前回の記事で、桑田さんが
「目立ちたがり屋の芸人でーす」という
世間からのイメージにかなり辟易していた旨を
なんやかんや言うても ロッキンは良いな | JIROのブログ (ameblo.jp)
『ブルー・ノート・スケール』(ロッキング・オン、1987)
を参考に述懐しましたが、
客観的な視点からすると、桑田さんをはじめ
サザンオールスターズの目指すところや内面を
知らないと、
「勝手にシンドバッド」だけ聴いた時点ではそうなっちゃうのも
しょうがないよね、とも思うし。
そもそもこの曲名が志村けんさんのギャグってことだし。
桑田さんがどうしてもこれでデビューしたいっていう
企図や思い入れがあったかは、
『ブルー・ノート・スケール』や『ロックの子』とか参照していただけると。
高垣さんは「別れ話は最後に」を推していたけど、
大里さんが「これしかない」という意見を出したこともあり、
「勝手にシンドバッド」になったそうです。
「「勝手にシンドバッド」は俺達がこういうことも
出来るんだぞっていう一つの存在証明だったよね。
細野晴臣路線があった上で、俺達のキャパシティは
まだ他にこんなものもあるぞ、みたいなね。
ところが、「勝手にシンドバッド」路線が
本流だと思われちゃったわけね、完全に。(後略)」
(『ブルー・ノート・スケール』107頁)
この頃はKUWATA BANDを経由してソロに入る時代でもあったので、
必要以上に初期サザンについて批判的になっている面もありますが、
まあ、ご本人がそう思われていることですから。
で、デビュー以前、そのきっかけになったイースト・ウエスト予選で
持ち歌が「5曲くらいしかなかった」と関口さんが語る時代、
(『突然ですがキリギリス』集英社文庫版、96頁)
「別れ話は最後に」「茅ヶ崎に背を向けて」
「渋谷の女」「悲しみはブギの彼方に」
そして本選で演奏したのが
「今宵あなたに」「女呼んでブギ」だったそうですが。
(『ロックの子』講談社、1985、104頁)
舞台上でケツ振りながら「♪女呼んでもんで抱いていい気持ち」、
もう1曲は「♪あなた悲しや 天ぷら屋」、
そいで斎藤誠さんらサクラがノリノリになっている光景見たら、
そりゃ第一印象は「目立ちたがり屋の芸人」だよな(笑)。
同時に、原さんに対して一途だったんだな、とも感じられて
なんか微笑ましい。