結婚のたとえで理解する「神と自分との関係」 | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

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結婚したい人は、よく、このように考えます。

「私は結婚したい。だから、良い結婚相手を連れてきて下さるのが、イエス・キリストだ」

あるいは、

「私は結婚したい。だから、良い結婚相手を連れてきて下さるのが、『主』だ」

あるいは、

「私は結婚したい。だから、良い相手を連れてきて下さるのが、私が通っている教会が教えている、キリスト教の神様だ」

○本当の神は天の父。イエス・キリストはメシア(神と人との間で執り成す方)

神を「イエス・キリスト」と呼ぶか、「主」と呼ぶか、「キリスト教の神様」と呼ぶか。この混乱には、三位一体の「父と子と聖霊とが三つにして一つ」という、非常にわかりにくい、人工的な神 -- その実、神でも何でもない物言わぬ偶像 -- の弊害がある訳ですが、それは脇に置きましょう。

本当の神は、
創世記で何もないところから天地創造をなさった神=
アダムをお造りなさった神=
アブラハムに現れた神=
モーセを用いてイスラエル人をエジプトの奴隷状態から脱出させた神=
ダビデが毎日のように礼拝し賛美を捧げていた神=
御子であるイエス・キリストが「唯一のまことの神」と呼んだ神(ヨハネ17:3)=
パウロが書簡で「唯一の神」と書いた神(ローマ16:27、第一コリント8:4、8:6、第一テモテ1:17)=
福音書で主イエス・キリストが「天の父」と紹介された神
です。

この神はプロテスタント教会群の人達が「主」と呼ぶ神ではないですし、この神は「イエス・キリスト」でもありません。

誤解のないように整理すれば、「イエス・キリスト」は、
イスラエル人達が旧約聖書の預言に基づいて、いつか現れれると期待していた「メシア」=
油注がれた方(The Annointed)=
「王の王」=
唯一のまことの神であられる天の父の右の御座にいらっしゃって、人間を天の父に執り成して下さる方
です。

イエス・キリストは、上記の唯一のまことの神であられる天の父に、私たちを結び付けて下さる方。
イエス・キリストの十字架と復活によって、信じた私たちを、上記の唯一のまことの神であられる天の父の子供とさせて下さる方。すなわちメシア。
イエス・キリストは、道であり、真理であり、命であられる方。この方を通して、唯一のまことの神であられる天の父を礼拝することができるようになります。

 

イエス・キリストは「御子」であり、「御子からみて『神』であられる方」が「天の父」です。

○「私が○○○○したい」と願うのは正しいか?

それらを踏まえると、結婚したい人が、願うべき内容は、
「私は結婚したい。だから、良い結婚相手を連れてきて下さるのが、天の父だ。イエス・キリストを信じる信仰のゆえに、天の父が、私に良い結婚相手を連れてきて下さる」
となります。

これは正しいか、間違いか?

就職や仕事の成功についても、同じことが言えます。

「私は良い会社に就職したい。だから、良い会社に就職できるようにして下さるのが、天の父だ」
「私は仕事で成功したい。だから、仕事で成功させて下さるのが、天の父だ」

病気の癒しについても、これが言えます。

「私はこの長いこと苦しんでいる病気から癒されたい。だから、この病気を癒して下さるのが、天の父だ」

このように考えることは、正しいのか、間違いなのか?

○神よりも自分を優先させる考え方のクセ

上記の例はいずれも、「私が」「私が」と考えています。「私がこれこれこうだから、天の父がこうして下さって当然だ」と考えます。これは、唯一のまことの神である天の父よりも、「私」を優先させている考え方のクセです。現代人に固有のクセです。ほぼ全てのキリスト教会に認められますし、クリスチャンと言われる人達のほとんどが、このように考えています。

これはよろしくない。

神よりも自分を優先させて、「私が、これこれこういうものを必要としているから、天の父が与えて下さって当然だ」と考える。
(もっとも、もの言わぬ偶像である三位一体を掲げているキリスト教会群の中にいると、偶像である「主」や偶像である「イエス・キリスト」を神として願うので、前提自体が間違っている訳ですが…)

