さすらいびとの徒然漂流記

さすらいびとの徒然漂流記

ふらふら漂流するさすらいびとのように,色々な話題についてお気楽極楽,徒然なるままに…

京大と日立製作所がローマ・クラブが1972年に公表した「成長の限界」のAI版とも呼べる「政策提言AI」をまとめたようです。

 

広井名誉教授が、AIを活用した地球社会の未来シミュレーションと政策提言に関する研究(日立製作所との共同研究)についての記者発表を行いました(2025年7月7日) - 京都大学 人と社会の未来研究院

AIを活用した、持続可能な地球社会に向けての政策提言 | 京都大学 成長戦略本部のプレスリリース

日本発の「政策提言AI」が警告! 「地域分散」か「グリーン成長」か 「地球社会の未来シナリオ」は「2034年までの選択」がカギを握る | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン

 

これによると7つのシナリオがあって,最初に2029年に分岐があり,最大で6個の分岐によって,それぞれのシナリオにたどり着くとのこと。

 

AIを活用した、持続可能な地球社会に向けての政策提言より

 

正直どれも今一つで,未来にあまり希望が持てないという印象。

一番マシなシナリオになるには,先進国はエコ意識を更に強くして,資源消費も更に抑えた生活をしろってことみたいですね。

横並び大好き日本人には良いだろうけど,世界的には期待薄な行動だけど。

 

まあ,想定通りの内容ですが,分岐起点となる時期が明確になっているのがポイントかな。

ただ,プーチンやらトランプやらが主導する米露を見ていると,すでにシナリオ7に向かってまっしぐらという気もするけど。

 

もしこの予測が正しければ,そろそろ最初の分岐の兆候は現れているのかも。

 

 

科学と資本主義の未来―<せめぎ合いの時代>を超えて

 

成長の限界: ロ-マ・クラブ「人類の危機」レポ-ト

 

 

〇〇システム開発:100万円/人月 x 5人 x 3ヶ月 = 1500万円(チャリン!)

✕✕システム開発:150万円/人月 x 2人 x 1.5ヶ月 = 300万円(チャリン!)

 

この計算に違和感はないだろうか?

 

これは車の製造を例に考えると分かりやすい。

  • ベテラン2人が手慣れた作業で3ヶ月で製造したクラウンが300万円
  • 新人5人がもたつきながら1年かけて製造したカローラが1500万円

これに違和感を感じない人は殆どいないだろう。

 

先ほどの違和感は「〇〇システム」や「✕✕システム」がクラウンにあたるものかカローラにあ

たるものか,全く考慮されず,開発にかかった人月ベースで計算されているからだ。

 

これを解消するには「〇〇システム」や「✕✕システム」が何であるか,つまりその価値,バリューベースによって支払われる金額を決めるべきだというのが明らかだろう。

 

「顧客にとって1000万円の価値があるシステム」であれば、何人何ヶ月で作ったかに関わらず、1000万円支払われるべきではないだろうか?

 

しかし現状、システム開発費は主に人月ベースで算出されている。プログラマの生産性は7倍から28倍という差があると言われているが、人月単価は最低でも7倍の半分以下の3倍程度しかない。最初の例で言えば、同じ価値のシステムを開発した場合、後者は1.5倍の価格で5倍の価値を生み出すことになる。

 

もちろん、バリューベースにも課題はある。「価値」の算出方法が明確でないことが、導入の障壁となっている。

 

例えば、30万円/月の事務職が毎月2時間、10人で作業する業務をシステム導入によって1時間で1人でこなせるようになった場合、単純計算では以下のようになる。

  • 従来のコスト: 30万円/月/人 x 2時間/月/160時間/月 x 10人 = 375,000円/月
  • システム導入後のコスト: 30万円/月/人 x 1時間/月 /160時間/月 x 1人 = 18,750円/月
  • 月々の削減額: 375,000円 - 18,750円 = 356,250円/月
  • 5年間の削減額: 356,250円/月 x 12ヶ月 x 5年 = 21,937,500円

これは、システム導入によってもたらされる直接的なコスト削減効果のみを考慮したものだ。

 

さらに、システム導入によって事務職が他の業務に集中できるようになる。例えば、集計作業の時間が多く取れることでスピードが向上し、市場の変化にいち早く対応できるようになり、競合他社よりも先に新たなビジネスチャンスを掴むことができる、といった「価値」が生み出される。

逆に,システム導入が遅れたことで、競合他社にシェアを奪われたリスクの回避という「価値」も考慮すると、より早い開発はさらに大きな価値を生み出す可能性がある。

 

しかし、これらの将来的なメリットをどのように価格に反映させるかは、非常に難しい判断だ。

 

それでも、IT業界が「価値」ベースの価格設定へ移行しなければ、優秀な人材とそうでない人材が同じ評価を受け、結果的に優秀な人材は他の業界へと流れていくことになるだろう。また、質の低いシステムが開発され、ユーザーがITに不信感を抱くようになり、ブラック企業のような企業が市場を席巻する悪循環に陥る危険性もある。

