撮影:今泉大輔
以下の投稿の続きです。
その「孤独」が癒されるために(1)
「自分のストーリー」を考え続ける悪霊 - その「孤独」が癒されるために(2)
ほぼ全ての人は、本当の神=主イエス・キリストが「唯一のまことの神」とおっしゃった方である天の父(ヨハネの福音書17:3)との関係が確立していませんから、常に、人間関係を起点として物事を考えています。
これが、本当の神=天の父との関係が確立すると、天の父との関係を起点に世界を見るようになり、自分に与えられた恵みや祝福に目が行くようになり、そうして、人間関係を、少し離れて、見られるようになります。すなわち、人間関係から自由になります。
イエスがこれらのことを話しておられると、多くの者がイエスを信じた。
そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。
そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
ヨハネ8:30-32
○真理はその人を自由にするし、耳のある人にはこれが聞こえる
イエス・キリストは、この世で、この世の神々に囚われている人々を、自由にするために、この世に遣わされました。誰が遣わしたかと言えば、イエス・キリストの父に当たる方、天の父です。
天の父は、旧約聖書で天地万物を創造された神。アブラハムに現れた神であり、モーセを用いてイスラエルの民をエジプトから脱出させた神であり、旧約聖書の各所でイスラエルの神と呼ばれている方です。私たち日本人はイスラエルの神から見れば「異邦人」ですが、使徒パウロにイエス・キリストから直接伝えられた異邦人に対する福音によって、私たち日本人もイスラエルの神の息子、娘となることができるようになりました(新約聖書中のパウロ書簡各書を参照)。
不幸にして4世紀に当時の司教達が人為的にこしらえた神である三位一体の神がキリスト教会群を覆ってしまったがために、このイスラエルの神が見えなくなっていましたが、今日、この神がご自身を現そうとなさっており、本当の神がどなたであるのか、諸々の御業によって、知らしめておられます。このイスラエルの神の子供になることができるというのが、イエス・キリストを信じた人の特権です(ヨハネの福音書1章)。
天の父は、聖書全巻を通じて語られているテーマ、すなわち、「ご自身がお選びになった民を新天新地に招き入れる」ために、イエス・キリストを遣わしています。「ご自身がお選びになった民」を、イエス・キリストによって、自由にするのです。
つまり、この福音を聞くことができる方は、イエス・キリストを信じる信仰が与えられ、それによって、イスラエルの神の息子、娘となり、そうして、この世の神々がもたらした諸々から自由になることができます。
そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。
ヨハネ8:32
別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。
耳のある者は聞きなさい。
マタイ13:8-9
耳のある人には、この福音が聞こえます。
○主イエス・キリストにある自由=本当の聖霊をいただいて自分が刷新されること
主イエス・キリストにあっていただける自由。一度、この自由を知ると、色々なものから自由になります。
この自由は、信じたことで天の父から、御子イエスの名によっていただける神の霊である聖霊と、密接に結び付いています。
簡単に言うと、自分において、霊的に刷新されるので、自由になる、というところがあります。
これは、頭で考えてもわからないことです。パウロは、聖霊のことは聖霊によって理解するという意味のことを言っています(第一コリント2:14)。
主イエス・キリストにある自由=聖霊をいただいて自分が霊的に刷新されること、と理解して良いでしょう。この理解をしっかりと得るには、聖書をよく勉強しなければなりません。
残念ながら、三位一体を掲げる全ての教会においては、三位一体の神が偶像であるがために(聖書の神は、偶像を忌み嫌います)、聖霊が下っていません。ですから、この、主イエス・キリストにある自由ということが、わからないですし、経験していないですし、教えられません。それは大変に悲しいことです。
今日では、新約聖書に記されている初代教会が回復しており、聖書に書いてあるがままの信仰を持つことによって、本当の聖霊が下ります。そうすれば、その人は、主イエス・キリストにある自由が、なんであるかを、よく知ることができるようになります。
つまり、人間関係からも、自由になることができます。
