Courtesy of Marcia O'Connor
三位一体の偶像から出て、新約聖書の使徒の働きや、パウロ、ヤコブ、ヨハネ、ペテロの書簡に断片的に書き表されているものをつないで、信じて、実践して、初代教会が回復すると、そこにおられる神。つまり、主イエス・キリストが唯一のまことの神と呼んだ方。パウロが唯一の神と何度か書いた方。その神は、言い換えれば、天の父は、イスラエルの神であられるということを、度々、実感することになります。これは、三位一体の教会の中にいた時代には、まったく、想像もできなかった感覚です。
聖書の神は、イスラエルの神です。
この真理は、聖書をよく読んでいる方には、知識として、あるいは情報として、「聖書の神は、イスラエルの神」と言われて、頭では理解できるでしょう。しかし、毎日リアルに感じ取ることができる感覚として、実感するのは無理だと思います。私が、過去には、そうでしたから。
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アブラハムに現れた神は、後代、イスラエルの神と呼ばれることになります。モーセを用いて、エジプトの奴隷状況から、イスラエルの民/ユダヤ人を脱出させました。ヤコブの息子たち12人から派生した12部族。つまり、ヤコブはイスラエルと呼ばれますから、イスラエルの民。そのイスラエルの民の神であられるイスラエルの神。
このイスラエルの神が、ずっと、今でも、イスラエルの民/ユダヤ人の神であり続けています。
ですから、ナザレのイエスに召されたペテロも、このイスラエルの神を唯一の神として崇拝する人であり、後にイエス・キリストに遭遇することになるタルソスのパウロも、このイスラエルの神を唯一の神として認める前半生を送り暮らしてきています。
従って、ペテロが主イエスから、「私は誰だと思いますか?」と問われて、「あなたは生ける神の御子キリスト(メシア)です」と答えた時、ペテロの頭の中にあった「神」とは、イスラエルの神でした。
この時、まだ、325年ニカイア公会議は開催しておらず、381年コンスタンチノープル公会議も開催されておらず、従って、父と子と聖霊とが三つにして一つという、人工的な神概念である三位一体が存在していなかったことに、ご注意下さい。
1世紀当時のペテロは、数千年の歴史を持つイスラエル人/ユダヤ人の、アブラハム以来の伝統を受け継ぐ神に関する理解をもって、イスラエルの神を思い浮かべながら、主イエスに対して、「あなたは生ける神の御子キリスト(メシア)です」と答えたのです。
このイスラエルの神が、天の父なのです。
そこに、三位一体の神が挟まる余地は、どこにも、ありません。
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また、異邦人に対する使徒として召され、異邦人に対して福音を宣べ伝えたパウロ。
このパウロも、歴史的な背景、宗教的な背景を、他の文献を読まずとも、聖書からだけでも理解していくならば、彼もまた、イスラエルの神を「神」と呼ぶ、イスラエル人/ユダヤ人であることは、容易に理解できます。
彼が「唯一の神」と書く時、それは、ただお一方、イスラエルの神を思い浮かべているのです。その神こそが、唯一の神であり、それは他の何物でもないです。
従って、381年コンスタンティノープル公会議で採択された三位一体の教義、三位一体の"神"が、言い換えれば、父と子と聖霊とが三つにして一つ、という神に関する理解を、パウロの目の前に示されたとしたら、その相手をパウロは殴り倒していたでしょう。「イスラエルの神を、偶像によって、侮辱するな!」と。
神を侮ってはいけません。この「神」は、イスラエルの神のことです。
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パウロの書簡を丁寧に読んで、異邦人に対して宣教された異邦人への福音を正しく理解するなら、まず、その人には、「自分は異邦人である」。「自分は異邦人であって、アブラハムの血筋を受け継ぐイスラエル人/ユダヤ人ではない」。という自覚が、明確に、生まれるでしょう。なぜなら、パウロが、そのような立場の人に向けて、書簡を書いているからです。(ヘブル書のように、イスラエル人/ユダヤ人に向けて書いている書簡もあります)
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このイスラエルの神に、「神は愛です」と書かれているそのままに、イエス・キリストを心の底から信じた人は、愛されるのです。
異邦人である日本人。仏教や神道が国の隅々まで覆っていたこの日本に生まれた日本人であるあなたも私も、御子イエスを愛する信仰のゆえに、イスラエルの神が愛して下さるのです。
イスラエルの神は、空も風も海も生き物も草木も。すべてをお造りになった方です。
また、人間をも、あなたも私もあの方もこの方も。母の胎内にいる前から造られた方です。この、すべてをお造りになった、全能の愛の方が、異邦人である私たちを愛して下さるのです。
この「愛」が、信仰のゆえに、リアルなものとして感じられるようになった時。それは、ハンパでは、ありません。
いかに優れた愛か。いかに人間の理解を超えた愛か。いかに透徹した愛か。いかに染み渡り、いかにすべてのものに満ち満ちている愛か。被造物をどれだけ愛されているか。生き物にある「いのち」をいかに愛しておられるか。人間を、一人一人を、いかに愛しておられるか。いかに、御子イエスの十字架と復活によって、それら一人一人を救おうと思っておられるか。
それが、わかるのです。
イスラエルの神は、生きて働かれる神です。
三位一体の物言わぬ偶像とは、まったく、まったく、まったく。まったく、まったく、まったく異なる、本当の神。主イエスが唯一のまことの神とおっしゃった方です。
その方に、愛されているということを知った時。その人の人生は、一変します。
主イエス・キリストが十字架によって、救って下さったからこそ、イスラエルの神が、言い換えれば、天の父が、その人を愛して下さいます。