紀元前の大昔に、女性から告白して彼を射止めたなんて、すごく素敵なお話だと思いませんか

アチヒコオ ミレバコガルル
ワカヒメノ ワカノウタヨミ

と始まります。アチヒコさんとは、オモイカネさんのことです。
オモイカネさんは、トヨケ大神の元で、アマテルカミと共に学んだかたですね。
アマテルカミの左大臣として、力強く支えられました。
天の岩戸の時は、野洲から真っ先にかけつけ、神事のリーダーシップをとりました。
それほどの方ですもの、わか姫が惚れるのも当然ですよね。

わか姫は、オモイカネさんへの恋心をうたに詠んで届けます。
そのうたとは、
キシイコソ ツマオミキワニ コトノネノ
トコニハキミオ マツソコイシキ
(訳)去年、キシイの国(紀州)でお会いしてからずっとあなたを思っております。
私の胸は、琴の音のように高鳴り、床についても、あなたを思うばかり。恋しいあなたをお待ちしております。

 

まぁなんと情熱的、そしてこのうたをよくみると、上から読んでも下から読んでも同じうた。
これを回りうたといって、返すことも変えることもできない力があるということです。
アマテルカミの姉君から、このようなウタミ(短冊)をもらったオモイカネさん、慌てふためく様子が
手に取るように浮かびますね。

そして、私は、ふと閃いたのですが、わか姫は、事前に、養父のカナサキさんに相談して回りうたを作ったんじゃなかろうか。

 

わか姫:「お養父様、オモイカネさんに告白したいのだけど、どうしたらいいでしょう?」
カナサキ:「確実にゲットできる方法をワシは知っとるぞ。わか姫、それを使ってみてはどうかな」
わか姫:「はい、ぜひ、教えてくださいまし」
カナサキ:「回り歌を作るのじゃ。回り歌は、ことばを返すことも、変えることもできないので、願いを叶える力があるのじゃ。
       ワシも以前、アマテルカミと一緒に船に乗っているときに、荒れる海を、この回り歌で鎮めたことがあるのじゃよ。」
わか姫:「お養父様、ありがとう」

 

うふふ、筋書き通り、オモイカネさん、一発で落ちたと思われます。

 

注)わか姫は、イザナギ、イザナミさんが天の節(厄年)の時に授かった子どもだったので、いったん捨てた形を取り
カナサキ夫妻が育てました。ですので、わか姫にとってはカナサキさんは、養父となります。

 

ホツマツタエ1アヤに、祓いうたのお話が出てきます。
これは、紀州で稲虫が大発生したときに、わか姫が作った32音の和歌を
セオリツヒメがうたって、稲虫を追い払ったというお話です。
和歌は、31音(5・7・5・7・7)ですが、32音(5・7・6・7・7)にして
声余りにすることで祓いうたとなるんですって!へぇーーー
なぜ、ミソフ(32音)はハラヒ(祓い)なのか、という天の巡りのお話も
ものすごくおもしろいですが、これはまたにしますね。
私が、びっくり仰天したのは、この祓いうたが、私たちの身近にあるということです。
「君が代」です。君が代は祓いうたなのです!
5・7・6・7・7の32音でできているではありませんか!!!
なんということでしょう、私たちは、常常、この君が代に守られていたのであった。。。
どこのどなたが作られたのか、存じませんが、「さざれ石の」とわざわざ6音にして、祓いうたにしたのですね。
ホツマツタエを知っている人が作ったにちがいありません。
日本って本当に素晴らしい国だと思いませんか
今年のお正月に天皇陛下が詠んだうたです。
「語りつつ あしたの苑を 歩みゆけば 林の中に きんらんの咲く」
5・7・6・7・7ですね。祓ってますね。
守ってくださっているのですよ。陛下が、私たちを。
恥ずかしながら、この年になるまで、君が代が何たるかも全く分かっていませんでした。
ホツマツタエに出会ったおかげで、これからの人生では、君が代を大切に思うことができます。

 

三重県の白子というところにある子安観音寺、不断桜にまつわるお話をさせてくださいね。
ホツマツタエ24アヤ
天照大御神様の孫であるニニキネさんと、コノハナサクヤ姫のお話でございます。、

コノハナサクヤ姫という名は、のちに、ニニキネさんがつけた名前で、元の名を、アシツ姫と言います。
こんなすてきな名前をいただくほどだもの、納得のお話がでてきますよ。

