日曜投稿:主イエスの福音によって土地の神々は逃げ去る | イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

イェホシュアのイスラエルの信仰と証し

1世紀のイエスの弟子たちの初代教会が回復したイスラエル教の教会(エクレシア)であるイェホシュアのイスラエル

Steven Damron

 

2019年1月に長い海外旅行から帰ってきて墨田区のシェアハウスで生活するようになり、1年ちょっとが過ぎて、現在は台東区にいます。独立した部屋なのでいつでもしっかりと祈ることができ、まことに感謝です。

週に2回ぐらい、ウォーキングと軽いジョギングをして、この界隈を数km回ります。江戸時代から続くお寺、神社が多い土地です。大きな伽藍を持ったお寺もあります。土地の名前が付いた神社もあります。
そうした地区を歩きながら、聖書的に見ればこれはどういうことなんだろうか?天の父からこの状況はどのように見えていらっしゃるのだろうか?ということをよく考えます。

旧約聖書の出エジプト記で、モーセに率いられて奴隷状態にあったエジプトから脱出したイスラエルの民は、カナンの地へ移動し始めた際に、敵対する民が住んでいる土地を通らなければならなくなりました。ある場合には迂回し(民数記20章)、ある場合には戦いました(民数記21章)。

エジプトを出たイスラエル人は壮年男子が60万とありますから(出エジプト12:37)、女性や老人や子ども、また外国人を含めると130万〜140万人の大集団だったと思われます。東京ドームの収容人員数が5万5,000ですから、東京ドーム23個〜25個分の膨大な人々が、大きな川のような流れを作って荒野を進んで行ったのでしょう。想像してみると実に大変なことです。

彼らが目指すカナンの地に行くためには、民数記20章の時点では死海の東側にいたようなので、エドム人(Edom)の土地、モアブ人(Moab)の土地、エモリ人(Amorites)の土地のいずれかを通らざるを得ない状況でした。以下の地図で位置関係をご確認下さい。

 

出典:https://tngchristians.ca/images/articles/canaan2.jpg

 

 

出典:https://trueisraelite.com/100-proof-ruth-was-an-israelite-biblical-truth-with-maps/

そもそもなぜカナンの地を目指していたか?まず聖書で確かめておきます。

◎ノアによって呪われてしまったカナン

「カナン」とは、ノアの箱船で大洪水から生き残ったノアの息子たち、セム、ハム、ヤペテのうち、ハムの息子です(創世記9章)。

箱舟から出て来たノアの息子たちは、セム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。
この三人がノアの息子で、彼らから全世界の民は分かれ出た。

(創世記9:18-19)

全世界の民は、この3人のいずれかの系譜ということになります。そのうちハムは、以下の出来事により、家長であるノアから呪われてしまいました。

さて、ノアは、ぶどう畑を作り始めた農夫であった。
ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。
カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。
それでセムとヤペテは着物を取って、自分たちふたりの肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔をそむけて、父の裸を見なかった。
ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、
言った。「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」
また言った。「ほめたたえよ。セムの神、主を。カナンは彼らのしもべとなれ。
神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのしもべとなれ。」

(創世記9:20-27)

わかりやすく言えば、ぶどう酒を飲んで酔っ払って寝ていたノアの裸の姿をハムが見て、おそらくはおもしろがってセムとヤペテに告げたのでしょう。家長としての面目がつぶれたノアはおごそかにハムに言った…。その言葉がハムの息子カナンに対する呪いとなって口から出た。そういうことだと思います。

「呪い」(curse)とは、聖書では「祝福」(blessing)の反対語です。申命記28章に書いてあります。大洪水を神の導きによって切り抜けたノアは、創世記9章で神からすばらしい祝福を受けます。その祝福を家長であるノアは、宣言によって息子に受け継がせることができます。創世記25章ではイサクがヤコブに対してこれを行なっています。

家長はその逆も行うことができる立場にいるということが、上の創世記9章からわかります。

◎セムの子孫に属するカナンの地

ここでハムの息子カナンは「兄弟たちのしもべらのしもべとなれ」、「カナンは彼らのしもべとなれ」と二度も言われています。このような呪いが、なぜ家長ノアの口から出てカナンの子々孫々に及ぶのか?
日本の私たちには理解しにくいことですが、神がお造りになったアダムの直系であり、系図を尊ぶ神に選ばれた民イスラエルにとっては、家長の祝福は特別な意味を持つようです。ヤコブも12人の息子に預言的な祝福をしています。
神は、本来的に、私たち人間の理解を超えたことをなさるお方です。恵もうと思われる人を恵まれ、あわれもうと思う人をあわれみなさいます。その神の祝福、およびその逆の呪いが、家長から息子に対する言葉においても働くようです。

主は仰せられた。「わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ、主の名で、あなたの前に宣言しよう。わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」
(出エジプト33:19)

