さすらいびとの徒然漂流記

さすらいびとの徒然漂流記

ふらふら漂流するさすらいびとのように,色々な話題についてお気楽極楽,徒然なるままに…

先日公開した「AIによって仕事が奪われる」云々という話は,さすらいびとが所属するソフトウェア開発の業界でも当然,同じような話がある。

いや,むしろITはAIが得意な分野でもあり,その影響は甚大とも言える。

 

そして,そのIT業界に於ける仕事の「質」の変化という話に関して,欧米,特に米国発の情報には少し気をつけておくべきだろうとさすらいびとは考えている。

 

それは,米国のIT技術者はエリート(既に「かつては」と付けるべきかもしれないが)であり,情報工学やコンピュータ・サイエンスの学科を卒業している人が多いという点だ。

つまり,ソフトウェア開発に関する一通りのことを体系的に学んでいるのである。

 

そのため,仕事のメインが実装からAIが生成したコードのレビューへとシフトしても,大きな問題はない。それは彼らにとって専門分野の一部だからだ。

 

しかし,日本は事情が異なる。

バカみたいな多重下請け構造で,とにかく人を集めてなんとかするという力技をずっと続けてきた。

その結果,日本のIT技術者はピンキリで,情報系どころか理系ですらない人も多く,最悪なことに論理的な思考すら怪しい人までいるのが現実だ。

そのような「レビューをしてもらって何とかなっている人」に対し,リスキリングで「レビューする側になれ」と言ったところで,果たして身につけることができるのか,さすらいびとは疑問を感じざるを得ない。

 

また,雇用についても何度か触れているが,欧米はスキルが合わない場合に教育するのではなく,解雇して市場から合致する人を見つけて雇うのが通常である。

対して日本は解雇がしにくいため,他の部署でも使えるように教育を施し,解雇を回避しようとする。

 

この違いをきちんと見極めてネットの情報,特に欧米発の記事やブログを読まないと,間違った認識のまま判断を誤ることになりかねない。その点には十分な注意が必要である。

欧米での「問題ない」が必ずしも,日本でも「問題ない」とはならないかもしれないのだ。

本当に今はAIについてのネタが尽きない。それだけ,大きな「変革」の渦中にあるということなのだろう。ということで,またもやAIネタで攻めてみる。

 

「AIは仕事を奪う」

「AIは仕事を奪わない」

 

世の中には,この相反する2つの主張が飛び交っている。だが多くの場合,現象としては一つであり,「AIによって求められる仕事の質が変わる」ということではないかと,さすらいびとは考えている。

 

これを,「仕事の質が変わるので,リスキリングで新しい仕事に適合しよう」と言う人と,「仕事の質が変わるので,新たな職を見つける必要がある」と言う人がいる。その違いは,視点の軸が雇用者側にあるか,被雇用者側にあるか,という点に尽きると考えている。

 

「質」が変わるということは,すなわち「適性」が変わるということだ。

 

つまり,もともと適性があり評価されていた人が評価されなくなり,逆に,適性がなかった(あるいは合っていなかった)ために評価されていなかった人が評価されるようになる,ということである。

 

ぶっちゃけ,雇用者側からすれば,10人が不適合で評価を下げ,代わりに10人が適合して評価を上げさえすれば,組織全体としては差し引きゼロであり,何ら問題はない。解雇の必要もなく,コストも上がらず,今まで通りに経営を続けられる。その意味では,確かに「AIで仕事は奪われていない」と言える。

 

しかし,実際に評価を下げられる側からすれば,その会社に居続けるべきかどうかという死活問題になる。今のスキルが適合する職が世の中から消えてしまえば,それは実質的に「仕事を奪われた」のと同じことだ。

 

では,雇用者は個々の人間を見ていないのかと言えば,それは違うと思う。要は「仕事へのスタンス」の違いだ。雇用者(あるいは上司)は「結果」に重点を置いている。だから,手段が変わることの影響を軽視する傾向がある。

 

一方で,現場の職的な技術思考を持つ人は,「手段」そのものに強い思い入れがある。この視点の乖離が,仕事の質が変わることへの向き合い方や,考え方の差を生んでいるのではないだろうか。

 

そもそも,AIで仕事が奪われないのだとしたら,AIを導入するメリットはどこにあるのだろうか。ここで言うAIは,既存業務の代替や支援のための道具を指すが,それ自体が直接的に利益や売上を爆増させる魔法ではない。