○親との関係にあった縛りから自由になることができる
御子であるイエス・キリストを信じる信仰により、天の父=イスラエルの神の息子、娘となって、イエス・キリストが介在する天の父との自分の関係を起点として、一人一人の人間との関係を見られるようになると、そこに、以前のような縛りがありません。
自分の親との関係。率直に言って、面倒臭いです。たくさんの面倒臭いものが絡まっています。父親に対しても、母親に対しても。普通は、父親も、母親も、主イエス・キリストにある自由によって、自由になっていませんから、言い換えれば、この世の神々の有形無形の影響を受けて、価値観や考え方や行動様式がガチガチに縛られていますから、親子関係は、ひたすらに面倒臭いものとなります。
こうした親との関係も、主イエス・キリストにある自由を得た後では、イコール、本当の聖霊が下った後では、少し離れて見ることができるようになります。つまり、面倒臭い親子関係に縛られている状況から、脱することができるようになります。
親が育ってきた背景や、親の親に当たる祖父母との関係。また、そこにある親子関係の縛り。日本固有の仏教の諸仏の影響としてある、諸々の桎梏(縛り)。そうしたものを、「子供として、憐れむことができる」ようになります。
「ああ、お父さんも、大変だったんだな」、
「ああ、お母さんも、大変だったんだな」
と。
こうした想いは、自分の努力によってやって来るものではありませんし、宗教的な修行によって得られるものでもありません。ひとえに、まことの神であられる天の父から、御子イエスの名によって、信じた人に遣わされる神の霊である聖霊によって、自分の心も体も刷新されることによって、そうした想いを得ることができるようになるのです。これを、イエス・キリストの憐れみ、と呼ぶことができます。イエス・キリストの御心を持つことができるようになるのです。それが聖霊の働きです(ガラテヤ5章、ヨハネ14章〜17章)。
○配偶者との関係にあった縛りから自由になることができる
配偶者である妻や夫との関係も同様です。その関係を、天の父との関係を起点として、それが大前提であるものとして、それが第一であるものとして受け止めることができるようになると、妻との関係が、夫との関係が、縛りのないものに変化します。
これは、聖霊によって、自分が変化するから、考え方も変わり、関係性も変わるのです。つまり、夫婦関係に、自由があるようになります。このようになると、神様からの祝福や恵みにも、毎日のように気づくようになります。以下の投稿で記したことも、そういうことです。
結婚のたとえで理解する「神と自分との関係」
https://ameblo.jp/sasuke-memo2/entry-12744590350.html
○学校や職場の人との関係にあった縛りから自由になることができる
学校や職場での人間関係も、また、同様です。
まことの神である天の父と、自分との関係 -- その関係はイエス・キリストの十字架と復活によって確立したものです -- が自分にとってのメインの関係となると、学校や職場で毎日のように顔を合わせる人達、一人一人との関係にあった縛りが、なくなります。
主イエス・キリストにある自由を起点として、その人達を見られるようになるし、その人達に接することができるようになります。言い換えれば、人間関係で、悩まなくても良くなります。
○そうして孤独から解放される
ただし、学校や職場にいる人の中には、イスラエルの神に敵対する神々から来た霊(悪霊と総称することができます。聖書で言う悪霊です)を持っている人がいて、そうした悪霊がいる人は、イエス・キリストを信じてイスラエルの神の息子、娘になっている人々を猛烈に嫌いますから(中の悪霊がそのようにさせるのです。その人の意図、考え、意識とは関係なく、中の霊がそうさせるのです)、自分に意地悪な行為を繰り返すことがあります。
その場合には、そういう時に対処できる祈りをして、自分の父である天の父に、イエス・キリストの名によって、助けてもらいます。この祈り方については、色々な深いことがありますから、ここで書くことはできません。機会があったら、私に直接尋ねて下さい。その方が、本当にイエス・キリストの弟子になる方であるのでしたら、お教えします。
総じて言えることは、イエス・キリストを本当に信じて、本当の聖霊が下るならば、人間関係から自由になることができ、人間関係で悩まなくても良くなります。親に対しても、配偶者に対しても。自分の子供との関係も、もちろんそれに含まれます。また、周囲にいる人、毎日会う人などとの関係からも、自由になります。それは、素晴らしい自由です。
そうして、気づけば、孤独からも解放されています。