ノアはセムに対しては、「ほめたたえよ。セムの神、主を」と祝福しています。後に「主」が現れて契約を結ぶアブラハム(アブラム)はセムの直系です(創世記11章)。ノアの祝福が受け継がれているのだと思います。

アブラハムの息子イサクにはエサウとヤコブが生まれましたが、エサウはカナンの血筋であるヘテ人から妻を迎え、それが父母にとって悩みの種となったとあります。

エサウは四十歳になって、ヘテ人ベエリの娘エフディテとヘテ人エロンの娘バセマテとを妻にめとった。
彼女たちはイサクとリベカにとって悩みの種となった。

(創世記26:34-35)

それがためイサクはヤコブに対して、カナン人の娘を嫁に迎えてはいけないと戒めています(創世記28:1)。

カナン人は時代が下るにつれて、イスラエルの「主」以外の神々を崇拝する民になっていったようです。Wikipediaによると、カナン人は多神教であり、死者崇拝があり、バール、エル、アシェラ、アスタルトなどの神々を信奉していたそうです

そうした霊的な背景があるため、エサウのカナン人の嫁は、「主」を神とするイサクやリベカとは霊的に反りが合わなかったのでしょう。エサウ自体がイサクからの祝福を受けられなかったという事情もあります。祝福されていないエサウが、祝福されていないカナンの娘を妻としたという図式がここにあります。

カナンの地は、ノアから「カナンは彼らのしもべとなれ」という呪いを受けた結果、セムに連なる民族の「下に入らないといけない」格好になりました。セムの子孫に従属する土地になったということです。
そのため、「主」は、アブラハムと契約を結ばれた際に、カナンの地をお前に与えると約束されたのだと解釈できます(創世記15章)。

ヤコブの息子ヨセフがエジプトの王に仕える最高位の役人となり、ヤコブの一族がエジプトに移住し、それから400年が過ぎる間にイスラエル人はエジプトで奴隷となりました。「主」はイスラエル人の苦難を見かねて、モーセに現れ、全イスラエル人を連れて約束の地であるカナンに行きなさいと告げました(出エジプト3章)。

カナンの地は、ノアの言葉によってセムに属する形になった土地であり、「主」がアブラハムに約束された土地です。そこにモーセが率いるイスラエルの民百数十万人が入って行くのです。

◎神の民を敵の霊が迫害する

百万人以上のイスラエル人がカナンの地に行き着くためには、エドム人の土地、モアブ人の土地、エモリ人の土地のいずれかを通らざるを得ません(上の地図参照)。

エドム人とは、ヤコブの兄であるエサウの子孫。モーセはエドムの王に使者たちを送り、「どうか、あなたの国を通らせてください。私たちは、畑もぶどう畑も通りません。井戸の水も飲みません」と丁重にお願いしました。しかし、エドムの王はそれを冷淡に断り、強力な大軍勢を率いてイスラエル人を攻撃する構えを見せました。

さて、モーセはカデシュからエドムの王のもとに使者たちを送った。「あなたの兄弟、イスラエルはこう申します。あなたは私たちに降りかかったすべての困難をご存じです。
私たちの先祖たちはエジプトに下り、私たちはエジプトに長年住んでいました。しかしエジプトは私たちや先祖たちを、虐待しました。
そこで、私たちが主に叫ぶと、主は私たちの声を聞いて、ひとりの御使いを遣わし、私たちをエジプトから連れ出されました。今、私たちはあなたの領土の境にある町、カデシュにおります。
どうか、あなたの国を通らせてください。私たちは、畑もぶどう畑も通りません。井戸の水も飲みません。私たちは王の道を行き、あなたの領土を通過するまでは右にも左にも曲がりません。」
しかし、エドムはモーセに言った。「私のところを通ってはならない。さもないと、私は剣をもっておまえを迎え撃とう。」
イスラエル人は彼に言った。「私たちは公道を上って行きます。私たちと私たちの家畜があなたの水を飲むことがあれば、その代価を払います。ただ、歩いて通り過ぎるだけです。」
しかし、エドムは、「通ってはならない」と言って、強力な大軍勢を率いて彼らを迎え撃つために出て来た。
こうして、エドムはイスラエルにその領土を通らせようとしなかったので、イスラエルは彼の所から方向を変えて去った。
こうしてイスラエル人の全会衆は、カデシュから旅立ってホル山に着いた。

(民数記20:14-22)

「私たちは、畑もぶどう畑も通りません。井戸の水も飲みません」と丁寧に頼み込んでいるのに、「私のところを通ってはならない。さもないと、私は剣をもっておまえを迎え撃とう」という、大変に残酷な答えが返ってきます。こうした神の民イスラエルに対する敵対的な態度の裏に、別な神々を信じている民族の霊的な敵意を読み取ることができます。敵の霊がある種の迫害をしているのです。

