原題:Slumdog Millionaire/監督:ダニー・ボイル/製作:クリスチャン・コルソン/原作:ビカス・スワラップ/脚本:サイモン・ボーフォイ/撮影:アンソニー・ドッド・マントル/美術:マーク・ディグビー/音楽:A・R・ラフマーン/編集:クリス・ディケンズ/製作国:2008年イギリス映画/上映時間:2時間/配給:ギャガ・コミュニケーションズ/
主役:デーヴ・パテール:主人公ジャマール・マリク、アーユシュ・マヘーシュ・ケーデーカル:ジャマールの幼少期)、タナイ・チェーダー:ジャマールの少年期 、マドゥル・ミッタル:兄のサリーム・マリク 、アズハルッディーン・モハンマド・イスマーイール:サリームの幼年期 、アーシュトーシュ・ローボー・ガージーワーラー:サリームの少年期 、フリーダ・ピントー:放浪の少女ラティカー 、ルビーナー・アリー:ラティカーの幼少期 、タンヴィー・ガネーシュ・ローンカル:ラティカーの少女期) 、アニル・カプール:ラベルクイズの司会者プレーム・クマール、 イルファーン・カーン:ジャマールを取り調べ
る警部。他
近頃また、クイズ番組が多くなりました。週刊のテレビ番組表を眺めると、ここにもあすこにも…、クイズ番組は依然として健在です。
私も、手元の番組表を捲りますと、草野たけし司会の「世界・ふしぎ発見」は、依然長寿番組で健在です。知ることが楽しい世界各国の風俗習慣や、お国柄をクイズの問題にしています。「平成教育委員会」は、「熱血!」がついて、ビートたけしの司会番組の続編のようですが、中学校の国語・数学・理科・社会の教科書から出題される知識レベルは、そのまま。まるで子供の夏休みの宿題をやっているようなクイズ番組です。「Qさま」は、初め吉本芸人の罰ゲームのようで面白かったのだけれども、近頃、漢字テストの教養クイズ番組になっています。爆笑問題が司会する「クイズ雑学王」もそうだが、出演するタレントがいつも賢そうな高学歴の芸能人ばかり。エーウゥこの人も東京大学卒、ワーハァこの人は京都大学卒業、早稲田卒に、慶応卒を…。彼らが学歴社会の看板を背負って、雑学豆知識の回答に一喜一憂する姿は、お茶の間の教養番組です。「一般視聴者の正解率…パーセント」という説明はわざとらしい。吉本のお笑い芸人がよく登場するので鼻につく。お笑い芸人の島田紳助司会の「クイズ!ヘキサゴン」は、まるでクイズを漫才にしてしまったバラエティー番組です。「オマエラ、そんなに呆けてワザトらしいぞ…」と、罵声を浴びせたくなるお笑い番組です。「ためして、ガッテン」は、さすがにNHK、生活の智恵をコッソリと教えてくれる教養クイズ番組です。時々スペシャル版で放映される、中山秀行司会の「クイズ・タイムショック」は、田宮二郎司会の記憶がまだ残っていますが、近頃、高学歴のタレントが出場するので、入試試験のような番組ですね。みのもんたが司会する「クイズ$ミリオネイア」も、近頃はスペシャル版で放映されだけですが、「ファイナルアンサーですか…」と、クエスチョンの真偽を迫る緊張感は、解答者と一緒になって息がつまります。
ただ、近頃のクイズ番組で言えることは、視聴者が参加して、難問難解のクイズを解答して知識量を競い合い、クエッチョンに速考・即答して、勝利者は莫大な賞金を獲得する、従来型のクイズ番組が廃れたな、という気がします。その代わりに、いつもおんなじような解答者の顔ぶれ。クイズ番組に魅力がなくなったのだろうか…?
