5月特選映画コロナ編【13】★映画のMIKATA「いのちの停車場」★ | 流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

都市生活者の心と言葉を掌にのせた小説、電脳化社会の記号とイルージョンを巡る映画、都市の孕むシンボルと深層を探るエッセイ、街の風景と季節の色を彩る短歌…。小説と映像とエッセイと短歌をブログに・・・掲載します。

 

 

新作映画の公開が緊急事態宣言が出されている都道府県では、映画館もまたクローズしている現状です。大学病院で救命救急医役で出演する吉永小百合主演の『いのちの停車場』 (2021年、 成島出監督、南杏子原作) は公開を延期せずに、5月21日に東映は公開に踏み切りました。私も公開初日よりやや遅れて横浜ララポート内のTOHOに見に行きました。吉永小百合の人気に魅かれて中高年がいっぱい詰めかけているかナ・・・と期待していたのですが、いつも通りで、映画館の座席はがら空きで、木下グループの頻繁な宣伝や、吉永小百合がみずからTVの「番宣」にあちこち出演して力を入れていたにもかかわらず、座席に坐っている人の姿は残念ながらまばらでした。

 

昨今TV ドラマも、TV番組全般が面白くない・・・。吉本芸人が出演するお笑い番組もダジャレや呆け演技ばかりでーヨネ、ジャーニーズの若手タレントがざわざわと若さに任せて騒騒しく出演する番組もつまらなナ、いつも顔を出す高学歴の出演者や有名大学のタレントが、常識問題に答えるクイズ番組もへどが出る程下らない・・・ナ。そんな視点から映画を見た時に、映像ストーリの訴えるイデアと俳優と言葉表現の意味がはっきりしていて、どの作品も素晴らしいデスーね。TV番組のように視聴率を上げるだけの番組とは違って、この『いのちの停車場』もまた、作品の原作意図と俳優の演技意図がはっきりしていますーね。

 

大学病院で救命救急医として働いてきた白石咲和子(吉永小百合)は、何度も医師試験を落ちた医療資格のない事務職員の野呂聖二(松坂桃李)が、救命室に運ばれた子供の命を助けるために無免許で注射を打った医療行為の責任を取って、責任者の彼女が大学医師を辞めました。元美術の教師であった父・達郎(田中泯)が暮らす石川県の実家に帰り、父の介護をしながら在宅医療専門の地元の«まほろば診療所»に勤めることになりました。その病院には車椅子姿の院長役の仙川徹(西田敏行)や交通事故で事故死した姉の子供を引き取って育てている看護師役の星野麻世(広瀬すず)や、スナックのマスター役柳瀬にみなみらんぼうがギターを弾く場面があったりなど、出演者は豪華な顔ぶれなので、尚更に木下グループとしては巨額な支援金を提供していそうだーナ、と感じました・・・。

 

やけにモンゴル料理の美味しさを賛美するスナックのマスターがギターで奏でる歌が・・・聞けたので、いやや、まさかみなみらんぼうとはまた懐かしく驚きました。久し振りに彼の姿を観ましたー。

 