 

となれば,狙いは「コスト削減」だ。作業コストの削減とは,すなわち同一作業に対する作業時間の削減,つまり時短である。例えば,10人でやっていた仕事が9人で済むようになれば,論理的には1人が不要になる。その1人は,リスキリングして別の仕事に就くか,あるいは別の会社で同じ職種を探し続けることになる。こっちは,よく言われている「効率化」による人員削減という話だ。

 

結局のところ,「AIが仕事を奪うのか」という疑問にはこう答えるべきだろう。

 

具体的な作業内容(手段)としての仕事は奪われるが,生計を立てるためのポジションとしての仕事は必ずしも奪われない。

また,ちょっと出遅れ感があるけど,「Solve Everything」を読んでみたので,さすらいびとが思ったことなどをつらつらと書いてみる。

 

大まかな内容は,最初に知能革命(Intelligence Revolution)によって「Solved(解決済)」に向けて,今後10年を3つの時点で区切りながら,どの時点でどのように変化していくのかについての未来予想である。

 

どのような想定での予想なのかと言うと,

 

 

The following three scenarios are extrapolations based on the "Industrial Intelligence Stack" and the economic physics described in this essay.

とのことだ。また,この文章での「solved」の意味は,

 

 

We use the word "solved" in a very specific, game-theoretic way.

ということで,「solved」とは「計算リソースだけの問題になった」ということを指している。

 

3つのシナリオに続き,その根拠となる詳細な内容が展開される。

かつての革命(科学,産業,デジタル)では専門技術がコモディティ化し,工芸が工業になった。そして知能革命では「知能」がコモディティ化,工業化する。それがどのように変化・発展して,最終的にどのような社会生活をもたらすのか,どのように「すべてが解決された」社会になるのかについて順に説明されている。

 

詳細に畳み掛ける感じなので,詳細は論文?を読んでもらうとして,正直なところ,「AI2027」に比べてSFチックで楽観的な未来予想だと感じた。

 

まず,研究に対してかなり力技でなんとかなるという前提に疑問がある。多種多様なパラメータ値でシミュレーションすれば正解が出るという考えに見えるが,シミュレーションに対する信頼度が高すぎるのではないか。大抵のモデルは現実の複雑すぎる要素を排除して単純化されているものだ。物理学において現実的な空気分子の数体からなる多体問題すら解けないのが現実なのに,基礎理論も実験も力技で解決し,すぐに実践投入できるレベルになるというのはいささか飛躍しすぎている。AlphaFoldの例も挙げられていたが,あれは生物学分野でもかなり特殊なケースだろう。すべての研究でデータが大量に揃っているわけではなく,さすらいびとの学生時代のように「方法自体を見つけ,新しくデータを生み出す」必要がある現場も多い。

 

また,社会への適用もかなり疑問だ。この劇的な変化をわずか10年で成し遂げるのは,まず無理だろう。法整備を行い,自動臓器製造工場を作り,それを医療現場に適用するだけでも10年では足りないはずだ。Universal Basic Capabilityのような概念を導入するとなれば,さらに多分野の法改正や実践が必要になり,現場の人間がついていけるとは思えない。合成食品にしても,日本のように「食の彩り」にこだわる国で受け入れられるだろうか。

 

社会に対する認識も楽観的すぎる。政治的な力が強い利害関係者が,必ずしも「良いもの」を好むとは限らない。知能の再分配についても,最初にAGIやASIを生み出して利権を握った企業が,それを公共のために手放すとは思えない。現状でもネットワークやAIへのアクセスには偏りがあるのに,知能になった途端に皆に平等に再分配されると考えるのは不自然だ

 

さらに,リソースの限界値も無視できない。電源やデータ,処理性能の限界が見えつつある今,現在のペースでAIが成長し続けるには未知のブレークスルーが必要だ。かつての「マックスウェルの悪魔」のように,すべてがわかれば未来が予想できるという決定論的な科学万能論に近いものを感じるが,常温超伝導や核融合に必要な新素材が「人以上のスピードでやれば見つかるはず」というのは希望的観測に過ぎない。もし「存在しない」という結果が出れば,AI社会の基盤そのものが崩れてしまう。

 

