私たち日本人は「八百万の神」という表現に違和感のないこの日本に生まれ、また、「諸仏」という言葉に表れている多数の仏教系の本尊などが町々のお寺にあふれている中で育ってきています。神道を信仰していなくても、仏教を信仰していなくても、少なくとも千数百年(仏教伝来以来千数百年)、そうした諸神や諸仏が日本人の心を占めてきた民族的な伝統を引き継いで、生きてきています。
ふだん意識することはないとしても、例えば、最新作のNetflixで公開されたアニメのストーリーに、そうした「諸神」や「諸仏」を崇拝する異教的な宗教の心が反映されているのを読み取ることは容易ですし、不祥事を起こした有名人を執拗に叩くメディアやSNSに表れている日本人の心性の中に、「諸神」や「諸仏」のマイナスの影響を見ることができます。
日本人が「神」と言う時、悲しいですが、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」を思い浮かべることは、まず、しません。この神は、新約聖書の福音書の中では、御子であるイエスによって「天の父だ」と紹介されています。
日本人にとって、新約聖書の各所に書かれている「イエス・キリスト」を情報としてな学び、知識として知ることはたやすいです(それでも本当に「信じる」ことは難しいです)。
しかし、日本人にとって、聖書で記されている「天の父」という神を知り、かつ、愛するということは、極めて難しいです。「神」と言う時、思い浮かべるものが、非常にモヤモヤとしています。
この天の父を愛する愛について、ヨハネの手紙第一では次のように触れています。
世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。
第一ヨハネ2:15
この「御父を愛する愛」。ヨハネが特別に強調しているように読み取ることができる「御父を愛する愛」。日本人は、この「御父を愛する愛」をどのように理解すればいいのか?聖書のどこにお手本を求めれば良いのか?
日本人にとって極めて重要な「御父を愛する愛」について、聖書を根拠として、説明して行きます。
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