クイズ番組に熱中することは既に社会現象であり、クイズ番組が最盛期の今は、「クイズ文化」の、再燃化の再生期ともいえます。アカデミー賞映画「スラムドッグ$ミリオネア」を通して、今改めて、クイズとは何か?国民がクイズ番組に熱中するとは何なのか?テレビという巨大なメディアの持つ、まやかしのマスカルチャーの中で、それでもクイズ番組がくり返し、手を変え品を変えて画面に登場するのは何故なのか…? このクイズ番組とは何なんだ? と問いたいです。
私は、映画「スラムドッグ$ミリオネア」を見始めて直ぐに、二つの事を想起しました。
一つは、以前に読んで知っていた貧困地帯をレポートする石井光太氏の何冊かの本を、「あー、あれだ、あそこに書いてあったスラム街だ」と…。この映画から、本と同じ貧困と暴力と売春とマフィアが暗躍する情景を思い出しました。一冊は、アジアの貧困と麻薬と売春が日常となっている最底辺地帯を歩く、『物を乞う仏陀』(文藝春秋)。以来、彼のノンフィクションのファンになりました。沢木耕太郎も藤原新也も斉藤貴男もいいが、石井光太の飾り気のないルポも、素朴な感情の表白があっていいです。カンボジア、ラオス、タイ、ベトナム、ミャンマー、スリランカ、ネパール、インドの裏街を自分の足で歩いて、レポートするリアル・ドキュメン・ルポの本です。もう一冊は、イスラム社会にうごめく娼婦たち、子供たちの人身売買を凝視する「神の棄てた裸体 イスラムの夜を歩く」(新潮社)で、インドネシア/パキスタン、ヨルダン/レバノン/マレーシア、バングラデシュ/イラン/ミャンマー、パキスタン/アフガニスタン/インド、バングラデシュの街路を、眼に映る状況をしポートするシリアルなドキュメントです。
『物を乞う仏陀』の第八章、≪インド 犠牲者~悪の町と城≫では、ムンバイのスラム街に跋扈する魑魅魍魎の間を、ムンバイの貧者の群れをさ迷い歩き、北インドやネパールからさらわれて、アラブの富豪たちに無理やり強姦され、処女膜を破られる売春宿の幼い少女たちを、路上にべたりとすわり込み、手足を切断された自由を奪われた障害の子供たちを、下唇が剥がされて訴えることもできなく、赤い歯茎がむき出しになった物乞いのストリートチルドレンを、誘拐されて内臓を摘出され奪われたことも気づかない車椅子の老人を、子供を誘拐して、熱した油をかけて、目をつぶす凶暴なマフィアたちと…直に接してルポしています。彼はこう書いています。
…ムンバイ、植民地時代の呼称をボンベイという。この町はインド随一の経済都市である。世界の企業が集まり、華やかな映画俳優たちが居を構えている。高級ショッピング街を歩けば、メルセデスベンツやシャネル、それに最新のパソコンが陳列されている光景を見ることができる…だが、かつての町の風景が消えたわけではない。どこへいって古く汚いその名残を見ることができる。町の象徴は植民地時代につくられたインド門である。その周辺には貧者の群れがゆきかう。
…インドでは、臓器売買が行われている。1994年に禁止法はつくられているが、適用されていない州もあれば、闇で行われる移植もある。ムンバイでは公然と行われている。肝不全をわずらわったインドやアラブの富豪が移植手術をうけるのだそうだ。
…建物の脇に、子供たちが一列に並んで立っていた。横目で見ると、ほとんどの者が手足を失い、失明していた。顔や手などに火傷を負っている者もいた。彼らは指さすわけでもなく、ささやき合うでもなく、じっと私を見つめてくる。…
梁石日の「闇の子供たち」(開放出版社)という小説が原作である映画があります。やはり、同じ臓器売買や幼女の売春宿を映画化しているのですが、私は、少しもインパクトを受けませんでした。何故ならば、まるで悲惨さをホームドラマ・ドラマメロドラマにしているからです。「ホームドラマ・メロドラマ」にあえて、軽い娯楽性の味付をしたドラマの意味だとするならば、原作小説がそうなのか、監督の演出がその程度なのか、俳優がそんな演技なのか、撮影のカメラワークがそうなのか…? だが確実に、映画は一冊のノンフィクションに完全に負けていると言えます。
映画「スラムドッグ$ミリオネア」を見始めてもう一つ想起したことは、昨年11月にムンバイの中心地で、同時多発テロが発生したことです。26日夜から27日未明にかけて、インドを代表する高級ホテル「タージ・マハル・ホテル」や「トライデント・ホテル」が襲われ、駅やホテルなど約十カ所で、銃の乱射や爆発により、101人が死亡し、287人が負傷した事件です。「ムンバイ」という都市は、同時多発テロの街だったのです。アメリカの9.11の同時多発テロは覚えていても、もう既に「ムンバイ」を忘れてしまった人の方が多いです。映画「スラムドッグ$ミリオネア」は、西欧文化の影響を受け、アメリカナイズされた文明を享受している現代がもう一度、「インド」とはどんな国なのか…? に注目しなければならないことを教えてくれました。
インドという国は不思議な国です。パヴァン・K・ヴァルマ氏は、『だれも知らなかったインド人の秘密』(東洋経済)で、こんなことを書いています。
…こんな疑問が即座に浮かびます。インド人はこの分野に特別な才能を持っているのだろうか?世界でも最多数の非識字者を抱えるインドがなぜ?ここ数年間ソフトウェア部門が50パーセントを上回る成長を見たのは、インド人が生来持っている能力と何か関係があるのだろうか?2010年までにインドのソフトウェア輸出は500億ドルを超える計画だと言いますが、その価値は現在のインドの総輸出額を上回るのです。サン・マイクロシステムズ社の創始者のヴィノド・コースラ・、ペンティアム・チップスの考案者ヴィノド・ダーム、ホットメールを創ったサビール・パーティアなど、すべてがインド人であることは、単なる偶然なのでしょうか。現在、NASAの科学者や、マイクロソフトやIBMの従業員、インテルの科学者など、大変多くのインド人が活躍しています。世界のトップ500の会社の40パーセントがバック・プロセス用にインドを抱えているのは、安価だから、という理由だけでしょうか。…世界で有数の会社のブレインをインドが担っているという現象は、インド人の個性を真剣に調査してみる価値があることを物語っています。…と。
畳みかけ重ねかけてインド人の能力をパヴァン・K・ヴァルマ氏は賞賛しています。にもかかわらず、インドの現状を手放しに決して賛美することは出来ません…!
