ダビデのゴリアテ退治から「支配する霊」に対する戦いを学ぶ(3) | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

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1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Courtesey of Terry Goodyer

 

聖書全巻を読み解くキーワード「支配する」「支配される」(1)
支配する/される図式。エジプトのイスラエル人と現代の日本人(2)
の続きです。

第一サムエル17章で、ダビデがペリシテの巨人ゴリアテ(ゴリヤテ)と戦う場面は、霊的な戦いとして読むことができます。ここから霊的な戦いに関するたくさんの事柄を学べます。

○ダビデは何に対して憤っていたのか?

創世記から始まって黙示録に至るまで、聖書全体は、神に祝福された民族が、敵の霊によって奴隷になる時期があるけれども、神の御子であるイエス・キリストによって奴隷状態を脱して、新天新地に入る歴史として読むことができます。

ここには、一つの戦いが、通奏低音のように常に存在しています。

神に選ばれた民族と、神に敵対する霊=サタンとの戦いです。

第一サムエル17章のダビデの言葉を読むと、彼が、ゴリアテに対して猛烈な憤りを感じていることがわかります。神に選ばれている民族イスラエルをなぶるとは何者だ?という憤りです。

そのペリシテ人はまた言った。「きょうこそ、イスラエルの陣をなぶってやる。ひとりをよこせ。ひとつ勝負をしよう。」
サウルとイスラエルのすべては、このペリシテ人のことばを聞いたとき、意気消沈し、非常に恐れた。

第一サムエル17章

イスラエルの人たちは言った。「あの上って来た男を見たか。イスラエルをなぶるために上って来たのだ。あれを殺す者がいれば、王はその者を大いに富ませ、その者に自分の娘を与え、その父の家にイスラエルでは何も義務を負わせないそうだ。」
ダビデは、そばに立っている人たちに、こう言った。「このペリシテ人を打って、イスラエルのそしりをすすぐ者には、どうされるのですか。この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか。生ける神の陣をなぶるとは。」

第一サムエル17章

「生ける神の陣をなぶるとは!」。これがダビデの憤りです。ゴリアテは「イスラエルの陣をなぶってやる」と侮辱しています。

この時、ダビデは、サウル王が率いる軍隊がなぶられていることに対して憤ると言うよりも、「生ける神」がなぶられていることに、猛烈な憤りを抱いているのです。
天地創造をなさった神をなぶるとは何者か?アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神をなぶるとは何者か?という憤りです。「お前は神を知っているのか?」「お前の拝んでいる神は、本当の神ではないことを知っているのか?」という憤りです。

そして、それに引き続いて、「生ける神によって選ばれた民族であるイスラエルをなぶるとは何者か?」となります。

この時、このなぶる者であるペリシテ人およびゴリアテに対して戦うことができるのは、地の上で生きている人間しかいないということに注意する必要があります。天上におられる神が戦って下さるのではないのです。この地の上では、敵の霊に戦うことは、また敵の霊によって動いている人と戦うことは、この地の上で生きている人間でなければできないことなのです。

(ですから、霊的な戦いを、神が自分の代わりに戦って下さるのだと考えることは、大きな間違いです。主イエスが自分のために戦って下さるのだ、と考えることも同様に大きな間違いです。主イエス・キリストは確かに、戦う人のために、執り成して下さることは、します。しかし、依然として、戦う主体は、その人、地の上にいる人間です。このことは、創世記において、地の上のことはアダム/人間に任されたという、そもそもの創生の時の決まりごとによって決定されています。地の上にいる人間が戦うから、それを、神の右の座におられる御子、イエス・キリストが執り成すことができるのです。そうして、万軍の主であられる天の父が動かれます。)

○何に対して戦うのか?

エペソ6章で、パウロが、「私たちの格闘」と書いている霊的な戦いは、ダビデと同じ戦いです。すなわち、天地創造をなさった神、アブラハムに現れ、モーセに現れてイスラエル人をエジプトから脱出させた神。この神によって選ばれている人々。

それに敵対する敵の霊、すなわち、サタン。

サタン/竜は、天から落ちた時に「彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた」(黙示録12章)とありますから、多数のサタンの使いどももこの地上で活動しています。

そうした霊ども(マタイ8:16、10:1、マルコ3:11、5:13、黙示録16:13、18:2)が、ペリシテの巨人ゴリアテの口から出てくるように、神のよって選ばれている人々をなぶり、奴隷にしようとします。

ゴリヤテは立って、イスラエル人の陣に向かって叫んで言った。「おまえらは、なぜ、並んで出て来たのか。おれはペリシテ人だし、おまえらはサウルの奴隷ではないのか。ひとりを選んで、おれのところによこせ。
おれと勝負して勝ち、おれを打ち殺すなら、おれたちはおまえらの奴隷となる。もし、おれが勝って、そいつを殺せば、おまえらがおれたちの奴隷となり、おれたちに仕えるのだ。」

第一サムエル17章

ゴリアテは「もし、おれが勝って、そいつを殺せば、おまえらがおれたちの奴隷となり、おれたちに仕えるのだ」と、お前たちを奴隷にすると宣言しています。

そうした、神に選ばれた人々、神に祝福された人々を奴隷にしようとする存在と戦うのが、霊的な戦いなのです。

パウロは霊的な戦いの対象を次のように述べています。日本語の翻訳では様々な言葉が充てられていますが、何れにしても、目に見えない霊的な存在、霊的に支配する力、霊的な領域で活動する帯びたたしい霊的な主体です

そして、それらが、神に選ばれた人々、神に祝福された人々を奴隷にするのです。その人の毎日を奴隷のような苦しみで満たすのです。

エペソ6:12
新改訳第三版
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

新改訳2017版
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。

口語訳
わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。

塚本訳
私達の戦いは(この世の)血肉に対するものでなく、「権威」に対するもの、「権力」に対するもの、この暗の世界の主権者(なる悪魔)に対するもの、天上における悪霊(の軍勢)に対するものであるからである。

新共同訳
わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。

New International Version
For our struggle is not against flesh and blood, but against the rulers, against the authorities, against the powers of this dark world and against the spiritual forces of evil in the heavenly realms.
 

King James Version

For we wrestle not against flesh and blood, but against principalities, against powers, against the rulers of the darkness of this world, against spiritual wickedness in high places.
 

○神に選ばれた人々を奴隷にする霊的な主体と戦う

そのような、神に選ばれた人々、神に祝福された人々を、奴隷にする霊的な主体(それもおびただしく存在しています)に対して、「神に敵対するお前たちは何者だ!」「神がお選びになった私たちを奴隷にするとは何者だ!」と憤って、立ち向かっていくのが、霊的な戦いの本質です。

この、敵の霊に対する憤り。神が祝福された人々を奴隷状態に置いておこうとする霊的な主体に対する憤り。ダビデと同じもの。
それを持った時に初めて、「万軍の主」と書かれているイスラエルの神の「万軍」、すなわち、以下で抽出した聖句で記されている、神の国を相続する人々に仕える霊である膨大な数の御使いたちが、その霊的な戦いを行う信仰者と共に戦ってくれるのです。

御使い関連の聖句(旧約聖書)
御使い関連の聖句(新約聖書)

ダビデが石一発でゴリアテを仕留めることができたのは、そこに、万軍の主の万軍、すなわち御使いの軍勢の加勢があったからです。ダビデは御国を相続する者として、御使いの万軍によって助けられていました。

 

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