ニニキネさんは、アシツ姫に一目ぼれ
その夜、愛の契りを結ばれました。
のちに、身ごもったことを打ち明けられたニニキネさんは、喜んで、すぐにでも、
伊勢へ詣でて、天照大御神様に報告に行こうと、アシツ姫と旅支度を始めました。
そのとき、アシツ姫の母が、アシツ姫の姉を連れてきて、
どうぞ姉のイワナガ姫もお召しください。
あまりに醜いイワナガ姫をニニキネさんは拒否しました。
逆恨みした母と姉は、ある企みを企てます。
伊勢の途中、白子の宿まで来たとき、卑劣なささやきが、ニニキネさんの耳に入ります。
「アシツ姫のおなかの子は、浮気してできた他の男の子です」
思えば、たった一夜の契りで子供ができたことに疑いが生まれ、
姫を置き去りにして、伊勢に向かってしまいます。

一人残されたことを知って途方に暮れる姫
自分が母と姉から妬まれ、いわれなき罪に落とし込まれたことを悟った時、
1本の桜に誓いをたてます。
「桜よ、私に降りかかった妬まれの恥をそそいでおくれ
 もし、おなかの子が、ニニキネ様の子でないというならば、枯れてしまえ
 ニニキネ様の子であれば、子が生まれるときに咲け、断えることなく咲け」
桜に思いを込めて、植え、里に帰りました。

そして、3つ子を出産、時は6月。
もちろん、6月でも姫が植えた桜は咲いてますとも。

伊勢にいる、ニニキネさんに伝えるも、返事なし
まだ疑いが晴れていないのだと改めて知らされ、いっそう苦しみました。

アシツ姫は、苦しみの果てに、我と我が子の無実を明かそうと、命をかけた行動に出るのです。

3人の子とともに無戸室に入り火を付けました。
本当に、ニニキネ様の子でないのなら、私も子どもも焼け死ぬことでしょう。

そこに、ハラミ山(富士山)の龍が助けに現れ、雨を降らせて、姫と3人を助けました。

このころ、ニニキネさんは、白子の桜が、咲き続けて断えないことを知り
はやる気持ちで、アシツ姫に会いに行きます。

しかし、今だ閉じたままの姫の心は、会う力もなし
ニニキネさんは、情熱的なうたを姫に届けます。
このうたで、姫は、今までの恨みも涙も一度に解け落ち、ニニキネさんへの思いが胸いっぱいにこみ上げました。

ニニキネさんは、民の前で、宣言しました。
アシツ姫が、子どもを産んだその日から、桜が断つことなく咲いているので、今より、姫には、
コノハナサクヤ姫という名を贈ろう。
姫は3人の子を乳母の力を借りずに、自分だけで立派に育て上げました。
のちに、子安神と呼ばれるようになりました。

かなりはしょりました。
なぜ、桜なのか、
情熱の歌は、どんななのか、
イワナガ姫のこと、
いろいろと重要なことがたっぷり24アヤにはでてますので、興味のある方は、ぜひホツマツタエを調べてみてくださいね

そして最後にびっくりしたことが・・・
不断桜がある子安観音寺の住所が
鈴鹿市寺家町(じけちょう)、読み方は違うけれど、私の旧姓と同じ字だ。私は、「寺家(てらいえ)」というんだけど。
びっくりです。不断桜にひきつけられたのはこのせいかな。

 

 


徳島で、ふぅちゃんが、さつきさんと二人で写真撮ろうって言ってくれてツーショット。
ふぅちゃん、少し太ったとか言ってたけど、相変わらず、スタイル良し、顔ちっちゃ。
顔の大きさ、定規で図ったわ!!
私の顔のでかいこと、下半身のこのずんぐりは、なんぞよ。

ふぅちゃんと比べちゃいかんぞー
でも比べるぞー
とか、思っていましたが、今の私を写真で見ていたら、
このずんぐりとしたからだのなかに、今まで幸せな環境や条件があるのに、生きづらさやいろんな苦しさを感じ、もちろん、喜びもたくさんだけど、すべてこのからだの中で、受けとめてきたんだなぁ
そんな風に思えたら、このずんぐり具合といい、顔のでかさといい、これこそが私だわ、
なんだか愛おしいなぁ
ふぅちゃんと比べることなんか、どうでもいいことやわ

