原題:Quiz Show/監督:ロバート・レッドフォード/製作総指揮:リチャード・ドレイファス、ジュディス・ジェイムズ、フレデリック・ゾロ/製作:マイケル・ジェイコブス、ジュリアン・クレイニン、マイケル・ノジック、ロバート・レッドフォード/原作:リチャード・N・グッドウィン/脚本:ポール・アタナシオ/撮影:ミハエル・バルハウス/美術:ジョン・ハットマン/編集:ステュー・リンダー/衣装(デザイン):キャシー・オレア/音楽:マーク・アイシャム/
上映時間:2時間13分/配給:ブエナビスタインターナショナル/製作 1994年、アメリカ 。字幕:戸田奈津子/
主人公:John Turturro ジョン・タトゥーロ(ハービー・ステンペル )、Rob Morrow ロブ・モロウ(ディック・グッドウィン)、Ralph Fiennes レイフ・ファインズ(チャールズ・ヴァン・ドーレン)、Paul Schofield ポール・スコフィールド(マーク・ヴァン・ドーレン)、David Paymer デイヴィッド・ペイマー(Dan Enright)、Hank Azaria ハンク・アザリア(Albert Freedman)、Christopher McDonald クリストファー・マクドナルド(ジャック・バリー )他。
近頃、土曜日の夜9時に日本テレビで、シャニーズ系人気アイドルグループ「嵐」の、桜井翔がクイズショーの司会者として出演する、「ザ・クイズショウ」というテレビドラマがイイ視聴率をとっているようです。
このクイズのルールは、解答者が問題に7問正解した時点で1000万円を獲得。その後、その1000万円を賭けてドリームチャンスに挑戦し、見事クリア出来れば、自分の夢をひとつだけ実現できる、というもの。また、クイズの最中、解答者は『召喚』『以心伝心』『導きの手』という“奥義”を1つだけ使うことが出来るというもの…。
第一話のクイズ解答者はミュージシャン安藤康介役の哀川翔。二話は「ケータイ小説家」、三話は「フリースクールの代表者」、四話は「カリスマ占い師」、、五話は「天才的な腕の外科医教授」六話は「休職中の派遣社員」…。社会のいろいろな分野で活躍する一癖二癖もある職業人が登場する。人間の素顔を暴くクイズショーというドラマ設定です。クイズ番組も進化すると、こんなクイズ番組が、本当にテレビ画面に現れるかもしれないな…。
でも、嵐の桜井翔が出演する「ザ・クイズショウ」もクイズショーならば、俳優のロバート・レッドフォード監督、1994年製作の 「ザ・クイズショウ」もまた古典的なクイズショーの映画です。むしろ、現代のクイズ形式の文化の持つ問題、「クイズショー」の本質をより鋭利に抉り出していると言えます。一度、貴方の観賞映画の一本に入れてください。
さて、石田佐恵子、小川博司編の「クイズ文化の社会学」(世界思想社)の第一章、<日本のテレビクイズ番組史>で、小川博司教授が昔日のキラビヤカで賑やかなクイズ番組をまとめています。ちょうど私と同世代なので、懐しいクイズ番組を思い出し、「そうそう…、それそれ…、あったあった…」と、共感を覚えました。この本は、テレビ番組を考える上で、大変に刺激的で、示唆に富んでいました。
知識人解答型のクイズ番組の、『私の秘密』、『ジェスチャー』、『それは私です』…。視聴者解答型のクイズ番組、『ズバリ当てましょう』、『地上最大のクイズショー』、『クイズ・グランプリ』…。タレント解答型のクイズ番組の、イントロクイズ『クイズ・ドレミファドン』、大橋巨泉司会の『クイズダービー』、『アップダウンクイズ』、紀行ドキュメンタリー風のクイズ番組で、『世界・不思議発見』、『なるほど!ザ・ワールド』、『世界まるごどHOW マッチ』…など、どれも懐かしい番組ばかりです。いかに、クイズ番組がテレビ番組の中心的存在だったかが分ります。
近頃のクイズ番組で言える傾向は、視聴者が参加して、難問難解のクイズを解答して知識量を競い合い、クエッチョンに速考・即答して、勝利者は莫大な賞金を獲得する、従来のクイズ番組が廃れたな、という気がします。クイズ番組に魅力がなくなったのだろうか?いやいや、今はクイズ番組の曲がり角なのかもしれません…。
