昨日書いた病の癒しについて。
今日、祈っていて、「みことばに伴うしるし」として癒される、ということを示されました。
みことばに伴うしるしとは、マルコの最終章の最後の部分に書いてあるものです。
・主イエス・キリストは、みことばでもある。
・主イエス・キリストを信じる者が、みことばを語るとき、みことばを宣べ伝える時、みことばによって対象に何かを言う時(山に向かって動いて海に入れと言う)、みことばによって祈る時、そこに主イエス・キリストが働かれて、神の業が起こる。
・そのようにして起こる神の業が「しるし」。しるしとは、神が働かれていることが、そこにいる人たちに明確にわかるように起こる、不思議な事柄や出来事。
そのような、みことばに伴って起こる、神の不思議な業の一つが、病の癒しである、ということですね。
聖書でみことばが語られる時には、常に、信仰とセットになっています。
・信仰がある。
・みことばを信じている。
・みことばを信じて何かをすれば、そこに神の業が現れる。
これは、新約聖書の各所に書かれていることを総合すれば、主の栄光がほめたたえられるためです。
病の癒しが起こるのは、主の栄光がほめたたえられるためです。
もう一つ付け加えれば、主イエスがそこに必ず介在します。
主イエスの名によって祈ると、癒しが起こる。
主イエスが伝えたみことばに基づいて祈ると、癒しが起こる。
主イエスがなさった通りに自分も信じて、癒しの業を行うと、癒しが起こる。
主イエスが介在するのは、御子によって、天の父が栄光をお受けになるためです。
アーメン