みんなちがってどうでもいいのよ

これからますます、体形も顔も、ひどくなっていくだろうけど、どんなにひどくなったとしても、私は私を受け入れて、慈しんで生きたい

この溢れる思いに、選手宣誓をしたくなりました。

「私は、ここに、これから一生、私を慈しみ愛していきます!と誓います。」

こう、言い切ったときに涙がでるのは、

やっとここまで辿り着いたね、と私自身が喜んでいるのだと思えます。

ツーッショットありがとう。

 

本当にそんな風に思ってたんですよね。
なんで、こんな家に生まれたのか、親のすること、なすこと、話すこと、すべてが嫌で嫌でたまらなかった。
小学校の時から、家出する用意をしていました。
私の結婚式の日、両親が人前に出るのがいやで、父に対して、今日はひとこともしゃべらんといて、と頼んだ。
母が、結婚式の費用を少しでも出させて、と言ってくれたのに、一銭もいらん、とはねのけた。
できることなら、親子の縁を切りたかった。
私にとって、両親は、何の役にもたたず、じゃまな存在、いっそ、天涯孤独の方がよほどまし。
ずっとずっとそう思ってきました。
本当に申し訳ないですね。
書きながら、お詫びがわいてきます。
大人になってからは、親に感謝できない自分は、だめだと自己否定
感謝できる自分になりたいと、自分なりに勉強してきました。
感謝って、なんだ?と、わからなくなった時期もありました。
そしてへそ道のおかげです、
今では、この親だったからこその自分を受け入れ、産んでくれたおかげで今の私があること、親子の縁だけではなく、命をつないできてくれた先祖の縁が有り難いと思える私になれました。
親子の縁を切る!と思っていた自分を、私は知っているので、今、こんな風に、素直に私の親でいてくれてありがとうと、思えてる自分の変化に、気づくとびっくりです。
そして親を憎んでいたあの頃の自分を、今の私はどう感じているのでしょう?
責めたり裁いたり否定したりする自分がいるかなと思ったけど、ちゃんと受け入れている。
自分が自分を味方してあげることができているようです。
それは、とってもうれしい成長ですね。
オセロが、パタパタパタと黒から白に変わっていく感覚を味わわせていただきました。

さぁ、久しぶりにブログを書いてみますね。
最初にヘルニアを発症したのは、7,8年前だと思います。私の場合は頸椎のヘルニアです。
ご経験者は、よくご存じでしょうが、ほんま痛いですよね。
病気をあまり知らない私には、人生初めての大病と言ってもいいかも。
私は、ヘルニアに負けてはならぬ、この痛みを克服するために頑張るんだ!
頑張れ、頑張れの人生でしたので、やはり、痛みと戦うことしか考えられなかったのです。
一度発症すると、1か月は激痛、半年くらいはすっきりしません。
やっと元に戻れたかなと思うと、再発。
ヘルニアは長年かかって作り上げた骨の形状ですので、治るはずがありません。
ですので、痛みと戦うのではなく、今後の人生をヘルニアとともに生きていこう、そう考えることができるようになりました。
そんなとき、鍼灸治療と巡り合うことができました。
からだはひとつながりだということを知りました。
首だけの問題ではなかった!
折しも更年期に突入のころでした。
更年期とヘルニアが、直接結びついているわけではありませんが、女性ホルモンの激減がからだの弱い部分に影響を受けないはずがないですものね。
それから、私は、自分のからだが、愛しくなりました。
肉中心から、野菜中心となり、辛い物もやめました。運動もするようにしました。
からだのメッセージに耳を傾けるようになったのです。
心理学を学んでからは、こころもからだもひとつながりだということがわかりました。
笑顔でハッピー、これが何より大切。こころの健康、これがけっこうむずかしいけれど。
そんなことを経て、数年前の再発の時、ふと思ったこと。それは、
すべては、陰と陽であるならば、痛みの裏っかわは、喜びではないのか。
この痛みがあるからこそ、喜び、幸せを感じられるのではないか。
この痛みは、喜び、幸せのためにある、そうであるなら、私は、この痛みをすすんで受け入れよう。
ヘルニアの痛みに、ありがとう、と感謝が湧いてきたのです。
それ以来、ヘルニアの再発はありません。
できれば元気でいたい、病気にはなりたくないと思ってしまいますが、病気には、自分の人生にとって、必要なメッセージが込められているのだなぁと思います。
そして、メッセージが、きちんと届くまで、繰り返してくれるのですね。