○あなたを母の胎内で形作ったのは天の父

そもそも、唯一のまことの神であられる天の父は、何もないところから天地万物を創造された方です。また、土の塊にご自身の命の息を吹き込んで、人間を生きたものとされた方です。

福音書には、頭の毛ですら全部が天の父によって数えられているとあります(マタイ10:30)。
つまり、あなたを何もないところから形作って、生まれさせたのは、天の父なのです。

ガーン!かも知れません。実はそうなのです。

私を胎内で造られた方は、彼らをも造られたのではないか。私たちを母の胎内に形造られた方は、ただひとりではないか。
ヨブ31:15

生まれる前から、私はあなたに、ゆだねられました。母の胎内にいた時から、あなたは私の神です。
詩篇22:10

あなたを造り、あなたを母の胎内にいる時から形造って、あなたを助ける主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだエシュルンよ。
イザヤ44:2

あなたを贖い、あなたを母の胎内にいる時から形造った方、主はこう仰せられる。「わたしは万物を造った主だ。わたしはひとりで天を張り延ばし、ただ、わたしだけで、地を押し広げた。
イザヤ44:24

あなたをお母さんの胎内で形作り、世に生まれさせたのは、唯一のまことの神であられる方、天の父なのです。

○仏教徒も神道の人もイスラムの人もヒンズーの人も、皆、天の父が形作られた

これは、仏教徒であれ神道の方であれ、イスラム教徒であれヒンズー教徒であれ。無心論者であれ悪魔崇拝者であれ。ヒーリングやオーラ診断やツインレイなどに没入されている方であれ、同じです。なぜなら、この神は唯一のまことの神であり、よそで信じられている神と呼ばれるもの、仏教の諸仏や神道の神々やイスラームの神アッラーや、ヒンズーのシヴァ、ビシュヌ、ブラーマ、カーリ、クリシュナ、ガネシャなどなとや、悪魔崇拝の文脈のルシファーやバフォメットやベルゼブブや。そうしたものを信じている人達においても同じです。

そうした人、一人一人をお母さんの胎内で造られた方は、唯一のまことの神であられる天の父なのです。

なぜなら、この神こそが、唯一のまことの神であるからです。

その他の、世界各国や日本で神として信じられれているものは全て、「霊」に過ぎません。「霊」は無から天地万物を創造することができません。同様に、何もないところから、母の胎内で人間を形作ることなどできません。仏教の諸仏も同様。神道の神々も同様。イスラームのアッラーも、ヒンズーのシヴァ、ビシュヌ、ブラーマなども同様です。それらは、その地域で崇拝されている「霊」に過ぎません。聖書の文脈ではルシファーと同じ時に天から落とされた御使いです(イザヤ14:12の前後、黙示録12章)。

この「霊」を「神」として信じても、悪いことが起こるだけです。その霊の奴隷になるだけです。支配され続けます。その地域も人々も経済も文化も。日本に広く見られる、ほぼ全ての人が目に見えないものの奴隷になっている状況は、その典型です。

○自分の結婚について考える時、何を優先させるべきか?

話を結婚に戻します。

自分は結婚したい。だから、神である天の父が、良い結婚相手を私に連れてきて下さって当然だ。このように考えて、このように祈る。それは良いことなのか?

違います。良いことではありません。
もっと、やるべきことがあります。もっと優先すべきものがあります。

神の言葉の集大成である聖書では、次のように教えています。

「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」
そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
これがたいせつな第一の戒めです。

マタイ22:36-38

唯一のまことの神である「主」。この「主」はイエス様が亡くなられてから、後代のキリスト信徒が「主」(Lord、ギリシャ語でKurios     Κυρίου) 呼んだ「主」ではなく、紀元30年前後に生きておられたナザレのイエスが、ユダヤ教徒として育てられ毎週安息日に会堂に通って教えに接してきた際の「主」(ヘブライ語でアドナイ)。つまり、