テレビ空間の役割機能を、第6章≪「お茶の間」という空間≫で、村瀬敬子さんは、日本人の生活文化の中のテレビの位相、クイズ番組の「バラエティー化」を見事に分析しています。テレビが一家団欒の中心であった時代がありました。テレビ画面の前に家族を集め、テレビを囲んで「茶の間」空間を生み出した時代がありました。数々の番組の中でも、クイズ番組の醸すエンターテイメンント性は、家族を茶の間に集め、温かい一家団欒の雰囲気を盛り上げる役割を持っていました。しかし、家族の寛ぎ空間も変質しました。生活形態は変り、家族一人一人の時間の持ち方も変化してきました。テレビの普及は、一部屋一台のテレビ、さらにひとり一台のテレビとなり、個人個人の時間でテレビ番組を選択して、ひとりでテレビ番組を楽しみ、プライベートな時間を寛ぎ、テレビが家族の凝集力を失いました。…映像情報やその場その場のトークを楽しむことができるバラエティー化したクイズ番組は、…弛緩型の視聴と適合していた…という。
テレビ放送史50年のクイズ番組をまとめて、小川博司教授はこう分析しています。
…知識を競い合うクイズはなぜ廃れてしまったのだろうか。もっとも大きな原因としてあげられるのが、情報化の伸展である。イーンターネットなどの情報テクノロジーの伸展は、…知識を頭の中に蓄積しておくのではなく、必要に応じて情報を入手すればいいのである。重要なのは情報をいかに検索し入手するかである。…
…情報化の伸展は、知識の源泉としての学校や書物の地位を相対的に低下させる。学校というシステムそのもの、ひいては学歴社会、受験勉強の意味への懐疑もしだいに抱かれるようになる。…知識を競い合う視聴者参加番組は、知識を蓄積することがあるものと信じられた時代、そして、学歴社会というものを素朴に信じられた時代という、きわめて限定された時期に成立したクイズ番組であるといえるだろう。…
クイズ番組に熱中することは既に社会現象であり、クイズ番組が全盛期の今は、「クイズ文化」ともいえます。
アカデミー賞受賞で話題となった映画「スラムドッグ$ミリオネア」は、今改めて、クイズとは何か?国民がクイズ番組に熱中するとは何なのか?テレビという巨大なメディアの持つまやかしの混在したマスカルチャーの中で、それでもクイズ番組がくり返し、手を変え品を変えて登場する、このクイズ番組とは何なんだ? と問いたいです。
村瀬敬子さんは、こう指摘しています。
…これまでのテレビと家族は相互補完しあいながら「茶の間」という空間意識を生産してきた。しかし、個人視聴がめずらしくなくなっている現在、「団らんの場」である「茶の間」はテレビのなかに移り、さらに視聴者はテレビのなかのタレントたちと団らんするようになった…と。
50年代末にアメリカで起こったテレビ・スキャンダルの実話を基に、テレピメディアの持つ影響力と欺瞞性と脅威を描いた映画「クイズ・ショウ」がありますん。アメリカの放送メディアの揺籃期、クイズ番組の勃興期におこった事件を映画にしています。監督は、俳優のロバート・レッドフォード。原作は、「クイズ・ショウ60年代アメリカ衝撃の真実」(扶桑社ミステリー、有沢善樹訳)。著者は、このクイズ・スキャンダルをきっかけにして、ロバート・ケネディとジョンソン政権時代に、スピーチ・ライターを務め、映画の共同製作にも名を連ねるリチャード・N・グッドウィン。翻訳者の有沢善樹氏の解説によれば、アメリカ人にとって、60年代のケネディ暗殺、70年代のウォーターゲート事件と並んで゜、50年代のこのクイズ・スキャンダルは、記憶に深く刻まれた歴史的出来事のようです。
このクイズ・スキャンダルは、今改めて、国民が熱中するクイズ番組とは何なのか…?巨大なテレビ・メディアの持つまやかしの演出、スポンサーと視聴率の神話が暴露されながらも、それでもクイズ番組がくり返し、サーカスのピエロのようにマスク(仮面)を変え、笑と関心をおもねるクイズ番組とは何なんだ…? と問い質す映画です。
私は、このクイズ・スキャンダルに、このクエスチョンの一つの解答が隠されている気がします。
スキャンダラスなテレビの偽装実話とは、1956年、アメリカで人気が沸騰していたクイズ番組、<21(トゥエンティ・ワン)>で、無敵を誇る物知りのチャンピオン、ハーヴィー・ステンプルが勝ち進んていました。しかし、視聴率の伸び悩みから、番組スポンサー社長から担当者に、別の解答者に変更しろと指示を出されます。そこで、番組プロデューサーは、大学講師で、著名な詩人を父に持つチャーリー・ヴァン・ドーレンをチャンピオンにする計画を実行に移します。
プロデューサーは、一方で、ハーヴィーに別のクイズ番組への出演をちらつかせ、ハーヴィーが本番で解答を間違えることを勧めます。他方で、挑戦者チャーリー・ヴァン・ドーレンには、オーディションで出題したクエッチョンと同じ問題を出して正解するように演出します。
