イェホシュアのイスラエルの信仰と証し -31ページ目

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Terry Goodyer

 

 

本日の礼拝は以下のGoogle MeetのURLで行います。

礼拝
1月 8日 (日曜日) · 午前10:00~11:00
Google Meet の参加に必要な情報
ビデオ通話のリンク: https://meet.google.com/zjp-nwpg-cya


本日の礼拝テーマは、

「御霊のことは御霊によってわきまえる」第一コリント2:14

です。

パウロは、霊に関する「知り方」について、以下のように書いています。

生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。
第一コリント2:14

前後を掲げると次のようになります。

第一コリント2章
まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」

神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。

いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。

ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。

この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。


生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。

御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。

いったい、「だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか。」ところが、私たちには、キリストの心があるのです。



ここで、パウロは、何を説明しているのでしょうか?

Courtesy of Terry Goodyer

 

 

本日の礼拝は以下のGoogle MeetのURLで行います。

礼拝
1月 1日 (日曜日) · 午前10:00~11:00
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ビデオ通話のリンク: https://meet.google.com/hqf-nuxt-vgn


本日の礼拝テーマは、

「召し」について

です。

パウロ書簡では、きわめて多くの箇所で「召し」について述べています。ペテロの書簡にも「召し」について記されている所があります。使徒の働きにもあります。

1世紀のキリスト教会の人たちは「召し」について、まっすぐに見つめていた人たちだったと言えるでしょう。

兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。
しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。
これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。

第一コリント1章

Courtesy of Terry Goodyer

 

 

 

本日の礼拝は以下のGoogle MeetのURLで行います。

礼拝
12月 25日 (日曜日) · 午前10:00~11:00
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ビデオ通話のリンク: https://meet.google.com/xaj-aknq-yhf


本日の礼拝テーマは、

「救い主」(The Savior)の本当の意味

です。

きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
ルカ2:11 新改訳第三版

今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
ルカ2:11 新共同訳

ルカ2:11で「救い主」と訳されている語句の英語訳やギリシャ語原典を確認しながら、その本当の意味を解説します。
 

 

このメッセージは、ヨセフ・アイデルバーグ氏の著書"The Biblical Hebrew Origin of the Japanese People"(邦訳「日本書紀と日本語のユダヤ起源」久保有政訳)に巡り合って、イスラエルの神YHWHが、日本国の神でもあったという歴史的事実を知る前のものです。

この歴史的事実を知った現在(2022年12月24日)、日本からキリスト教史上、類例を見ないリバイバルが始まるという確信はなお一層深まっています。

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イザヤ書では次のように書かれています。

そうして、西のほうでは、主(YHWH)の御名が、日の上るほうでは、主(YHWH)の栄光が恐れられる。主(YHWH)は激しい流れのように来られ、その中で主(YHWH)の息が吹きまくっている。
イザヤ59:19

旧約聖書で、太文字の「主」、ダブルクオーテーションで囲まれている"主"は、ヘブライ語原典ではYHWHと記されています。
上の聖句は、「YHWHの名が、日の上るほうでは、YHWHの栄光が恐れられる。」と読まれなければなりません。

抽象的な「主」ではないです。固有名詞のある"YHWH"。アブラハムに現れた神。モーセに現れて、I AM WHAT I AM.(「わたしは、『わたしはある』という者である。」)とおっしゃった神です。固有名詞があります。しかしその名はみだりに口にしてはならない名なので、ユダヤ人はAdonai(英字表記)と振り仮名を振って読みました。それが「主」、英語で"LORD"と訳されているゆえんです。
元々は、YHWHが神の名なのです。

その YHWHの栄光が、日の上るほう、つまり日本で、畏れられる。YHWHの息が吹きまくっているという状態になります。旧約聖書で「息/ルアハ」とは『霊』です。
神であるYHWHの霊が吹きまくる状態が訪れます。

これはヨエル2章で預言されていることにもつながって行きます。

あなたがたは、イスラエルの真ん中にわたし(YHWH)がいることを知り、わたしがあなたがたの神、主(YHWH)であり、ほかにはないことを知る。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。
その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。
その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。
ヨエル2章

 

 

Courtesy of Terry Goodyer

 

 

本日の礼拝と交わりは以下のGoogle MeetのURLで行います。

礼拝
12月 18日 (日曜日) · 午前10:00~11:00
Google Meet の参加に必要な情報
ビデオ通話のリンク: https://meet.google.com/rti-aupu-hsv

交わり
12月 18日 (日曜日) · 午前11:00~午後12:00
Google Meet の参加に必要な情報
ビデオ通話のリンク: https://meet.google.com/kib-iydo-ytb


本日の礼拝テーマは、

外典「マカバイ記」と「ハヌカー」

です。

ユダヤ教徒の年中行事の一つに「ハヌカー」(Hanukkah)があります。
ウィキペディアの解説

この祭りは毎年、クリスマスに近い時期に8日間祝われます。
今年は12月18日日曜日の夕方から始まり、12月25日の夕方まで続き、ちょうどクリスマスの時期と重なります。

ハヌカーは、外典「マカバイ記」に記されているイスラエルの将軍ユダ・マカバイが、異教徒に占領されていたイスラエルの神の神殿を奪還し、諸々の汚れから清めた故事にまつわる祭りです。

このハヌカーが現代のキリスト教徒にとってどんな意味を持っているのか?
また、ユダ・マカバイがイスラエルの神の神殿を敵から奪還し、清めた故事が、現代のキリスト教徒にとってどんな意味を持っているのか?
それについて説明します。