2月特選映画コロナ編【3】★映画のMIKATA「日本のいちばん長い日」★ | 流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

流石埜魚水の【特選映画】、★映画のMIKATA★映画をMITAKA・・・

都市生活者の心と言葉を掌にのせた小説、電脳化社会の記号とイルージョンを巡る映画、都市の孕むシンボルと深層を探るエッセイ、街の風景と季節の色を彩る短歌…。小説と映像とエッセイと短歌をブログに・・・掲載します。

 

今年1月12日に昭和史研究の第一人者・半藤一利が亡くなりました(90歳)。天皇誕生日の今日アップしようと思い、そんな因縁もあって彼の原作『日本のいちばん長い日』(半藤一利原作、岡本喜八監督、橋本忍脚本)をDVD で鑑賞しました。これまで劇場版は、岡本喜八監督による1967年公開版(配給東宝)と原田眞人監督による2015年公開版(配給松竹)がありましたが、私は阿南惟幾(陸軍大臣)役に三船敏郎が、鈴木貫太郎総理大臣役に笠智衆が演ずる岡本喜八監督作品を観ました。既に亡くなった名優ばかりがずらり顔をそろえている配役です。モノクロ映像の迫力は、実在の過去の歴史事件を恰も緊迫したニュースフィルムを目前に目撃する錯覚さえ覚えました。以前に2作品を観たことがあるのですが、今回は原田眞人監督版のDVDがレンタル中で借りられなかったので、両作品をもう一度比較して鑑賞できなかったのが残念でした。しかし、2作品には戦争を遂行した日本軍の暴挙や降伏を容認せずに本土決戦を強硬に主張する軍部青年将校たちや、政治家たち政府中枢部の政治家群像の狼狽と迷走の解釈の違いがあると思います。特に、原田眞人監督には、社会性のある映画製作が数多くありますので、日本陸軍の解釈の違いはあるようですので、またの機会に譲ることにします。ただね、戦後76年を過ぎた今現在でも、日本の終戦のあのゴタゴタの政治ドラマ・・・、ポツダム宣言受諾と天皇の玉音放送と終戦の日本人の心情は、日本の戦後の今でさえ依然日本を引きずっているのではないでしょうか・・・!!!。

 

半藤一利の本は、私は『昭和史』(平凡社2004年発行)『ノモンハンの夏』(文藝春秋1998年発行)など何冊か持っていましたが、昭和史と戦争を意識的に問題化するために真剣には読んでいなかったですーネ。天皇誕生日を迎えた今、尚更にノンフィクションの歴史書を映像として観ると、活字から想像するよりはるかに歴史が今現在に動いているように感じられます。俳優の演技力もさることながら、戦争映画の持つ映像的価値だろう・・・ナ。特に、戦闘と戦争を実体験したことのない戦後世代にとって、戦争映画は真に迫力の映像体験ですね。

 

ドイツイタリアの他の枢軸国が降伏した後も尚交戦を続けていた日本は、1945年(昭和20年)7月26日にイギリス、アメリカ合衆国、中華民国など連合国から日本軍の武装解除と即時無条件降伏を求める全13か条からなるポツダム宣言の受諾を突きつけられました。日本が降伏を逡巡していた1945年(昭和20年)8月14日の正午から昭和天皇や鈴木貫太郎内閣の閣僚たちが天皇陛下を交えた御前会議において迷走していた時間から国民に対してラジオでポツダム宣言の受諾を知らせる終戦の玉音放送が流された翌8月15日正午までの24時間のできごと(日本放送協会)を映像化しています。

 

御前会議で日本の降伏を決断した後、国民に降伏を知らせる天皇の玉音放送がレコード盤に記録されて、八月十四日 にラジオに流される予定でした。«朕深く世界の大勢と 帝国の現状とに鑑み 非常の措置を以って時局を収拾せんと欲し ここに忠良なる汝臣民に告ぐ朕は帝国政府をして 米英支蘇四国に対し その共同宣言を受諾する旨通告せしめたり»という玉音が全国に流れた。陸軍の青年将校たちは、この天皇陛下の玉音放送を阻止しようと略奪を懸命に試みる。天皇陛下を警護し宮城を護衛する近衛兵部隊が、銃器武装して宮城を占拠した。陸軍青年将校たちは鈴木貫太郎総理大臣私邸を襲い、不在により未遂に終わったが暗殺を試みる。NHK放送室を襲い職員を脅かし玉音版を略奪しようとした。全面降伏に抵抗する

 

戦争の議論をすれば国民を犠牲にした軍部主導の政治体制批判や、第一次世界大戦から1940年代から始まる時代の流れに巻き込まれた世界の政治情勢と歴史解釈などいろいろな意見が数々飛び交いますが、私がこの岡本喜八監督版『日本のいちばん長い日』作品を観て感じたことは三つあります。陸軍青年将校たちの熱狂は異常に映りましたが、どうしてかくも熱狂できたのだろうか・・・ナ?、彼らの妄信を支えていた国粋主義の裏側に何があるのだろうかな・・・???勿論、天皇を中心とした中央集権国家体制は当然伏在しますが、その辺りの国家体制の歴史認識の誤謬の解釈が、映画では、いや原作と言うべきか、希薄だナ・・・と思いました。もう一つは、陸軍の青年将校の反乱に対して、陸軍の三船敏郎演じる陸軍大臣の阿南惟幾は責任を感じて割腹自殺するシーンがありますが、私にはよく言えば潔い、悪く言えばカッコよすぎる気がしました。徳川幕藩体制で武家の心得、幕末から明治大正昭和に時代が推移する歴史の流れの中で、『葉隠』に言われるように「武士道とは死ぬことと見つけたり」・・・という「武士道」がどのように変遷したのか、私は勉強不足で歴史知識が追いつかないので断言などできませんが、日清日露戦争から第一次世界大戦の世界情勢のパワーバランスの流動で「武士道」そのものが軍事体制に憑依して国家観と勢力が変質してきた気がします・・・。「死」をもって責任を取ることを潔しとする死生観は、日本人の一部の人が持つ独特の死生観ですよーネ。この映画から「死」の美学のようなものを感じました。最後に、この映画を見て、日本的政治体制の劣性遺伝だろうか、今の政治姿勢にも現れている欠陥・・・、間違いを糺す「決断」と「撤退」ができない政治家と指導者が多いーなと感じました。今問題になっている7月延期で開催予定のオリンピック・パラリンピックを、世界中がこの新コロナウィルスの感染によって疲弊しているのに、さらに日本全国に感染を広げるイベントは無茶だろうと誰しも思えます・・・!!!中止すべきなのに、なかなか中止の決断を先延ばしにしています。中止の決断ができない指導者の典型でーネ。日本が敗戦を認め全面降伏を受諾する決定がもっと早ければ、広島長崎の原爆投下はなかったかもしれないーと無念に思います。

 

 

 

 

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