ハイデルベルク信仰問答(新教出版社版)第五主日の問15が証拠聖句としているエレミア23:6
その日、ユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。その王の名は、『主は私たちの正義』と呼ばれよう。(新改訳第三版)
彼の代にユダは救われ/イスラエルは安らかに住む。彼の名は、「主は我らの救い」と呼ばれる。(新共同訳)
In his days Judah will be saved and Israel will live in safety. This is the name by which he will be called: The LORD Our Righteous Savior.(NIV)
について見ていきます。
ここでエレミヤが預言している「名」は、後代に救い主(メシア/キリスト)が現れる時の「名」、つまり、日本語で「イエス」英語で"Jesus"、と訳されている方の「名」な訳です。
この名は、ヘブライ語(英字表記)でよくYeshua(イエシュア)と呼ばれますが、これは短縮系。正規表現(同じく英字表記)はYehoshuaです。
このYehoshuaは、"Yeho"という部分と"shua"という部分に分かれ、"Yeho"には旧約聖書の神の名である"YHWH"の意味が、"shua"には「助けて下さい!」という意味があります。つまり、イエスの名には「YHWHの神様、助けて下さい!」という意味があります。
https://en.wikipedia.org/wiki/Yeshua
ヨハネ福音書14章〜17章で繰り返し語られる「私の名によって求めなさい」の「名」には、そういう意味があります。
この「名を信じる信仰」によって、ペテロは美しの門にいる生まれつきの足なえを立たせました。
こうした「イエスの名を信じる信仰」が現代の教会からは失われています。そこにはどういう意味があるのかを説明します。
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家の教会など教団・会派の指導がない教会における礼拝メッセージやバイブルスタディでは、取り上げる聖書箇所の選び方が、行き当たりばったりになりがちです。聖書には実に多くの事柄が記されており、道しるべなしに読み進めていると、極めて重要な概念を理解しないまま、キリスト信徒として年月だけが積み重ねられることになりかねません。
そういう中で「規範となるテキスト」として、ルターの宗教改革から約50年後に編纂された「ハイデルベルク信仰問答」を用いることには、大きな意味があると考えています。プロテスタンティズムが確立してまもない頃の、新鮮な聖書理解が反映されたテキストであり、大きな驚きを覚えながら読み進めることができます。
その後の450年間に無数の会派に分裂していくプロテスタント教会の大元にある、太い源流のようなプロテスタント信仰が、一種のタイムカプセルのように保存されたテキストであることにも大きな意味があります。現代の多くのプロテスタント教会では教えられなくなった、極めて重要なキリスト者のあり方が取り上げられています。
ハイデルベルク信仰問答は、宗教改革後にドイツの各教会が聖書を手がかりとして信仰の規範を確立しようとしていた時代、「決定版となるテキスト」を確立すべく、当時のプファルツ選帝侯フリードリヒ3世が有力な聖書学者や聖職者を集めて編纂しました。キリスト教信徒として知っておかなければならない、最も重要な概念をカバーできるように、129の質問と回答によって構成されています。また、第1主日から第52主日までの区切りでまとめられており、1年間分の構成となっています。