インドは、新興経済都市という側面と、貧困のスラム街があり、ゴミを漁ってその日ぐらしをする物乞いの群れが街を徘徊するのもインドなのです。しかし、東南アジアの貧困地帯という側面と、経済先進国の影になっている悲惨な事実は消えません。
またまた、私の悪い癖で、遠回りしてしまいました。
さて、アカデミー賞8冠制覇の「スラムドッグ$ミリオネア」は、北米興収1億ドルを突破、なんと、一日に120万ドルの興行収益を記録した大ヒット映画だといいます。私は、人間をゾンビにするウイルスとのサバイバルを描いたダニー・ボイル監督の作品、『28日後..』をこないだテレビ放映で見て、『28週後』は、つい先日にDVDで見たばかりです。
インドの大都市ムンバイの中にある世界最大規模のスラム、ダーラーヴィー地区で生まれ育った少年ジャマール(デヴ・パテル)は、高層ビルとスラムが混在する大都市、ムンバイのスラム街で育った少年です。
その18歳の青年ジャマールは、インドで大人気のテレビ番組「クイズ$ミリオネア」に出演して、次々と難問を回答します。なんと、番組史上最高額の2000万ルピー(日本円で約4000万円)まであと1問を残すところまで正解を続けます。映画は日本でもお馴染みの、司会のみのもんたと対面する位置にジャマールがいすに座る場面から幕が開けられます。
問題の難解さは、医者も弁護士も、どんな知識人もこれまでに、1度として挑戦できなかった高額の賞金であったことから、疑惑をもたれる。番組の背後に、ジャマールのたくらんだ不正と裏があると疑った番組ホストの嫉妬と先入観により、ジャマールは警察に通報され、番組1日目の収録直後に逮捕されてしまう。
ジャマールを尋問するのが、イルファーン・カーン。彼は、尋問と拷問を重ねるが、ジャマールから不正工作の自白はなかった。しかし、青年は、「自白」の替わりにクイズの正解が分った理由を語り始める。幼年期から少年期へと、貧富の差が混在するインドを生き抜いた少年の過酷な運命と環境、ジャマールが生きてきた波乱に満ちた過去の三つの回想シーンの形で真実が明らかにされます。
ジャマールは何故、100ドル札に印刷された大統領の名前や、ピストルの発明者を知っていたのか…? ジャマールになぜこれほどの知識があり、この番組に出演するに至ったのか。なぜ無学文盲の彼がクイズの難問に答えられたのか…? ジャマールの過酷な運命が、クイズの答えを導いたことが明らかになってゆく。社会の最底辺を生き抜いてきたからこそ、生きるための「知識」を身につけ、生死のさかえを生き抜くための「知識」が、生存のための知恵であり、クイズの答えだった…。 一問正解するごとにジャマールの過去の謎が解かれて行く。
ジャマールの幼年時代の記憶、少年時代の日々をたどるような問題が偶然、出題されたのだってた。ジャマールの生い立ちの中に淡く悲しい運命の恋もあった。彼は生き別れになったままのラティカと再会するため、クイズ番組に出たのだった。
ジャマールと兄サリーム、孤児だった少女ラティカは、「三銃士」のように力を合わせて成長する。がしかし、孤児を誘拐して、障害者の乞食として働かせ、搾取するマフィアから逃げる途中、別れ別れになってたラティカを忘れられなかった。ジャマールが過去を振り返って、生い立ちを話す中で、一途に思い続け探し続けた少女ラティカ、今はマフッィアのボスの愛人となっているラティカのことも浮き彫りになっていく。
バックに流れるインドのエスニックな音楽は、映像を見る者をグイグイと引き込みます。幼少のジャマールがウンコまみれの姿でサインを求めに駆けつけたインドの人気歌手は誰なんでしょうか…?
ジャマールの忌まわしくも残酷な幼年期、少年期の過酷な記憶には、インドの抱える貧富の格差、幼児虐待、マフィアの売春ビジネス、臓器売買、宗教暴動…が刻まれていました。これは、石井光太の『物を乞う仏陀』のルポするインドの街でした。「スラムドッグ$ミリオネア」には、急速に近代化を進めるインドの痛ましい現代史が凝縮されています。