大物達の引退
北京オリンピックで400mリレーの銅メダル
に貢献した朝原宣治選手が、23日に行われたスーパー陸上を最後に、選手生活を終えました。この方はオリンピック陸上ではお馴染になり(初めて名字を聞いた時、時代が時代だった
だけに申し訳ないですがビクッとしてまったものです)、長く日本陸上界を背負ってきました。今回のオリンピックで、それが実ったと思います。お疲れ様でした今後は指導者としての手腕を期待したいと思います。
麻生新内閣が発足したと思ったら飛び込んできた政界ニュース。小泉純一郎元首相が引退するとの事
歴代総理大臣の中でも最大とも言える支持率で、はっきりと物を言え決断力・実行力もあるこの人に、私も期待していました。近年では最もインパクトもありましたね。総理の任期満了の際も、残念に思ったものです。
しかし今、その小泉改革の「痛み」ばかりが出てきているようで、にも関わらず一般国民にとって恩恵は何もなし。
この元首相がこだわった「郵政民営化 」は、自分もあまり賛成ではなかったが、どうしても実現させたく、これに反対した自民党議員達を離党させ、この議員達の選挙区に刺客を送り込んだのは、いただけなかった。案の定、民営化された郵便局は、以前より手数料などは高くなったし!そして、これらの「刺客」に加え、小泉人気で当選した多数の自民党新人議員つまり「小泉チルドレン」も誕生したが、一部を除いては失礼ながら使えない方々で(杉村タイゾー君とか)正直、税金の無駄遣いのように思う。
首相任期中はかなり支持し、少し前までは「総理に復帰して欲しい」と密かに願っていた私も、小泉改革に苦しまされていると感じる今となっては「もう結構!」という気持ちです。
ただ、政策の良し悪しは別として「言った事を実行する」信念は、今でも凄いと思いますし、北朝鮮拉致被害者の方々が数名ながら帰国を果たせた事などは、評価しています。
賛否両論あれど、なかなか公約を守れなかったり言葉を濁す議員が多い中で、小泉さんのような政治家は面白いと思いますし、政界引退はまだ早い気がして残念でなりませんが、これもまた、この方らしい引き際かもしれません。
後継者は次男との事。長男(小泉孝太郎)は、大学中退して芸能界入りしてしまいましたからね。しかし、また「世襲」の誕生ですか。。
そして先日、プロ野球では、ソフトバンクの王貞治監督が、今季限りでの退任を正式発表しました。
確か昨年「来季(つまり今年)まで」というような事をおっしゃっていました。実際そう聞くと寂しいですが、ご病気もされたりしましたから、お体の方を大事にして頂きたいです。
かつては、日本を代表とする名選手として「(巨人の)王&長嶋」が挙げられてきました。長嶋茂雄さんの場合、選手としては超一流だったでしょうが(現役時代をリアルで知らないので)、監督としては正直イマイチでした。
これに対し王さんは、選手としても監督としても素晴らしかったと思います。自分が小さい頃、かろうじて「選手」としての記憶もほんのわずかながらあります。
実は私、子供の頃はあの球団のファンだったのですが、王監督が巨人監督を辞めたのと同時にファンを辞めたのです(^^;(以降はアンチ)
長嶋さんと共に「巨人」のイメージが強かったですが、南海からダイエーになって数年経ったホークスの監督に就任。当初は弱小球団で「王辞めろ!」の野次もあり心苦しかったですが「あと2,3年したら絶対に強くなる」と確信していたら、本当にその頃から常勝球団となった感じです。
その間に日本シリーズで、長嶋・巨人監督との、監督同士の「ON対決」も実現しました。
その後ソフトバンクになった現在も含め長い間監督を務められた印象ですが、もう14年なんですね私の記憶の範囲では、巨人より長くなったかも。ホークス(ダイエー→ソフトバンク)へのこれほどのご尽力だけでなく、パ・リーグを大いに盛り上げられた一人です。
また、第1回WBC
の日本代表監督としても、優勝
に導かれました。
日本の野球への貢献度、そして私達に与えて下さった喜びはあまりに大きいです。私も心から「ありがとうございました!」と申し上げます(^o^)/
【ソフトバンク1―4オリックス】さようなら王監督。ヤフードームが涙に包まれた――。前日に今季限りでの退任を表明したソフトバンク・王貞治監督(68)が24日、ヤフードームでのラストゲームとなるオリックス戦に臨んだ。本拠地で最後のユニホーム姿をひと目見ようとスタンドは超満員。14年間を過ごした“第2の故郷”福岡で最後の采配。試合には敗れたが、王監督は退任セレモニーでファンに感謝の言葉を述べ、涙に暮れるナイン全員と握手をかわした。
グラウンドに広がった輪の中心に消えた王監督の体が、ふわりと浮いた。3万5526人の万雷の拍手のなか、背番号89の体が4度、舞った。阪神を撃破し、03年10月27日に日本一に輝いて以来、チームでは1794日ぶりの胴上げを終えると王監督は午後10時17分、14年の感謝の思いを込め、グラウンドへ深々と一礼した。
「95年以来14年間ユニホームを着させていただきました。大変、幸せでした。残念ながら体調が十分でなく、チームの士気にも影響が出てしまい本来の戦いができなかった。二重の苦しい思いをしてまいりました。これはすべて監督の責任。強く強くそう感じております」。謝罪の言葉はスタンドからの「そんなことないぞ!」「ありがとう!」の絶叫にかき消された。
本拠地・福岡でのラストゲーム。前日の衝撃的な退任発表から一夜明けても、指揮官の携帯電話は鳴りっぱなしだった。勇退を惜しむ声、感謝の言葉…。「それはもう大変だよ。多すぎて返事も返せないんだ」。それでも苦笑するその顔は、重圧から解放されてどこか晴れ晴れとしていた。 試合前の練習ではいつも通りに振る舞った。「野球」を意味する背番号89のユニホームに身を包み、自らバットを手に入団2年目の捕手・高谷に熱心な打撃指導を行った。試合では6回、ベンチを飛び出して抗議。4点を追う最終回の攻撃では、矢継ぎ早に代打を送った。勇退は表明しても、座右の銘である気力、そして情熱はまるで衰えていなかった。
ダイエー監督に就任し、本拠地で初采配をふるった95年4月8日のオリックス戦から1849試合目。最後は同球場通算374敗目の黒星で終わり、CS出場の可能性も消えてしまった。だが試合後は「残り試合はあるけど、彼らは来年に向けてスタートを切ってもらわないとね。少しでもこんな男がいたと、覚えておいてくれればいい」としてセレモニーでは1、2軍のコーチ、選手全員と1人1人と握手。普段は「忠臣蔵を見ていても同じ場面で泣く」と笑う68歳指揮官は、この夜は最後まで笑顔だった。
「最初に踏み入れた時には、でっかいところだと思った。14年も生活するとは思わなかった」。当時“福岡ドーム”の名称だった本拠地は世界のホームラン王を驚かせた。松中、小久保、城島ら大砲を育て上げたグラウンドとの別れを惜しむかのように、何度も立ち止まり、ゆっくりと両手を振って一周した。残りは8試合。もう少しだけ、王監督と一緒に過ごす夢の時間は残っている。
[ 2008年09月25日 23:11]