◎その土地に別な神々が先に棲みついている

民数記21章で、イスラエルがエモリ人の土地を通らなければならなくなって、頼み込んだ時にも、同じように冷淡な答えが返ってきました。これに対しては、イスラエルは戦って対処しました。おそらく神である主の命令があったのだと思います。

イスラエルはエモリ人の王シホンに使者たちを送って言った。
「あなたの国を通らせてください。私たちは畑にもぶどう畑にも曲がって入ることをせず、井戸の水も飲みません。あなたの領土を通過するまで、私たちは王の道を通ります。」
しかし、シホンはイスラエルが自分の領土を通ることを許さなかった。シホンはその民をみな集めて、イスラエルを迎え撃つために荒野に出て来た。そしてヤハツに来て、イスラエルと戦った。
イスラエルは剣の刃で彼を打ち、その地をアルノンからヤボクまで、アモン人の国境まで占領した。アモン人の国境は堅固だったからである。
イスラエルはこれらの町々をすべて取った。そしてイスラエルはエモリ人のすべての町々、ヘシュボンとそれに属するすべての村落に住みついた。

(民数記21:21-25)

こうした土地にまつわるイスラエルの民と先住民との戦いには、図式として、その土地にイスラエルの神「主」よりも先に、別な神々が棲みつき、占拠していたということがあります。異教の神々は、イスラエルの神よりも先に、ある地域を支配してしまうことがあります。

現実的に起こっているのは、その土地に住んでいる先住民の心に入り込んで、その心を占拠するということなのですが、細かく見ても大きく見ても、「その土地を取っている」格好になります。

 

エモリ人の場合は、Amurruという神を崇拝していたようです。これは「山の神」とも呼ばれていたそうですから、第一列王記20:23に出てくる「山の神」にも関係していそうです。

旧約聖書では、「主」がイスラエルに対して「あなたたちにこの土地を渡す」と言われた際に、聖絶というきわめて徹底したやり方を取りますが、それは、その土地を占拠していた霊(神々)を一層する意味があります。

◎フェニキアの都市国家として栄えたツロとシドン

モーセの頃(紀元前1200年〜1300年頃)から下って、主イエス・キリストの時代(紀元30〜40年頃)に到るまでの間に、聖書で言う「ツロ」と「シドン」という2つの都市が栄えました。地中海に面したレバノンの港湾都市です。イスラエルの上に位置します。

「ああコラジン。ああベツサイダ。おまえたちのうちで行なわれた力あるわざが、もしもツロとシドンで行なわれたのだったら、彼らはとうの昔に荒布をまとい、灰をかぶって悔い改めていたことだろう。
しかし、そのツロとシドンのほうが、おまえたちに言うが、さばきの日には、まだおまえたちよりは罰が軽いのだ。

(マタイ11:21-22)

これは主イエスの嘆きです。異教徒の都市ツロとシドンの方が、ユダヤ人の頑ななコラジンやベツサイダよりも罰が軽いと嘆息しています。

ツロは現在のティルス(Tyre)。フェニキアの都市国家として栄華を極めましたが、現在では影も形もなく、スールという小さな漁村があるだけです

ティルスでは、貝から取れる紫色の染料で染めた布の生産が、早くから産業として発展したそうです(紀元前1000年頃)。世界史の上で最も早い商業都市の一つと言えます。紫の染料は大変に貴重であり、一説によると8,000個の貝から1gの染料しか取れず、20gの金と同等の価値を持っていたそうです

この染料で染めた布はきわめて貴重で、王侯貴族が身につける生地として珍重され、その色はRoyal purple(王の紫)と呼ばれました

この貴重な布を売り買いする商売がティルスで大きな発展を遂げたものと思われます。それと並行して、ティルスでは地中海を自由に移動できる造船技術と航海技術が発達しました。これも当時としては画期的なことだったようです。羅針盤がなかった時代です。必然的に船による輸出入が盛んとなり、ティルスは地中海世界で最も繁栄した港湾都市となったようです。集まってくる富は当時としては目もくらむものだったでしょう。

この富と航海技術とが、地中海で紀元前15世紀から8世紀にかけて栄えた国家フェニキアの大元となります。フェニキアとはギリシャ人が呼んだ呼称で、「赤」ないし「紫」という意味があるそうです。国名が紫布から来ているのはほぼ確実です(フェニキア人自身による記録はローマ帝国によって抹消されてしまい、他国の歴史家による間接的な記録しか残っていません)。

シドンもまたフェニキアの都市国家の1つであり、繁栄したと伝えられています

シドンという名は、聖書では創世記10:15にカナンの長子として出て来ます。ヨシュア記11:8では「大シドン」と記されており、当時は大きな都市であったことが伺われます。ティルスと同様に航海技術を基にした商業や軍事で栄えたのでしょう。

