…。

 

さしたる収穫なし

 

前回確認した、面妖なEV車はどこか…と思ったら、↑の写真の右側の見切れているところにいました。

 

いた

 

相変わらずナンバーも取得していないようですが、一体どうするつもりなのでしょうか。

 

それでは高台へ。テクノシステム側に留置中の⑧506-8606をチェック。

 

前面は変わらず

 

車内には黄色い柵のようなものが積み込まれているのが見えました。何かの訓練にでも使ったんでしょうか。

 

8631を横から。奥には8522もいます。

 

いつまで留置される?

 

相変わらずこの2両、前回から全く動きがありません。どこかに保存されるといいですが。

 

さて、冒頭で申し上げた、8637Fの残骸が4連を組んでいるというもの。

こちらがそうです↓

 

8637の後ろに3両が続く

 

これ、渋谷方からだと8637-8797-8980-8537で、編成構成は8500系最初期の4連。だからこの編成で、その気になれば走行も可能ではあるのですが、一体何のために? あるいは何かの試験にでも使うつもりなのか?

ちなみに、外観はBunkamura時代の装飾は全て剥がされ、前面と側面の青帯だけが残っています。それにしても謎の多い編成だ…。

 

ところで、長津田検車区でも目に付いたのですが、こちら恩田のテクノシステム・長津田車両工場のフェンスにも、写真のような「立ち入り禁止」の掲示物が貼り出されるようになりました。

1枚目がテクノシステム通用門横に貼られていたもの、2枚目が長津田車両工場に貼られていたものですが、2点をノーキャプションで。

 

 

 
構内には金属部品が多数あるので、もしかしたら地方で頻発している「金属窃盗」への警戒でしょうか。流石にマニアがこんなところに侵入するとは思えないので。

どこかの県では電線がトン単位で盗まれたそうです。物騒になったものだ。

 

以上で撤収。

東急バス「青55」で青葉台へ戻り、青葉台からは大井町線直通急行で大井町へ。そのあとは京浜東北線に乗り、都内某所のサウナで「ととのって」参りました。

 

【おことわり】

速報版で記載した本文の一部を訂正し、写真の一部を削除しました。