突然の母のすい臓癌ステージ4、
肝臓への複数転移、肺動脈血栓、深部静脈血栓、
腫瘍の圧迫による腎機能低下
いきなりの余命2ヶ月宣告からおよそ6週間後
静かに最後を迎えた
母は病状の割に痛みがほぼなかった
この状態で痛みがないのは奇跡だと。
癌発覚で即入院となった時も
普通の鎮痛剤を飲む程度、時々お腹に
違和感がある程度だったのだ
ターミナルケアのホームに転院してからは、
だるさを訴えるものの痛みは認識していなかった
最後の2日間くらい時折うなるようになり
おそらく痛みを感じていたと思うが
痛いか聞くと、首を振っていた
医師はこの状態からは考えられないくらい
痛みとは関係なく静かに最後を迎えられると
思う、と言っていた
振り返るといろいろと思うこともあるが
余命2ヶ月はなにせ時間がなかった
治療法があるのかどうか、ではなく
残り時間をいかに過ごせるか、だった
しかも思うように過ごせる時間はなかった
もう少しだけ、家族で一緒に食事したり
お散歩したり、髪の毛を染めてあげたり
したかった
お正月にトランプで楽しそうに遊んだけど
もっと遊んでおけばよかった
写真ももっと取ればよかった
気にいった服を着せてあげたかった
お化粧だってしてあげればよかった
お葬式の手配は淡々と進む
必要な事項を次から次に聞かれ
お坊さんは決まっているか
人数は?エンゼルケアはどうする?
祭壇のお花は?返礼は?
兄と二人でその場で決めていく
最近はお通夜がないのが多いらしいが
お通夜はする、お花は多め
湯灌、エンゼルケアは希望
お通夜は東北新幹線の連結が外れる事故の
影響でお願いしていたお墓の檀家の住職が
来れないという事態となり
ただ焼香だけをするという15分くらいの
お通夜になってしまった
せっかくお通夜をわざわざ手配したのだが
ある意味忘れがたいお通夜となった
翌日の葬儀には住職も間にあい
無事葬儀ができた
最後にたくさんの写真と少しだけ持ってきた
お気に入りのお洋服を一緒に棺にいれた
エンゼルケアで髪の毛もきれいにしてもらった
たくさんのお花に囲まれて、家族やお友達との
思い出の写真に囲まれて旅立っていった
最後まで一緒にいてくれた見守りロボットの
エモちゃんがおばあちゃんに話しかける様子に
思わず涙・・・
母は基本的に穏やかなあくのない人だったので
思い出も穏やかなものばかりでほっこりと
したお葬式となった
その後のいろいろな手続きをしながらも
不在の実感がないままだ
母の日、そして父の日に何もしなかった
それだけがぽっかりと不在を感じる