ヘルニアになったからこそ、自分にしっかりと向き合おうと思えました。
ヘルニアになったからこそ、自分を大切にしたいと思えました。

今まで、ヘルニアが再発するのではないかという恐怖をいつも抱いていたような気がします。
この記事を書いていくうちに、私のヘルニアは治ったんじゃないのか、今そう感じています。
急に、ブログを書こうなんて、どうしちゃったんだろうと思ったけど、
ヘルニアとの完結だったんだわ。

なるほど・・・
ありがとうございました。



9月はお誕生月です。
9月に生まれた私を、両親は、さつきと名付けました。
5月生まれ?とよく聞かれます。
面倒くさくて、5月生まれにしておこうかと、本気で考えたこともあります。
だからか、誕生日っていうのが、苦手です。
私は、自分の人生の始まりから、否定してきたんですね。
そりゃ生きにくいはずです。
私にとって、「さつき」という名前は、両親の無知、無学を証明してるような感じでした。
若かりし頃は、親からできるだけ離れ、嫌い、避けてきました。
社会に出て、いっちょ前に、なってからは、字も書けない親を、バカにし、さげすんできました。
恨むことはあっても、感謝など、かけらもない、
これが私、とうてい、受け入れることなどできない、自分が許せない。

ある日、母の手紙を思い出しました。
私の息子たちに、お年玉やお菓子などを定期的に宅急便でおくってくれるのです。
その中に、母が書いた手紙が入っています。
まるで、幼稚園児か?というくらい、それはひらがなだけでたどたどしく書かれた、手紙です。
私は、見るなり、恥ずかしくて、頭に血が上るほど嫌な思いで、その手紙を、くしゃくしゃに丸めて、ごみ箱にポンと捨てていました。

母は、この手紙を、どんな思いで書いてくれたのだろう・・・

そう思ったとたん、涙がこみ上げ、しゃくりあげるように泣きました。
娘である私に対する、母の思いなど、考えたこともなかったのです。
私は、貧乏なこと、両親が小学校さえでてないこと、職業が安定しないこと、そんな、外側ばかりを見ていたのです。
外側なんて、どうでもよかった。
間違いなく、私は、親が思う、子に対する愛情で満たされていた。
貧乏でも、夕食は、必ず、親子そろって囲んでいた、食後、お菓子を広げて、兄弟で競い合って食べていた。それだけとっても、幸せを味わっていたのに、私は、自分を勝手に不幸な子に仕上げていたのです。

母に対する、お詫びがあふれて止まりません。
もちろん、父に対しても、情けない父親と思っていました。
ごめんなさい、どうか、この私をお許しください。
と、天に、そして両親の、みたまに、お詫びしました。

すると、今度は、両親に対する感謝がぞくぞくと出てきました。
私は、両親のもとに生まれたからこそ、幸せだったんじゃないのか。
ほかのだれでもない、9月生まれのさつきを、しっかりと生きていこう。

ただいま、絶賛お詫び中のさつきでした。


東京は8月18日(月)
サンマーク出版さんのお祭りという感じに盛り上がっておりますよ。
満席間近!
お申し込みはお早めに。

=== 東京出版記念講演会 ===

『へそ道』出版記念講演会&入江富美子+鈴木七沖トークセッション

◆日にち:2014年8月18日(月)
◆時間:18:00開場、18:30開演、20:30終了予定
◆会場:東京ウィメンズプラザホール
    http://www.pbls.or.jp/event/map_tokyo-womens-plaza.html
◆参加費:3,500円(刊行前の『へそ道』付)
◆申込先:以下よりお申込みください
https://www.sunmark.co.jp/seminar_event/details.php?seminar_cd=2014081802
◆主催者:サンマーク出版


当日は、午後にも同じ会場でサンマーク出版さん主催の
素敵なイベントがあります!こちらもお見逃しなく♪

《午後の部》
◎ドキュメンタリー映画『何のために』上映
◎中村文昭、舞台挨拶
◎氷室優(出演者)+案浦豊土・鈴木七沖(W監督)のたっぷりトークセッション
◆時間:14:00開場、14:30開演、17:30終了予定
◆参加費:1,500円
◆申込先:以下よりお申込みください
https://www.sunmark.co.jp/seminar_event/details.php?seminar_cd=2014081801