最後に,この論文が想定する「AI」が抽象的すぎる点も気になる。世界で一つのモデルをシェアするのか,それとも複数あるのか。もし複数あれば,政治的・宗教的なバイアスによって回答が異なり,対立を招くのは目に見えている。自国の政治には触れているが,足並みが揃わない周辺国との摩擦を考慮していない点も,この予想の実現性を下げていると感じる。

やっぱり,こういう話はあるんだな,というのがさすらいびとの最初の印象だ。

 

AIを使い続けると,人はすぐに諦めて答えをAIに求めるようになる。そして,その人自身は思考停止に陥るのだ。何はともあれ,まずはAIに聞こう,と。

 

しかし,今さらAIの利用をやめられるかと言えば,それは難しいだろう。

企業としては業界全体が一致団結して使用を中止しない限り,利用し続ける企業に出し抜かれ,シェアを奪われることになる。それは最終的に,倒産という結末を意味する。

また,個人としても構図は同じだ。

AIを駆使してより早く,より多くの成果を上げ,評価される人間がいれば,そうでない人間は出世競争に負けるのである。

 

やがて,最終的には思考力が劣化した個人と,それらの人々によって構成される企業ばかりが残る。

そして,AIには到底回答できない問題に直面したとき,すべてが破綻するのだ。

 

さて,AIを使うべきか,使わざるべきか。それが問題である。

AIを使いこなす人間が重宝される時代だというが,さすらいびとはふと思うのである。AIとともに築き上げたキャリアは,一体どこへ向かうのだろうか。

 

例えば,転職をした時にこれまでと同じパフォーマンスが出せるのかという問題がある。新しい環境で新しいAIとともにキャリアを積んでいく際,こちら側に「問いかけのスキル(プロンプトエンジニアリング)」があったとしても,AIの元データやモデルが違えば生成されるアウトプットは全く別物になる。

 

実際に,あるコンサルで自社の提案書を学習させたAIに提案書を出力させる記事を見たことがある。整合の取れたわかりやすい提案書が実績に大きく寄与していた場合,果たして転職の際にその実力はどのように図られるべきなのだろうか。その提案書は彼の実力で作られたのか,それともAIのおかげだったのか。当たり前だが,いい脚本を作成できることと,脚本に沿っていい演技ができることは別である。どちらも評価されるべきことだが,転職先がどちらを求めるかで評価の「当たり外れ」が決まってしまうし,本人にとっても不幸なことになりかねない。

 

つまり,A社でA社のAIを最適に使いこなして実績を上げたとしても,B社に移ればそこにはB社のAIがあり,学習データも異なるということだ。当然,回答も異なれば,結果として同じようなパフォーマンスが発揮できる保証はない。洗練されたデータで学習したAIを使っていた人が,混沌としたデータしか持たないAIを渡されても結果を出せるかは,結局のところAIがカバーできない「地力」をどこまで持っているかにかかっている。もっとも,日本はいまだに「会社と一蓮托生」という空気感があるから,このパターンでも当面は通用するのかもしれないが,仕事のノウハウがすべて会社のAIに蓄積され,退職した後の自分に何が残っているのかは,非常に気になるところである。

 

最近,Claudeの設定に関する記事を見て,さすらいびとはさらに考えさせられた。そこで浮上するのが,「設定ファイルの権利は誰のものか?」という問いである。

 

個人で作り上げた「秘伝のタレ」とも言えるAIの設定ファイル類。それを使って会社の仕事をこなした場合,その権利はどうなるのか。さらに,業務時間中にその設定をアップデートしたとしたら,それはもはや会社の所有物になってしまうのではないか。それは個人のキャリアとしてどこまで使えるのか,転職しても持っていけるものは何なのか。

 

もし,誰でも使えるような素晴らしい設定ファイルが完成してしまったら,その作成者本人は不要になってしまうのではないかという懸念もある。最近では「AIのおかげでやることが殆どなくなった」という趣旨の記事も見かけるが,それは見方を変えれば,その人がいらなくなったということと同義ではないだろうか。そのAIを使えば誰でも同程度の成果が出せるというのなら,なおさらである。

 

結局のところ,AIを使いこなした上で,さらに「自分にしかできないこと」が何であるかが問われているのだ。その付加価値が多ければ多いほど,あるいは習得が難しい領域であるほど,この先生き残れるのではないかと,さすらいびとは思うのである。