ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。
(ガラテヤ3:7)
最近、アブラハムの子孫としての私たちということを、よく考えます。
キリスト教の枠組みの中では、カトリックであれ、プロテスタントであれ、アブラハムの子孫であるから神が特別に扱って下さるという信仰を、あまり強調しません。しかしそれは、新しい契約の信仰を明確化したパウロ書簡の中にもはっきりと認められるものであり、正統な、主イエス・キリストの福音です。
確認すると、以下のようになります。
・神は、アブラハムと永遠の契約を結ばれた。神はアブラハムとその子孫を永遠に祝福される。アブラハムとその子孫は、イスラエルという呼び名で総称される。
・肉としてのイスラエルは何度も神に背いた。
・救い主として、御子イエスがこの地上に現れ、福音を宣べ伝えたが大多数は受け入れなかった。御子イエスは、身代わりとなって十字架に付けられ、ユダヤ人だけでなく異邦人の贖いも完了されて、死んで葬られ、三日目によみがえって、サタンがもたらした呪いの最大のものである死をも克服された。これにより、サタンがこの地の上にもたらしたすべての悪しきものが制圧された。このイエスを主として信じる者は、誰であっても救われる。これが新しい契約となった。
・救われるということの意味の中に、神がアブラハムと結ばれた永遠の契約に入れられるということがある。すなわち、血統がアブラハムにつながっているユダヤ人がイスラエルなのではなく、主イエス・キリストを信じる者すべてが、信仰によって、霊的なイスラエルとなる。真のイスラエルとなる。
・このイスラエルが神から祝福される。
・主イエスにあっていただける恵みや祝福や癒しや繁栄の根底には、神が信仰の父であるアブラハムと結ばれた契約がある。イスラエルに属しているから、祝福されるのである。
きわめてざっくりと記すと、以上のような流れがあります。ハレルヤ!
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新約聖書で言っている「教会」とは、主イエス・キリストを信じることで、アブラハムとの永遠の契約の中に入れられたイスラエルのことです(教会=エクレーシア=信じる者の集まり)。肉によらない、信仰による、霊的なつながりとして存在しているイスラエルです。アブラハムの霊的な子孫です。
信仰により、聖霊により、アブラハムの霊的な子孫になっていることによって、天の父は、私たちを、神の子どもとして取り扱って下さるのです。聖書に記されている種々のお約束により、主イエスの名によって祈れば、神の子どもである私たちに、与えて下さるのです。アブラハムとの契約を覚えているからこそ、祈りをかなえて下さるのです。
そしてそれは、アブラハムとの契約が永遠のものでありましたから、永遠の命と直結している状況なのです。
わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。
わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。」
ついで、神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、あなたの後のあなたの子孫とともに、代々にわたり、わたしの契約を守らなければならない。
(創世記17:7-9)
従って、祈る時には、いつでも、「イスラエルの一員という立場」をよく自覚して、祈るとよいと思います。
すなわち、一人で祈っている時も、一人の人間として祈るではなく、主イエス・キリストを信じる信仰により、霊的なイスラエルに加えられた、イスラエルの一人として、「イスラエル全体のことを覚えながら祈る」のが、御心にかなう祈りになると思います。
それは、大きな目に見えない教会の一員として祈るということでもありますけれども、「教会」=「霊的なイスラエル」という理解が欠落していると、あまりよろしくないのではないかと思います。すなわち、主イエス・キリストにある教会とは、神がアブラハムと結ばれた永遠の契約に連なるものである、それ以外のものではない、という理解がベースになっていることが、大変に重要なのではないかと思います。
というのも、いずれは、アブラハムの子孫として集められるからです。
以下のように預言されている通りです。
だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。
あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。
わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。
恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしは東から、あなたの子孫を来させ、西から、あなたを集める。
わたしは、北に向かって『引き渡せ』と言い、南に向かって『引き止めるな』と言う。わたしの子らを遠くから来させ、わたしの娘らを地の果てから来させよ。
(イザヤ43:1-6)
最近、イスラエルの民を集めることが神の御心である、ということがいつも思い浮かびます。