Courtesy of Ted Eytan
悪霊の問題がある人は、普通、食生活がおかしくなっています。
例えば、ジャンクフードを食べ続ける生活を20年間送ってきた。(ゆえに不眠があります。腸内細菌のフローラが破壊されているので)
例えば、三食三食をきちんと食べない。食べたり食べなかったりする。(うつが同時並行で存在しています)
例えば、様々な主義主張に基づく「偏食」がある。ある強烈なポリシーがあって、これは食べないあれは食べないという「食べない」ものだらけであり、実質的に会食ができない食生活に陥っている。「食べないもの」だらけなので、人と一緒に食事を楽しむということができない。
○
悪霊からの解放は「プロセス」であり、その人の過去20年間続いてきた悪癖からの脱却です。悪癖はその人の生活のありとあらゆるところに存在していて、それが食生活にも表れています。
例えば「孤独の霊」に取り憑かれている人は、ありとあらゆるスキを捉えて、ひたすら「孤食」の機会を追求します。過去の私がそうでした。
「自堕落の霊」に取り憑かれている人は、ゲームを1日10時間以上やり続け、スナック菓子を食べ続け、カップヌードルを食べ続け、まともな食事をせずに数日間、数ヶ月間暮らして、体がおかしくなっています。
「うつの霊」に取り憑かれると、ひたすらダウン、ダウンの日々で、食事に対する興味を失ってしまいます。体調維持のため、最低限の食事は摂るとしても、「食事に楽しみを求める」自然な希求は欠落していて、食べることに何の楽しみもありません。
摂食障害もそうです。摂食障害は、過去に接した事例から言えば、スピリチュアルをやり続けた人に見られる弊害です。おそらくは、その人には、「人(その人自身)を殺す霊」が取り憑いていて、長期間にわたる緩慢な死へと進ませています。
こうした悪霊に取り憑かれている人においては、食べ物が、天地創造の際の人間に与えられた大きな祝福の一つであることが、その人の日々の生活から削ぎ落とされています。
神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。
創世記1:29
神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を生えさせた。
創世記2:9
○
食事は祝福なのです。一つ一つの食べ物は、祝福されているがゆえにおいしいのです。
祝福は食事に現れます。それも一度や二度ではありません。毎日毎日の三度三度の食事が、すべて、天の父と主イエス・キリストによって祝福されるのです。おいしいのです。私たちの教会では、それを毎日経験しています。一緒に食べるどの兄弟姉妹も(13歳の息子も←信仰告白をし水のバプテスマを授けられています)、一食一食、この上ないおいしさを味わって、楽しんでいます。主イエス・キリストの名によって、神である天の父に感謝しています。
○
従って、こうした悪霊の問題がある人には、まず、一日三回の食事を、きちんと摂ってもらうことから始めます。
一日三回の食事を、毎日決まった時間に摂ることに、どういう意味があるのか?
これは、言葉で説明するだけでは、理解できません。
毎日毎日、巡ってくる新しい日において -- その一日一日も御父と御子によって祝福されています -- 朝ごはんなら午前7時、昼ごはんなら正午、晩御飯なら午後7時。こうした決まった時間に食事を摂って、 毎日の生活のリズムを作っていくことが、人の人生においていかに大事か。それを、毎日経験してもらうことで、体で学んでもらうのです。規則正しい生活が、いかに、人生の喜びにつながっているのか。いかに神の祝福を受け取るために、不可欠な事柄なのか。
また、その三度の食事も、おいしいからこそ、喜びが湧いてくるのです。
料理の才能があるから三度三度の食事がうまい、というのとは違います。前投稿の写真を見てもらえばわかりますが、メニューとしては日本の食卓で提供されている、ごく普通のメニューばかりです。食材も凝ったものを使っている訳ではありません。
そうした普通の食事を、僭越ながら小職が毎食作らせていただいて、何をどう作ればいいか、どういう調味をすれば良いのか。味のベースは何から出来上がるのか。どうすれば美味しくなるのか。実は、その都度、リアルタイムで、ジャズの即興演奏のように、聖霊が気づかせてくれます。さっと頭に浮かぶのです。「これは、こうした方がいいよ」。「そろそろ火を止めた方がいいよ」。「(香辛料を振りかける際に)それは多すぎるよ」。そうした、聖霊から来るアドバイスが、毎食毎食の食事作りにおいて起こります。
夕食など、事前にメニューを決めている時もありますが、メニューを全く決めていないで、例えば、日曜礼拝が終わった後の昼食など、手元にある食材を見ていると、さっと、「あれを作るといいよ」という考えが浮かびます。それに従って作ると、ものすごくおいしいのです。
こうしたおいしい食事を毎日、三度三度、食べるという生活を続けていると、20年間、ゲーム(殺人しまくりのゲーム)とポルノ(度を越したジャンル)と自慰行為にまみれて育ってきた青年が、徐々に、変化していくのです。
神に感謝する人に、変えられていくのです。