この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた。
ルカ16:8
イスラエルの神である天の父に召された人は、多くの場合、「この世」になじめません。
召されていることについては、新約聖書にいくつもの記述があり、主なものは以下の通りです。
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
ローマ人への手紙8:28
神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。
ローマ人への手紙8:30
しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。
コリント人への手紙第一1:24
兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。
コリント人への手紙第一1:26
「召されている」とは「神から呼ばれている」ということです。
そういう人たちは「この世」になじめないのが普通です。
○
新約聖書で「この世」と訳されている言葉は、ギリシャ語原典の言葉を確認すると、2パターンあります。
1つは、ギリシャ語"kosmos"(英字表記)が使われているパターンで、意味は文字通り「世界」です。「何らかの秩序がある世界」という意味です。
しかし、イエス・キリストが言う場合、「神のものではない世界」、つまり「サタンの支配下にある世界」という意味で言っています。
従って、「サタンの秩序によって保たれている世界」が「この世」となります。
○
もう1つは、ギリシャ語"aión"(英字表記)が使われているパターンです。
この"aión"というギリシャ語の意味は「一つの時代」です。一つの時代が終わって、次の時代が来る、という長いタイムスケールの中での「一つの時代」です。
イエス・キリストがこの言葉を使って「この世」「この時代」と言う時、聖書に記されている預言が成就してやってくる「新しい時代」のことを前提として、「この時代」と「新しい時代」を対比しています。
この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた。
ルカ16:8
この聖句の中の「この世」は、現在ある時代。つまり、聖書の預言が全部成就していない、サタンの支配下にある時代ということです。
その時代が、いずれ、聖書の預言がいろいろに成就して、「新しい世」「新しい時代」が来ます。
○
「この世」や「この時代」になじめない人は、冒頭で書いた「神に召されている」「神から呼ばれている」可能性が高いです。