生成AIの台頭で、今までの開発方法が破綻し始めている昨今ではすでに手遅れかもしれないが。

「技術大国日本」

かつてはこの言葉に日本も欧米に優るとも劣らないものが出来た,対等になったではないか,と誇らしく思った日本人は多いのではないだろうか。

そして,以前よりも多く排出されるノーベル賞受賞者の数に,やっぱり日本はまだまだすごいんだと,世界でも上位に位置する国なのだと思っている人もいるだろう。

 

一方で,技術により近く,冷静に現状を見ている人は,以下の2つのワード,

 

「理科離れ」

および

 

「IT後進国日本」

という言葉に大いに不安をいだいているのではないだろうか。

そして,私,さすらいびともこの不安を抱く一人だ。

以降で,なぜ不安になるのか,個人的な考えを「徒然なるままに」書こうと思う。

 

まず,ノーベル賞について。

ノーベル賞,特に物理学や化学など理系のものは「過去」の成果が評価されている物がほとんどであるということだ。

個人的にはかなり近い馴染がある例だと,小柴先生がノーベル物理学賞を受賞したニュートリノ観測があるが,四半世紀前となるさすらいびとが学生時代にすでに論文として発表もされていたものである。

他も似たようなもので,ノーベル賞受賞が増えたのはどちらかというと「技術大国日本」の集大成であり,「最後の輝き」のようなものだ。

そして,過去の栄光が尽きたとき,そのまま日本人受賞者はでなくなるのではないかという懸念が強く感じるのだ。

 

続いて,その技術大国であるが,これはIT後進国とも絡むものだが,世の中の価値が変わってしまったというものだ。

かつては「質の良いものを作れば売れる」というのが当たり前だった。

そして,日本製品は品質が良かった。

もちろん,今も良いのだろうが,問題は「品質は良くすれば良くするほど売れる」というものではない,つまり,「品質が付加価値」となるのは限界があるのだ。

もちろん,同じ価格なら良い品質のものを買うだろうが,それが価格に転嫁されるなら別だ。

趣味などにかかわらないなら,不自由を感じないレベルの品質のもので十分満足してしまう。

車が好きな人はかつてのように「いつかはクラウン」と思う人もいるだろうが,

その人が同じく,カーボンファイバの100万円以上する自転車を買うだろうか。

逆もしかりである。

 

そして,かつて低品質と言われていたBRICSやASEAN諸国が作るものが,「日常には十分」の品質のものを低価格で作れるようになってしまった。

それに対して,日本はより高品質のものを作ることに力を注いだ。

一方,欧米,特に米国はルールを変えることにした。

それが,

 

サービス(そしてソフト)にこそ価値があり,物(あるいはハード)の品質はそれに見合えば良い

というものだ。

そして,それは茹でガエルのように日本に対してじわじわと効いてきた。

しかも,日本にとってはかなりまずい状況だったのは,特に日本のメーカーにとって

 

高価なハードを買って。

ソフトはおまけでつけるから。

というのが当たり前だったからだ。

かつてメーカーでハードは花形,ソフトは脇役だった。

そして,「技術大国」とはハードのことだった。

当然のこととして,ハードの技術者は多く供給されるように国も企業も動いた。

一方で,IT技術者は放置された。

それが,ITの位置づけを低くし続け,また,軽視する土壌となったと考えられる。

これが,IT後進国としての日本を生んだのではないだろうか。

 

更に,質の良い製品はユーザから「理系要素」を遠ざけることにもなった。

「三角関数なんて自分が社会に出たときに役に立たない」という人,特に数学嫌いな人がいるが,三角関数がなければ回路は作れない。

つまり,ICも作れないし,最終的にはスマホも家電も作れないのだ。

目立たないだけでめちゃくちゃ役に立っているし,必要だ。

家電のない生活など,普通の人にとってありえないだろう。

 

どうやら,「理科離れ」はどんどん悪化しているらしい。

以下のようなレポートが公開された。

 

高校生の科学への意識と学習に関する調査報告書―日本・米国・中国・韓国の比較―<令和7年7月発行> | 独立行政法人 国立青少年教育振興機構

 

内容については関連ニュースの記事の方を見てもらえれば良いが,このままでは四半世紀後には資源もない,技術もない,若者もいない,無い無い尽くしの国になるのではないだろうか。

今月5日に地震と大津波で日本沈没みないな予言があったとのこと。

ノストラダムスの大予言できちんと学べた人は「ああ,またこの手の出てきたのか」という感じだったかと思われる。

1997年まで当時は何度も大騒ぎ,過ぎたら些細なことをこれを予言したのだと言い出したり,あるいは西暦ではないとか,言い訳じみた話も出たりと,波がありつつもちょっとした騒ぎにも。

それに比べると多くの人が過去に学び,賢くなったのだろう。

それでも,若い世代や過去から学べなかった残念な人たちが騒いで,元となった本もベストセラーになったようだが。

同じように予言が当たったと言い出すのが出るのも同じだと,冷めた思いでニュースなどを確認。

 

歴史は繰り返す。でも,多くの人は過去から学んで賢くなる。

もっとも,オイルショックにはあまり学べていなかったのは残念なところだが。