天の父は不完全な人を愛され、御子イエスが執り成す - 失敗は、許容される。(2) | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Ted Eytan

 

 

現在、Twitterで当教会と小職について、現実にあったことと、現実にはなかった色々な事実誤認等を織り交ぜて、毎日精力的に情報を流している方についても、預言をいただいております。

この方も、娘さんからの宣教によって、主イエス・キリストの救いを受け入れるようになり、アブラハムの子孫に加えられます。

しかし、その前に、幾多の苦難があるでしょう。



ヨハネは「神は愛です」と書いています。

愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
第一ヨハネ4:8

ヨハネが言っている「神」とは、ユダヤ人としての教育を受けたヨハネの1世紀当時の背景や、書簡の文脈を丁寧に読み取っていくなら、アブラハムに現れた神、つまり、イスラエルの神のことを言っているのだと理解できます。その「神」が御子イエス・キリストの十字架によって、「父」になったのです。

天の父の愛は、私たち人間の理解をはるかに超えています。
何度も、その、凄まじいとも言える、理解を超えた神の愛を、経験しました。
これは、聖書通りにやって、聖書通りの教えを信じて、初代教会が回復して、キリスト信徒複数が互いに愛し合う、主イエスの新しい戒めを守っているから、経験できることです。(当教会では、息子(受洗済)と私たち夫婦の家族3名に加えて、兄弟姉妹2名が一緒にご飯を食べる生活を送っています。それは聖書に記されている初代教会の形をそのまま実践しているのです)



天の父は、不完全な人を愛されます。また、御子であられるイエス。十字架に付けられて、ご自身の御業を成し遂げられたイエスが、その人のために執り成します。

罪を赦す主体は、創造主であられる天の父です。
この天の父に、御子であられるイエスが、天の父の右の座にいらっしゃって、その人のために執り成します。

少し前に預言で、異邦人でありながら、アブラハムの子孫に加えられる「信仰によるイスラエル」は、精神障害を持った方々と、性に関する重い罪を犯し続けて生きてきた方々の中にいる、ということを言われたことがあります。

こうした方々が、主イエス・キリストの言う「イスラエルの家の失われた羊」です。

しかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外のところには遣わされていません」と言われた。
マタイ15:24

ヨハネの福音書に、五人の夫と結婚をした後、別な男性と同棲をしている女性が出てきます(ヨハネ4章)。この方もまた、「イスラエルの家の失われた羊」です。

このような、社会通念に照らせば、ひどく劣った、何の評価もされないような方が、不思議な神の選びによって、御子であり、王の王であられるイエス・キリストに巡り会い、どんどん変えられて行くのです。

それはつまり、エペソ1:4と、第一ペテロ1:2で書かれている、「生まれる前から、主イエス・キリストにあって(主イエス・キリストに似る者となるように)選ばれていた人」が、そのように、イエス・キリストに巡り合って、変えられて行くのです。

サマリヤの女の後日談が書かれていませんが、私は、福音書に登場するほとんどの人たちは、後日、初代教会に加わって熱心なキリスト信徒になり、兄弟姉妹が互いに愛し合う関係の中で、神の赦しや癒しや悪霊からの解放を経験して、立派な信徒として成長した方々だと、理解しています。

異邦人であるサマリヤの女も、異邦人にも与えられたイエス・キリストの福音、神の国の福音によって、イスラエルに加えられたのです。

私たちも、そうなるのです。



主イエス・キリストの救いは、神の選びにかかっています。
聖書に書かれている、「予め選ばれている人」を、神はお救いになるのです。
そういう人のために、御子であられるイエスが十字架で、ご自身をお捧げになったのです。

そういう選ばれている人は、創世記でアダムが「私たちの形として」「私たちに似るように」創造された、その創造の時の天の父と御子イエスの想いに沿って、「神に似る人になる」のです。すなわち、主イエス・キリストと同じ姿に変えられて行きます。これは、神の選びによるのです。不思議な選びです。

私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
第二コリント3:18



残念ながら、生まれる前から、主イエス・キリストにあって(主イエス・キリストに似るように)選ばれている人たちのほとんどは、サタンが支配しているこの世において、小さい頃からマスターベーション等の悪癖に染まり、いつしか、悪霊が入る元となる性に関する罪(不倫、売春、SM、ポルノ耽溺など)を犯すようになり、また、聖書で言う偶像崇拝に当たるスピリチュアルの諸々(占い、呪い、魔術、引き寄せ、ヒーリング、瞑想、能力開発、人心コントロールなど)にはまり込んで、悪霊複数が住み着くようになります。

サマリヤの女が、その一つの例だと言えるでしょう。七つの罪を犯したと書かれているマグダラのマリヤもその一例です。

悪霊の追い出しの複数のケースを見てわかることは、エペソ1:4、第一ペテロ1:2に書かれている、生まれる前から選ばれている人は、その「神によって選ばれている」ということが、サタンやその配下の悪霊にはすぐにわかるようで、小さな頃から手出しをされ、マスターベーションの悪癖に染まるようになり、長じて、重たい性の罪を繰り返すようになり、また、スピリチュアルの諸々にはまり込むようになる。

つまり、「世界の基が置かれる前から選ばれている人」(エペソ1:2)は、小さな頃からサタンや悪霊の攻撃対象となり、思春期には複数の悪霊が住み着くようになる。そうして、大変に苦しい人生を、10年、20年、30年と送る。そういう共通パターンがあるように思えます。



しかし、そうした人が「イスラエルの家の失われた羊」なのです。

そうした人たちのために、主イエス・キリストは十字架に架けられて、主イエスを見上げて、信じる人に、完全な解放の道筋を作られたのです。この道筋は、天の父の御心でもありました。

そうした、幼少期からマスターベーションの悪癖に染まって、10数歳の時には、悪霊がいくつも住み着くような行為を繰り返していた人が(それはサタンと悪霊に狙われたからですが)、実は、天の父によって、生まれる前から選ばれていて、数々の罪を犯しているにも関わらず、イエス・キリストがすべての罪を引き取って下さって、その血によって洗って下さり、聖なる者として下さるのです。それが天の父の御心なのです。そうした御心のために、御子であられるイエスは、何の罪もないのに、十字架に架けられたのです。

それは、最終的にサタン(悪魔)の仕業が完全に滅ぼされるためです。
御子であられるイエスの敵が、すべて、イエス・キリストの足台になって、そこに御子イエスが栄光に包まれて来臨されるためです。

性の重たい罪を犯し続けてきた人。
また、スピリチュアルにはまって精神のバランスがおかしくなって、妄想や幻聴や不眠や人格障害で苦しんでいる人。

そうした人でも、聖書に興味を持つようになり、イエス・キリストこそが自分を救ってくれるのだと確信を持って、毎日のように、福音に関する情報を検索して歩いている人。

そうした人が「イスラエルの家の失われた羊」なのです。
そうした不完全な人を、天の父は、不思議な選びによって、実は選ばれており、その選びのゆえに、御子であられるイエス・キリストの救いと解放に、導いて下さるのです。

ハレルヤ!
まことに不思議な神の御心です。
神の愛は、いかに測り難いか。