ふぅちゃんの本が、8月に出版されます。
去年の6月、サンマーク出版の鈴木七沖さんが、へそ道をゆのさとで受講されました。
2日目の朝、ふぅちゃんと朝食を食べているときに、鈴木さんが、
「へそ道の本を出そう!これからの時代に、ぜったい必要な本になる!」
とお話しされたのを、今でもはっきり覚えています。
そのへんのことも、鈴木さんと、ふぅちゃんの対談で、ぜひ、お話いただきたいと思います。
そして、「4分の1の奇跡」65分バージョンで見ていただきたいのです。
当時は、へそ道ということばは、使っていなかったけれど、へそ道の始まりであったことは確かですね。
どうぞ、皆様、お越しください。
へそ道を体験してみてください。
1滴の波紋が、今すぐに起こらなくても、きっとその人にとって、必要な時に、大きな波紋となると信じています。
幅広く、たくさんの方に、この日は、ご参加いただきたいです。
どうぞよろしくおねがいいたします。


【イベント名】: 「へそ道」出版記念イベント入江富美子講演&「4分の1の奇跡」上映会

【上映日】: 2014年 08月 30日(土)
【時間】: 12:30 ~ 16:00 (開場 12:00)
  12:30~ 「4分の1の奇跡」(65分バージョン)上映
  13:45~ 入江富美子講演会
  15:00~ 鈴木七沖(サンマーク出版編集長)&入江富美子対談

【会場名】: 東成区民センター 6階 小ホール(大阪市東成区大今里3-2-17)
【会場定員】: 200
【日本語字幕】: あり
【入場料金】: 前売5000円/ 当日5500円

【主催者(団体)名】: へそ道インターナショナル/五十崎さつき(イソザキ)

【受付E-MAIL】: こちらから
【受付FAX】: 06-6686-2902
【受付電話】: 070-5346-7646
【問合せ連絡先】:上記電話にお問合せください。 
【お知らせ】: ご参加の方に、入江監督サイン入り「へそ道~宇宙を見つめる 使命を見つける」の本
 をプレゼントさせて頂きます。
 映画は字幕付き、講演は手話通訳付きです。
自分が考えてることとは、違うほうを示されるよ
そうだ、ふぅちゃんは、いつもこう言ってた・・

私は、上映会・講演会を主催するたび、もういやだ、二度とやらない!と固く決意していました。
達成感よりも、苦しみのほうが大きかった。
にもかかわらず、またしても、8回目の講演会を来月、主催します。
なぜなの?

なぜなら、それは私のミッションだから。
ふぅちゃんも、映画はもうぜったいやらないといいながら、やっぱり第4作目突入

自分が考えてることとは、違うほうを示されるよ

ミッションは、それを選べるかどうかだよ

えっ~~、私のミッションやったんや!
わくわくすることだけが、ミッションやと思ってた
1回目と2回目の上映会の時は、確かにワクワクでした。気持ちよかった。
3回目あたりから、ちょっと違ってきたような気がする。
自分の意志ではない、何者かに動かされて、上映会をしているような、そんな感じがしていました。
それ故かなぁ、集客のはがゆさや、達成感のなさを、何かのせいにしたいような、
自分が決めてやってること、誰かのせいでないことは、当然、わかってはいるんだけど、自分に責任を取りたくないような気持ちっていうのかな。
私は、まだまだ、自分自身が満たされてないから、こんな気持ちになるのだろうと、考えてましたね。

なんだ、ミッションやったんや!
天が私を動かしてくれてはったんや!
ミッションとは、気づかなかったぞーごめんなさ~い
自分の考えと(頭と)違うほうを示していただき、それを、選ばせていただいてありがとうございます。
8回目にしてやっと気づきました。
よくぞ、あきらめずに、道を歩ませてくださいました。
天の仕込みだもの、スムーズにいくはずがない。
何もかも、私の成長のために、苦しみを作ってくださった。
みたまが、成長できるチャンスであるならば、喜んで、苦しみますとも。

私の8回目の主催、ミッションを遂行させていただきます。
どうぞ皆様、お越しくださいね。

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