朝の礼拝:主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。 | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Marco Verch

 

 

主イエスと食事をする教会では、毎朝5分程度、その日の聖句を読んで、簡単に解説を加え、その上で、大祭司であられる主イエス・キリストを通じて、天の父を礼拝するという、霊とまことによる礼拝(ヨハネ4:23-24)を行なっています。

今日の聖句は、
主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。
箴言1:7

旧約聖書の「主」、「神である主」と記されている「主」はヘブライ語原典で"YHWH"(英字表記)。発音することができないいわゆるテトラグラマトン

後代にYahwehと訳されたり、Jehovahと訳されたりしましたが、そもそもは"YHWH"。誰も発音できない神聖な神の名前です。これが福音書の時代に、御子であるイエスによって「天の父」であると紹介されました。

"YHWH"、すなわち天の父を恐れることは知識の初めなのです。
天の父は、新約聖書を読んでいる限りはよくわかりませんが、旧約聖書の「主」="YHWH"に関する記述を読むと、本当に恐ろしい方です。

 

同じ恐ろしいお方が、主イエス・キリストを信じる信仰によって、その人の父になり、愛の神となるのです。

 

ベースに恐ろしさを覚えて、天の父を見上げることは、非常に大切なことです。


この「恐ろしさ」については、先ほどこちらの投稿でも記しましたので、お読み下さい。

 

使徒の働きに記されている「恐れ」について