チャーリー・ヴァン・ドーレンは名門出身で、若くてハンサムなクイズチャンピオンとして、雑誌『タイム』や『ライフ』の表紙を飾り、一躍注目の的になった。この裏には、番組をよりドラマチックに演出しようとするテレビのまやかしの裏工作があつた。それでも、彼は、番組がわざと演出した勝利にうすうす気つくが、世間の脚光を浴びる栄誉に負けて、チャンピオンを続投する。
しかし、チャーリーはこの欺瞞に耐え切れずに15週目の対戦でわざと不正解。全米マスコミが注目する中、チャンピオンの座を降りる。ハーヴィーは、このテレビ界の不正を地方検事局に訴えを起こし、立法管理委員会が調査に乗り出す。関係者への聞き込みが開始される。ヴァン・ドーレンはとうとう、立法委員会の席で不正事実を認め、声明を発表する…。
事件は全米放送史上空前のセンセーショナルなクイズ・スキャンダルへ広がる…。
リチャード・N・グッドウィンは、50年代のアメリカの時代背景と経済の輪郭を見事に切り取っています。
…民族動乱、アメリカに対する不信感、増大するソヴィエトの敵対心、今だから言えるのだが、これらは来るべき六〇年代の前触れだった。心のない物質主義や日和見主義への逃避、そして自堕落な生活、そういったもの憂いたり、あるいは賛美したりしていた五〇年代、すでに変革の種が、急速に変りつつあるアメリカの肥沃な土壌に蒔かれていた。…五〇年代、わが国の人口は爆発的に増加した。それは、半世紀前に移民の大波が途絶えて以来のことだった。その三分の二は郊外に集中した。つまり、郊外に住む人々が増えたことがそのまま人口の増加につながった。その結果は芳しくなかった。人びとのあいだに生じた不平不満は彼ら自身の生活や地域、そしてついには国にまで向けられることになった。…また、人びとの欲望の源である経済も変化していた。一九六〇年、初めて製造業人口をホワイトカラー層が上回った。ほとんどの街で、街角の食品屋や肉屋といった小さな商店が次々に廃業に追い込まれた。それは巨大なチェーン店の進出の前触れであり、その年の自営業者の割合は過去最低というきびしい事実が明らかになった。こうした変化は、戦後のアメリカの驚異的な経済成長の終わりを示すものであり、また原因そのものでもあった。五〇年代、国民総生産と個人所得の伸びは、周期的な不景気のせいもあり、四半世紀前に比べて半分以下に落ちていた。…
クイズ番組がくり返しテレビ画面に登場して、お笑い化、バラエティー化した近頃のクイズ番組に対して、笑と関心をおもねるクイズ番組とは何なんだ…? に対して、第4章の≪クイズ番組の精神分析≫で、山本雄二教授は一つの答えを出している。従来のフロイトの精神分析の概念であった<代償満足>に対して、人間の深層心理を説明仕切れない不充分さを指摘しています。彼は、改めてフロイトが≪快楽原則の彼岸≫で、玩具の消滅遊びをくり返し繰り返し反復する、幼児の遊戯に隠されていた苦痛体験から、もう一度クイズ番組を説明しようとする。幼児にとって玩具がなくなるという喪失の苦痛を反復する=快楽から、クイズ番組の解答者と司会者との間でやり取りされるから嘲笑や、からかいや困惑による聴衆の「お笑い」を、他人の失敗を嘲笑する「笑い」そのものが、即ち、知=権力の抑圧にたいする開放と復讐といっています。さんまや紳助や吉本のお笑い芸人の、「呆けと突込み」の笑のツボに嵌ってカカーア、カッカッカーと腹を抱えて笑う私たちは、笑うことで、のしかかる知=権力の抑圧にたいする開放と復讐をしているだと言っても好いのではないでしようか…。
…私たちは驚いたり大笑いしたり、たかがクイズ番組に感動したり、手に汗握ったりしてきた。その空想は覚めているからみることのできる一種の夢である。覚醒した意識はときにそのような夢を見てしまったことに不快の念を抱き、「ばかばかしい」とつぶやきながらしかめ面をみせたりする。だがふと気がついてみれば次の週もまた手をたたいて大喜びをし、絶叫し、涙を流している大笑いしていたりするのである。寝ているときに見る夢を私たちは自由にコントロールする事ができない。…
でも、私たちは、テレビの放つ手練手管の魅力的な呪縛から本当に自由になり、クイズの与える白昼夢の「夢」を本当にコントロールしているのかと問うことから、テレビの娯楽性、クイズ番組のまやかし、巨大マスメディアの闇の脅威をもう一度考えたいものです…。