すべての神に選ばれた人たちへ(エペソ1:4参照) | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Julie Falk

 

 

こちらの教会では、旧約聖書を参照しつつ新約聖書が教えている通りのことを信じ、新約聖書が教えている通りに信じて行動し、使徒の働きのペンテコステの所に記されているのと全く同じ本当の聖霊を、天の父から御子イエスの名によって下らせていただいて、使徒の働きやパウロ書簡などに記されている初代教会と全く同じキリスト教会を回復させて、その教会を天の父と主イエス・キリストとが愛して下さる、と言うことに本気で取り組んでいます。

実に天の父の愛は、日ごとに新しく、主イエス・キリストの救いは日に日に新たです。毎日、しるしや不思議が起こります。

また、兄弟姉妹同士がフラットな関係で、愛し合っています。イエス・キリストが「あなた方は先生と呼ばれてはなりません」と教えた通りに、偉い人、高い所から教えを垂れる人はおらず、兄弟姉妹はフラットな関係で、先輩が後輩に教える的な聖書の学び、信仰の学び、イエス・キリストの弟子になることの学びを学んでいます。



聖書を曇りのない目でよく読むと、主イエス・キリストの救いは、予め、神である天の父に選ばれた人たちのものであることが理解できます。キリスト教会一般は「すべての人が救われる」的な考え方をして、色々な人に洗礼を授け、教会員としていますが、それは、旧約聖書、新約聖書を通じて基底を貫いている「神の選び」を無視する考え方ですし、新約聖書の所々に書いてある「主イエス・キリストにある召し」をないがしろにする姿勢です。

三位一体が間違いである、三位一体の教義が報じている「父と子と聖霊とが三つにして一つの神」は3〜4世紀の司教達がコンスタンティノポリス公会議等で議論百出の上多数決で定めた人工的な神であり、モーセに与えられた十戒できつく戒められた偶像に他ならず、従って、それを掲げるキリスト教会群には、イスラエルの神であられる天の父はおらず、御子イエス・キリストはもの言わぬ偶像であり、聖霊も下っていない、ということについては、このサイトで何度も繰り返し述べてきていますから、この投稿ではくどくど書きません。

どのキリスト教会に属しているかを問わず、それはまた、全くキリスト教会に所属していない人にも言えることですが、エペソ1:4で記されている、神によって選ばれている人が、この世の中のどこかにいます。

 

私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。
すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました
神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。
それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。

エペソ1:3-6

そういう人が、異邦人でありながら、主イエス・キリストを信じる信仰のゆえに、終わりの時代に東からも西からも集められるということが、旧約聖書、新約聖書を通して読むと、わかります。神は、すなわち、天の父は、イスラエルの神であられ、イスラエル人/ユダヤ人を救うために、まず、異邦人を主イエス・キリストにあって完成させ、信仰によるイスラエルとした上で、イスラエル人/ユダヤ人を御子イエスの下に引き寄せる、というのが、異邦人のために召された使徒パウロの信仰です。おそらく、というより、間違いなく、これを啓示として神から直接教えられたのでしょう。(ローマ11章を参照)

つまり、異邦人にも、エペソ1:4に書かれている世界の基が置かれる前から主イエス・キリストにあって選ばれた人、また、第一ペテロ1:2に書かれている、天の父の予知に従って選ばれた人がいる訳です。その異邦人は、可能性として、カトリック教会の中にもいるでしょうし、またプロテスタント教会の中にも、可能性としては、います。(しかしプロテスタント教会で洗礼を受けると、プロテスタント固有の聖書引用主義が霊と魂と体に染み付いてしまい、これから逃れるのが大変です。真正な聖霊が下りにくい人になってしまいます)

 

父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ。どうか、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。
第一ペテロ1:2

カトリック教会の中に、世界の基が置かれる前から、主イエス・キリストにあって選ばれた人がいるのだと思います。

いずれにしても、所属している教会や会派の別を問わず、天の父から、自分が生まれるはるか前に選ばれた人がいます。そうした人が、異邦人でありながら、主イエス・キリストを信じる信仰のゆえに、アブラハムの子孫となり、天の父の息子、娘となって、終わりの日に、真正な聖霊が下って、一つに集められます。

 

その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。
その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。
わたしは天と地に、不思議なしるしを現わす。血と火と煙の柱である。
主の大いなる恐るべき日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。

ヨエル2:28-31

 

恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしは東から、あなたの子孫を来させ、西から、あなたを集める。
わたしは、北に向かって『引き渡せ』と言い、南に向かって『引き止めるな』と言う。わたしの子らを遠くから来させ、わたしの娘らを地の果てから来させよ。
わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。

イザヤ43:5-7

あなたがたに言いますが、たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食卓に着きます。
マタイ8:11

真正な聖霊が下ると、何が真理かをわからせてくれます。
また、キリスト教会内にある誤解や、人間が作った教えに気づかせます。
また、信仰が同じ兄弟姉妹を見分けます。

そうして、パウロが「一つ」と書いているように、それらの人々は一つに集められて、終わりの日に現されるように預言されている、本当の救いを受け継ぎます。(ペテロの手紙参照)
また、主イエス・キリストがおっしゃっているように、イスラエル人/ユダヤ人と、異邦人とが、同じイエス・キリストを主として仰ぐ一つに群れとなります。

 

平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。
からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。
主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。
すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。

エペソ4:3-6

 

あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりのときに現わされるように用意されている救いをいただくのです。
第一ペテロ1:5

わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。
ヨハネ10:16

これは、天地創造をなさった神が、聖書を通じて預言されていることであり、御子であるイエス・キリストを信じる信仰を持つように定められた、ご自身の息子たち娘たちを集める、神の御業として、そうなさるのです。人間の聖書解釈があるかどうかとは全く関係なく、神の御業として、そういうことが起こります。聖書に書いてある通りのことが起こります。