この映画には様々な親族の死を看取る家族の哀愁が漂っていました。終末医療のサンプルの様な映画です。がんで亡くなる幼い子・萌ちゃんが死を予感して、死ぬ前に海を見に行ききたいと懇願するシーンがありました・・・。海に行って生まれ変わったら童話の中の「人魚」に成れるようにお願いしたいの・・・と言う。こんなセリフには、子どもを持つ父親ならば自然に涙が込み上げますーネ。自宅の近所に住んでいたプロの囲碁棋士の中川朋子(石田ゆり子)ががんの先端医療を受けるために富山の大学病院で治療を受けるが、新薬投与の影響で亡くなるー。咲和子を慰めるために仙川徹は、「がんで亡くなる人が居なくなったら日本の人口は20%増えるよ、それでは日本では飢え死にする人が出る・・・」と言う。チョット私には衝撃的な食糧事情でした、そうなのかな・・・と今更驚きました。確かに人間社会は新しく生まれる赤ん坊の出生で子供は祝福されるが、老いてなくなる高齢者によって、丁度人口のバランスが取れているのかも知れませんーネ。ただ、それを、地球規模で考えると、先進資本主義国家のアメリカや欧州に誕生した赤ん坊は神に祝福され抱かれますが、更には、飽食の末に食べ残した食糧を廃棄する、肥満体にあふれている国家があれば、反してアフリカや東南アジアのスラム街では、薬も医療も投与・施術されずに病死する子どもや、やせ細って飢えて餓死する子供たちがたくさんいる貧しい国家もあります。それで地球の人口バランスがとれている・・・というと、なにか飽食国家と飢餓国家の矛盾を呈したアンバランスに複雑な感情が湧きました。日本のTV番組で低俗な「大食い競争」がたくさん放映されていますが、TVディレクターの品性を疑います。まあ、そんな番組でもそこそこの視聴率があるから次々製作されるのだろうーネ。高級外車「ベンツ」を売って萌ちゃんに先端医療の癌の新薬を使ってくれと札束を握り泣く野呂聖二の姿がありました・・・。彼は病気の子供を救うために東京の予備校に通いもう一時諦めていた医師国家試験に挑戦する決心します。知識は、知識人こそ人間の福祉向上に貢献する仕事をしなくてはならないよ・・・ネ。クイズ番組で高額賞金を手にして自慢するクイズのチャンピオンなど下の下の品性だなーナ。家から散歩に出た時に転倒して、骨折してしまう父・達郎が苦痛の余りに咲和子に死なせてくれ・・・と哀願する。彼女は父の苦しみを見かねて「安楽死」さえ考える。映画は、ここで終わります・・・。

 

「皆保険制度」の国では、健康保険対象になっている治療方法や薬剤は、3割負担~なっていますが、保険から外れた新しく開発された先端医療と薬剤などは、高額の医療負担がかかり、余程の資産家か金持ちか、あるいは私有財産を全て使い果たさないと治療に手が出ないですーネ。映画の中で首をギブスで固定された車いすに乗った企業の経営者が、お金はいくらかかっても構わないから最先端治療を受けたい・・・と、豪語する。保険対象外の治療なので、ワンクール数千万かかると説明されるが、諦めるどころが其れでもいいー激昂する。アメリカなどでは、よほどの大企業でないと企業の健康制度がなくて、病気一つの治療で中産階級が没落すると、どこかの本に書いてあったーナ。

 

でもねー、この『いのちの停車場』 を安楽死の映画と考えると、今更「安楽死」の映画なのかーヨ、と私は呆れます。私は安楽死についてこの2020年6月の映画ブログの投稿『92歳のパリジェンヌ』と、NHKの難病に苦しむ日本人女性がスイスの安楽死病院で死を選択する日々を描いたドキュメント番組『彼女は安楽死を選んだ』をとりあげ乍ら安楽死についてまとめています。下記サイトを参照してください。私の考えでは、安楽死が合法化している海外と比較して、日本は問題意識として、社会制度として遅れていますーネ。生命への価値感が違うのかな・・・???

 

 

日本も高齢化社会を迎えています。終末医療専門の病院もあるようです。少しでも命を長引かせるのではなくて、苦痛を和らげ、穏やかな死を迎えられるように治療をする病院です。難病や身体障碍者ばかりだ゛でなく、高齢者が最早これ以上生きていたくないーと、絶望感や諦念を抱えてる年寄りは多くいそうですーネ。こんな高齢者には、延命のための医学ではなくて、穏やかな死を処方する終末医療の医学は、高齢化社会には必要なのかもしれません。誤解を恐れずに言いますが、特に生活するのにキツキツな低所得層の高齢者は安楽死を望むかもしれません・・・。健康な身体と精神と経済的余裕があってのことですが、老いてもなお若々しい感覚で好奇心にあふれている年寄りがどれほどたくさんいるかは、その国の文化的経済的成熟度のバロメータかもしれませんし、また、高齢化社会の大きな課題だと思います。いつまでどれだけ楽しく生きられるかーは、成熟化した先進資本主義国家にとって「安楽死」の壁を乗り越えられるかどうかの高いハードルなのかも知れません。

 

寧ろオリンピック・パラリンピックは、今世紀の新しいスポーツイベントとして、障害者と高齢者が参加する世界規模の競技大会の「オリンピック」でいいと思いますーネ!!!「シニアとオリパラパラ」競技ーなどの発想は、金儲けばかりが先行するIOCの幹部にはないだろうーナ。

 

 

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