罪が赦された実感を持つのに必要なこと
主イエスと食事をする教会 2021年10月3日礼拝
ハイデルベルク信仰問答第五主日問13
ハイデルベルク信仰問答(新教出版社版)第五主日の問13が証拠聖句としているマタイ6:12(主の祈りの一部)にある「赦す」「赦される」という動詞のギリシャ語をまず確認します。
私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
マタイ6:12
この「赦す」のギリシャ語aphiémi には「リリースする」という意味があります。釣りで言う「キャッチ&リリースの「リリース」です。
https://biblehub.com/text/matthew/6-12.htm
https://biblehub.com/greek/863.htm
863. aphiémi
Definition: to send away, leave alone, permit
Usage: (a) I send away, (b) I let go, release, permit to depart, (c) I remit, forgive, (d) I permit, suffer.
この「罪がリリースされる」ことの原型がレビ記6章に書いてあります。
アロンは自分のための罪のためのいけにえの雄牛をささげ、自分と自分の家族のために贖いをする。
二頭のやぎを取り、それを主の前、会見の天幕の入口の所に立たせる。
アロンは二頭のやぎのためにくじを引き、一つのくじは主のため、一つのくじはアザゼルのためとする。
アロンは、主のくじに当たったやぎをささげて、それを罪のためのいけにえとする。
アザゼルのためのくじが当たったやぎは、主の前に生きたままで立たせておかなければならない。これは、それによって贖いをするために、アザゼルとして荒野に放つためである。
レビ記16:6-10
アロンは生きているやぎの頭に両手を置き、イスラエル人のすべての咎と、すべてのそむきを、どんな罪であっても、これを全部それの上に告白し、これらをそのやぎの頭の上に置き、係りの者の手でこれを荒野に放つ。
そのやぎは、彼らのすべての咎をその上に負って、不毛の地へ行く。彼はそのやぎを荒野に放つ。
レビ記16:21-22
このレビ記の部分が、罪の赦し=罪がリリースされることについて、何を伝えているのかを解説しています。
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家の教会など教団・会派の指導がない教会における礼拝メッセージやバイブルスタディでは、取り上げる聖書箇所の選び方が、行き当たりばったりになりがちです。聖書には実に多くの事柄が記されており、道しるべなしに読み進めていると、極めて重要な概念を理解しないまま、キリスト信徒として年月だけが積み重ねられることになりかねません。
そういう中で「規範となるテキスト」として、ルターの宗教改革から約50年後に編纂された「ハイデルベルク信仰問答」を用いることには、大きな意味があると考えています。プロテスタンティズムが確立してまもない頃の、新鮮な聖書理解が反映されたテキストであり、大きな驚きを覚えながら読み進めることができます。
その後の450年間に無数の会派に分裂していくプロテスタント教会の大元にある、太い源流のようなプロテスタント信仰が、一種のタイムカプセルのように保存されたテキストであることにも大きな意味があります。現代の多くのプロテスタント教会では教えられなくなった、極めて重要なキリスト者のあり方が取り上げられています。
ハイデルベルク信仰問答は、宗教改革後にドイツの各教会が聖書を手がかりとして信仰の規範を確立しようとしていた時代、「決定版となるテキスト」を確立すべく、当時のプファルツ選帝侯フリードリヒ3世が有力な聖書学者や聖職者を集めて編纂しました。キリスト教信徒として知っておかなければならない、最も重要な概念をカバーできるように、129の質問と回答によって構成されています。また、第1主日から第52主日までの区切りでまとめられており、1年間分の構成となっています。