創世記で何もないところから天地創造をなさった神=
アダムをお造りなさった神=
アブラハムに現れた神=
モーセを用いてイスラエル人をエジプトの奴隷状態から脱出させた神=
ダビデが毎日のように礼拝し賛美を捧げていた神=
御子であるイエス・キリストが「唯一のまことの神」と呼んだ神(ヨハネ17:3)=
パウロが書簡で「唯一の神」と書いた神(ローマ16:27、第一コリント8:4、8:6、第一テモテ1:17)=
福音書で主イエス・キリストが「天の父」と紹介された神

のことを言っています。

すなわち、イエス・キリストは、この天の父に関して、「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」と教えているのです。

これは絶対です。
この、唯一のまことの神であられる天の父を、「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして」愛する。これは絶対なのです。神の人として生きる際の、絶対的な条件です。イエス・キリストの弟子となる際の絶対的な条件です。これなくしては、何も起こりません。聖書で約束されている、全ての事柄は、このことを大々前提としています。

天の父のことを、心を尽くして愛さないでいて、「私の結婚相手を連れてきて下さい」と願うのは…虫がいいと言うよりも、そもそも、存在の根幹が間違っています。

神が最優先なのです。
自分を、無から、母の胎内で形作って下さった方は、天の父なのです。
その方を、心から愛するのが最優先なのです。

そのように、天の父を、心から愛することを日頃から心がけていれば、むしろ天の父の方が、本当のお父さんとして、その人に、もっともふさわしい配偶者を連れてきてくれます。

僭越ですが、私は、身をもって、そのことを経験しました。
離婚を3回繰り返しましたが、主イエス・キリストにあって神の国とその義を第一に求める生き方に転換してから、現在の妻と巡り合い、実に様々な天の父からいただける奇蹟や恵みや祝福を毎日のように経験しています。最高の妻です。これこそが、創世記において、アダムとエバをお造りなさった神が、男と女に与えた祝福だ!と呼べる祝福を、いつも経験させられています。これに関連しては、以下の投稿でも、夫婦の性生活に関する祝福について書きましたので、ぜひともお読み下さい。

クリスチャンとセックス及び性欲(4)- 男と女が一体になることの根源的な祝福とその回復
https://ameblo.jp/sasuke-memo2/entry-12740524907.html

○神の国と神の国を第一に求めれば、必ず天の父が配偶者をご用意なさる

神を、まず、最優先にする。それに関する教えは、キリスト信徒にとって、最も重要な教えの一つである以下の聖句にも表れています。

きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

マタイ6:30-33

ここで、イエス・キリストが教えておられる「神」は、上で述べてきた天の父です。

「神の国」については、イエス・キリストが福音書で様々に説明なさっています。そのまま受け止めて、そのまま信じて下さい。信仰こそが、神の国を理解し、神の国を信じる自分と自分の周囲にもたらすことができる大前提です。

「神の国」とは、唯一のまことの神であられる天の父の神の御業が、御子でありメシアであるイエスの名のゆえに働く、すばらしい状況、状態、領域、神と自分との関係性、神殿、エデンの回復です。

それを、第一に求めなさいと、イエス・キリストは教えています。

「神の義」は、イエス・キリストの教えの一切、だと受け止めれば良いでしょう。イエス・キリストの教えの一切を守ることによって、神の義を求めていることになります。

それらを第一にしなさいと、イエス・キリストは教えています。

そうした上で、自分の結婚について願うのです。

そうすれば、願う前から、その人に最良の結婚相手が必要だと、天の父はご理解なさっていますから、必ず、最良の人を連れてきて下さいます。

なぜなら、その人が、天の父のことを心から愛し、天の父の息子や娘になっているので、また、毎日神の国と神の義を一生懸命に求めているので、その人がかわいくてかわいくて仕方がない訳ですから、その人の繁栄を見たいからです。すなわち、アダムに与えた、生めよ増えよ地を満たせ、地を従えよ、という祝福そのままに、その人においても、同じ祝福を与えて下さるからです。

私も妻の亜佐子も、それを、毎日のように経験しています。

ハレルヤ!