1世紀のパウロの視点で聖書を読み解く | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesy of Terry Goodyer

 

意外かも知れませんが、イエス・キリストは本来、ユダヤ人のための救い主です。パウロ書簡をよく読めば、そのことがはっきりと理解できます。
しかし、順序として、まず異邦人の完成が成り、続いて、ユダヤ人が妬みを起こして、最終的に、ナザレのイエスこそがメシアであると認めざるを得ない状況となり、悔い改めの後、イエスを受け入れます。そのことは、パウロに示された啓示として、ローマ人への手紙11章に書かれています。

紀元1世紀のパウロの視点で聖書を読み解くことの利点は、多々、あります。
紀元1世紀に主イエス・キリストが神の国の福音を説き、パウロが異邦人に向けられた使徒としてやはり神の国を論じていた頃の文脈で聖書を読むことで、新たに得られる気づきは、無数にあります。それに取り組んでいるのが、ある時期まで英国国教会で重鎮を務めていた、現代の神学のトップランナーであるN. T. ライトです。

N. T. Wright

N. T. ライトの近著を読むと、ニカイア公会議以降、千数百年にわたってある種の因習として続いてきたキリスト教会 -- そのキリスト教会群は、使徒の働きに記されている初代教会とは似て非なる、異教の要素を色濃く持つ教会群です -- が、いかにパウロの宣べ伝えていた福音から遠くなっているか、また、パウロが宣べ伝えていた神の国が、死んでから行くものではなく、この地の上で生きているうちに実現される、本当の聖霊が下って、人自身が本当の神の神殿となる --その神の神殿とはイスラエルの神の神殿と言うことです --。そうした、イエス・キリストとパウロとが1世紀に教えていた本当の福音、本当の救いが、どのように、想像を絶するものであったか、そのことが、よく理解できます。

福音とは途方も無いものであり、本当の聖霊が下ると、その人が本当に神の人となり、使徒の働きに記されている、ステパノに現れていたような、生ける神が生きていることの現れとして起こされるしるし、不思議が、常に伴う(しかし、しるしや不思議を目的とする信仰生活では、断じて、なく)、本当に、生ける神がそこに生き生きといらっしゃって、生ける神の御子イエスの執り成しが、生きた形である、そうした、人知をはるかに超えた神の御業…それこそが、本当の福音であり、神の国である、と言うことが、よく理解できるようになります。