朝の礼拝:口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Marco Verch

 

 

主イエスと食事をする教会では、毎朝5分程度、その日の聖句を読んで、簡単に解説を加え、その上で、大祭司であられる主イエス・キリストを通じて、天の父を礼拝するという、霊とまことによる礼拝(ヨハネ4:23-24)を行なっています。


今日の聖句は
エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。
その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。
この方は主を恐れることを喜び、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、
正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す。
正義はその腰の帯となり、真実はその胴の帯となる。

イザヤ11:1-5

ここの部分は、エッサイの子であるダビデ。そしてダビデの子孫であるイエス・キリスト。イエス・キリストのことを預言者イザヤが預言していると解釈されています。

それは正しいと思います。

そうして、その先があります。

イエス・キリストは、「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。」(ヨハネ14:12)と言っています。
つまり、このイザヤ11:1-5は、イエス・キリストについて預言していると同時に、いずれ、イエス・キリストを信じることになる人々のことをも預言しているのです。

そのように捉えると、パウロがエペソ6章で霊的な戦いのことについて触れていたり、イエス・キリストが弟子たちに権威を授けて「蛇やさそりを踏み付ける力」について教えていたりすることも、よく理解できます。つまり、「口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す。正義はその腰の帯となり、真実はその胴の帯となる。」は、そうした、イエス・キリストを信じている人々が行う、敵の霊に対する戦いについての預言だと言うことができるのです。