アブラハムの子孫となるから救われる/主イエスと食事をする教会 2021年10月10日礼拝 | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

 

ハイデルベルク信仰問答(新教出版社版)第五主日の問14が証拠聖句としているヘブル人への手紙2章14〜18節にある「主は御使いたちを助けるのではなく、確かに、アブラハムの子孫を助けてくださるのです」の部分について見ていきます。

そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、
一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。
主は御使いたちを助けるのではなく、確かに、アブラハムの子孫を助けてくださるのです。
そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。
主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。
ヘブル2:14-18

「アブラハム」と言う言葉はパウロ書簡の中で34回使われています。ユダヤ人だったパウロ、つまりヤコブから枝分かれしたイスラエルの12部族に連なるパウロにとって、アブラハムの子孫であることには特別な意味がありました。
イエス・キリストが出現するまで、アブラハムの子孫は血のつながった家系の人だけを意味しましたが、イエス・キリストを信じる信仰によって、血がつながっていない我々もアブラハムの子孫になることができるようになりました。それにはどのような意味があるのでしょうか。

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家の教会など教団・会派の指導がない教会における礼拝メッセージやバイブルスタディでは、取り上げる聖書箇所の選び方が、行き当たりばったりになりがちです。聖書には実に多くの事柄が記されており、道しるべなしに読み進めていると、極めて重要な概念を理解しないまま、キリスト信徒として年月だけが積み重ねられることになりかねません。

そういう中で「規範となるテキスト」として、ルターの宗教改革から約50年後に編纂された「ハイデルベルク信仰問答」を用いることには、大きな意味があると考えています。プロテスタンティズムが確立してまもない頃の、新鮮な聖書理解が反映されたテキストであり、大きな驚きを覚えながら読み進めることができます。

その後の450年間に無数の会派に分裂していくプロテスタント教会の大元にある、太い源流のようなプロテスタント信仰が、一種のタイムカプセルのように保存されたテキストであることにも大きな意味があります。現代の多くのプロテスタント教会では教えられなくなった、極めて重要なキリスト者のあり方が取り上げられています。

ハイデルベルク信仰問答は、宗教改革後にドイツの各教会が聖書を手がかりとして信仰の規範を確立しようとしていた時代、「決定版となるテキスト」を確立すべく、当時のプファルツ選帝侯フリードリヒ3世が有力な聖書学者や聖職者を集めて編纂しました。キリスト教信徒として知っておかなければならない、最も重要な概念をカバーできるように、129の質問と回答によって構成されています。また、第1主日から第52主日までの区切りでまとめられており、1年間分の構成となっています。