いつくしみと恵みとが私たちを追いかけてくる(詩篇23) | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of J_D_L

 

私たちの教会は「異端」と言われることを恐れません。

過去数カ月、ここの投稿で書いてきたように、三位一体は、人がこしらえた偶像であり、この偶像(三位一体の神=父と子と聖霊とは三つにして一つの神)は、旧約聖書で何度か記されている神である主が忌み嫌われること、すなわち新約聖書で主イエス・キリストによって「天の父である」と証しされた唯一のまことの神(ヨハネ17:3)に忌み嫌われることです。つまり、三位一体のキリスト教会にいて宗教的な行動を行うことは、天の父に忌み嫌われることなのです。

少し英語ができれば、325年ニカイア公会議と381年コンスタンティノープル公会議とに集まったbishop(司教)達がどのような宗教的バックグラウンドを持った人達であるかが、関連資料を調べることによってよくわかります。また、三位一体を教義として規定しているニカイア・コンスタンティノポリス信条をよく読めば、これを作り上げた人たちが「天の父」を全く知らない人達であり(記述がほとんどない)、また聖霊を知らない人達であったことも容易に推察されます(記述がほとんどない)。


当時確定しつつあった福音書など「文字で書かれたイエス・キリスト」のことを、知識・情報として知ってはいるが、天の父のことも、聖霊のことも、よくわからない人達がニカイア・コンスタンティノポリス信条を書き、それによって三位一体の教義が定まり、それがほぼ全てのキリスト教会を支配するようになった。なぜなら、「三位一体を否定する者は『異端』である」という方針が、それ以降のキリスト教会群を支配していったからです。

しかし、パウロ書簡をよく読み込んで、パウロが信じていた信仰を回復し、また、使徒の働き、ヨハネの手紙、ヤコブの手紙、ペテロの手紙から、初代教会の祈り方(罪を言い表す祈りなど)を回復し、初代教会と同じように兄弟姉妹がフラットな関係で愛し合うことを実践してみると、驚くべきことがわかってきます。

その、わかってきた驚くべきことを、ここの教会のブログでは投稿として書き、音声メッセージとしてシェアしています。

○神の言葉は生きていて、生ける神であられる天の父の御業は愛に満ちている

聖書で記されていることは、天の父が生ける神であり、主イエスが生ける神の御子であられて私たちのために執り成して下さるがゆえに、聖書で書かれているがままに成就するのです。

福音書で主イエス・キリストがおっしゃったことは、単に「聖句」としてそこに書いてあるだけではなく、リアルに、私たちの毎日の生活の中で、現実になるのです。そこに神であられる天の父が働かれるのです。イエス様がおっしゃったことは、全て本当で、全てその通りになるのです。

神の言葉を侮ってはいけません。
神の言葉は、神の真実を伝えており、生きています。
従って、本当の信仰を持つ人々に、神の働きを伝えます。そうして、信仰があれば、主イエス・キリストの名によってなにかをなした時に、その神の言葉の通りのことが起こるのです。これが、イエス・キリストが福音書で伝えている「信仰」です。

そうした神の言葉の通りのことが、信仰者において起こるのは、そこに「生ける神であられる『天の父』」が、天地万物を創造した方として、働いておられるからです。実に、モーセの時代にイスラエルの民をエジプトから引き出した方が、21世紀の現在に、本当の信仰を持つ異邦人に、主イエス・キリストを信じる信仰のゆえに、自分たちの神として、また、イスラエルの神として、働いて下さるのです。それは、神は愛であると書かれている通り、愛の御業として展開します。

御子イエスが執り成し、天の父が動かれると、必ず、その後には「愛が満ちている」という印象を持ちます。その当人にだけでなく、周囲にいて同じ信仰を持つ人たち全員に、その印象が染み渡ります。そうして自然と、執り成して下さった主イエス・キリストに対する感謝が沸き起こり、栄光を現して下さった天の父に対する賛美が沸き起こります。

 

○私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。

 

詩篇23篇に「いつくしみと恵みとが私を追いかけてくる」という表現がありますが、あれは、本当です。本当に、毎日の生活の中で、「いつくしみと恵みとが私を追いかけてくる」という経験をします。いつくしみも、恵みも、あふれるのです。本当の神が、生きた神として、その人に、主イエス・キリストを信じる信仰によって、働かれるのです。

その神は、三位一体の偶像とは全く異なる、神学を一切拒絶する、イスラエルの神です。隠れた所に天の父がおられると、御子イエスがおっしゃった神です。イスラエルの神は生きておられる!ハレルヤ!

 

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

詩篇23