シドンとティルスは地図で確かめてみると20kmも離れていません。1日で移動できる距離です。

シドンはヨシュア記で記されているカナン占領地の12部族への割り当ての際に、アシェル族に割り当てられた区画に含まれました(以下の地図の"ASHER"の文字のやや上にTyreティルスという文字が見える。その2つ上の都市がSidonシドン)。士師記にアシェル族が異教徒のカナン人を追い払わなかったという記述があります。

アシェルはアコの住民や、シドンの住民や、またマハレブ、アクジブ、ヘルバ、アフェク、レホブの住民を追い払わなかった。
そして、アシェル人は、その土地に住むカナン人の中に住みついた。彼らを追い払わなかったからである。

(士師記1:31-32)

 

出典:https://www.bible-history.com/geography/maps/map_canaan_tribal_portions.html

◎カナン人が行なっていた宗教的な風習

いくつかの資料を総合すると、フェニキアとは、カナンの風習を持った人たちの国家であると言えそうです。一般的に、物質的な繁栄があるところでは、異教の神々の熱心な信仰が見られます。地中海で隆盛を誇ったフェニキア人の宗教は、カナン地域に住んでいたカナン人の宗教であったと考えられています。フェニキアについて記した資料によると、バアルやアシェラなどの神々が崇拝され、神殿娼婦や小児御供の風習があったそうです

旧約聖書で、子どもに火をくぐらせてはならない、それは主の忌み嫌うところだからである、と書かれていますが、そうしたものがカナン人、すなわち、フェニキア人の間では行われていたと推察されます。

あなたが、入って行って、所有しようとしている国々を、あなたの神、主が、あなたの前から絶ち滅ぼし、あなたがそれらを所有して、その地に住むようになったら、
よく気をつけ、彼らがあなたの前から根絶やしにされて後に、彼らにならって、わなにかけられないようにしなさい。彼らの神々を求めて、「これらの異邦の民は、どのように神々に仕えたのだろう。私もそうしてみよう」と言わないようにしなさい。
あなたの神、主に対して、このようにしてはならない。彼らは、主が憎むあらゆる忌みきらうべきことを、その神々に行ない、自分たちの息子、娘を自分たちの神々のために、火で焼くことさえしたのである。
あなたがたは、私があなたがたに命じるすべてのことを、守り行なわなければならない。これにつけ加えてはならない。減らしてはならない。

(申命記12:29-32)

ユダの人々は主の目の前に悪を行ない、彼らの先祖たちよりひどい罪を犯して主を怒らせた。
彼らもまた、すべての高い丘の上や青木の下に、高き所や、石の柱や、アシェラ像を立てた。
この国には神殿男娼もいた。彼らは、主がイスラエル人の前から追い払われた異邦の民の、すべての忌みきらうべきならわしをまねて行なっていた。

(第一列王記14:22-24)


◎主イエスはロバに乗って神の国の福音を掲げた

後にカナンの地に入っていく際に、ヨシュアは戦って、先住の民を滅ぼしました。しかし、上で引用した士師記1章にあるように、一部ではカナン人とイスラエル人とが入り混じって住み、それが後々、バアル信仰などのはびこりにつながって行った経緯があるようです。

聖書の神が、ある土地に入って行く時、多くの場合は、その土地に先に棲み付いている神々がいます。日本もそうです。

主イエス・キリストの新約の時代に入った現在、このような、先にその土地を占拠している神々に対して、どのような対処方法があるのでしょうか。

もちろん旧約の時代のように、物理的な戦いを行えば良いというものではありません。パウロは「私たちの格闘は血肉に対するものではなく」と書いています(エペソ6:12)。これは「人」が霊的な戦いの対象ではない、ということを明確に言っています。もちろん、目に見える宗教施設など物理的な存在が対象になる訳でもありません。霊的な戦いの対象はイエス・キリストに敵対する霊的な存在(=目に見えない存在)であるということを言っています。これには祈りで対処する他ありません。祈りの方法はすべて聖書に書かれています。

もっと大事なこととして、主イエス・キリストはどのように行動したか?そこにお手本を求めることです。

主イエスは、ロバに乗ってエルサレムに入城された神です。
すばらしいです!ロバに乗って凱旋されたのです。
「神の国は近づいた!」と福音を掲げて、その土地に入っていかれました。福音によって、そこに神の国を現すのが主イエスのやり方です。

主イエスが示した父を神として受け入れ、主イエスが神のひとり子であると信じ、私たちのために十字架に架けられ三日目によみがえったと信じ、聖霊を受ける。それによって神の子どもとなる人が多く起こされるならば、自ずとこの地に棲み付いてきた神々も逃げ去るでしょう。

ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。
(ヤコブ4:7)

この世の神々は、父なる神と子なるイエスの前には、逃げ去るしかないでしょう。