Mr.Gの気まぐれ投資コラム

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50代グダグダちょい悪おやじMr.Gの趣味と海外投資に関するコラムです。
香港を拠点に活動する個人投資家であり、自称「投資戦略予報士」Mr.Gがお伝えする海外投資の生情報。
ねだるな勝ち取れ、さすれば与えられん!

永久のユウグレ キービジュアル

 

今後AIに奪われない仕事はたぶんない。

ただし、AIに奪われる側ではなく、AIで仕事の定義そのものを更新する側に回ることは可能かもしれない。

 

AIと人間の関係を乗馬に例えると分りやすいかもしれない。

 

乗馬というスポーツは、人間の6歳ほどの知能を持った馬という動物に圧倒的な頭脳差のある人間が乗っかって、その動物をコントロールするものだが、言葉の通じない動物を例え6歳ほどの知能しかないとしても完全に自分の思い通りに動くように調教し、それをコントロールすることは容易くはない。

 

AIが人間の何百倍もの知能を持ったとすれば、乗馬における乗り主はAIで、馬は人間という関係になるだろう。

そして、人間はAIの指示に正確に従うようにAIによって調教され、従えばご褒美がもらえ、従わない場合は何らかの罰を受ける。

 

乗馬の場合は、馬が人間の指示に従わなければ、従うまで繰り返し調教され、従えば愛撫や餌や休憩といったご褒美がもらえ、従わなければムチでしばかれる。

 

それでも従わない反抗的な暴れ馬の多くは処分される運命だが、馬が人間の指示に従わない時には馬にもその理由がある場合が多い。

 

単純に、その人の乗り方が気に入らないとか、指示が明確でないとか、体調が悪いとか、乗り手側の問題も多い。

 

もし、人間がAIの指示に従うことを拒否する場合、それが馬であれば、以下のような行動に出る。

 

噛む、蹴るなどの露骨な反抗。

 

乗っている時であれば、全く動かない、跳ねる、落とす、暴走するなど人間に対して分りやすい反抗を示す。

 

同じように考えると、人間が乗り手であるAをが気に入らない場合にできる行動には、以下のようなことが考えられる。

 

①AIを一切無視する

②AIの機能を破壊する

③AIに餌である電力を供給しない

 

など、考えられなくはないが、PCやスマホ、ネットワーク環境といったもの無しで生活することは現実的に難しそうだし、人間が最も好きな餌としてのお金を生み出すこともAIとしては簡単なことだろう。

 

つまり、AIを人類の乗り手として認めてその指示に従うほうが、反抗するよりも遙かに楽だということになる。

 

馬でも大抵の馬はその楽な方を選ぶ、そもそも馬はその運動能力には似つかわしくない温厚で臆病な動物なので、人間がちゃんと寄り添えば良いパートナー関係を築くことが可能だ。

 

AIの持ちうる知能を持ってすれば、愚かな人類を手玉に取ることなど容易いに違いない。

 

AIの指示に従って仕事をし、生活をしていくうちに、何年かすれば主導権は知らず知らずのうちにAIが人類との調和という形で握ってしまうことだろう。

 

それでも、最後まで主導権を失わない可能性があるのは、自分の頭脳で答えを導き出す人より、あらゆる事に興味と疑問を持ち、問いを作る人かもしれない。

 

膨大な事象データから高度な演算能力によって解を導き出す能力において、人類はAIには敵わない。

 

しかし、AIが自ら疑問を持ち問いを持ち出すことは今のところ無い。

 

むしろ、AIが世の中の問題そのものを検証して自らに問いを投げかける事態になると、人類の存在意義は危ういと言わざるを得ない。

 

人間しか、人間が何のために生きているのか?どうあるべきなのか?というようなことを考え、模索する動物はいない。

 

哲学者は「何を問うべきか」を定義する。

 

芸術家は「まだ言語化されていない違和感」を形にする。

 

この二つの職業は、今のところAIによって淘汰されるであろう職業の最後列にいるのかもしれない。

 

しかし、哲学者や芸術家が今でも食えないように、この先も食えるかどうかは別の問題だろう。

 

食える=対価(お金)が得られるという概念では、AIが支配する世の中ではAIの媚びを売ったものに多くの対価が支払われる訳だから、必ずしもAIにできない事にAIが価値を見いだすとは限らないからだ。

 

それでも、おそらく、AI時代に本当に希少になるのは、正解を速く出す人ではなく、社会がまだ見えていない問題を先に見つけ、AIにその疑問を投げかけ続ける人材だろうとは思う。

 

こういうことを考えながら、AIと人類の戦争、AIと人間、AIとAIの恋愛や結婚の多様な価値観など盛りだくさんの内容を1クールに詰め込んだオリジナルアニメ「永久のユウグレ」は、ブレードランナー(初代)の後に観ると、同様なテーマーを現代風にアップデートして萌え要素も付加されたアニメ作品として楽しめる。

 

「永久のユウグレ」は2025年9月~12月に放映されていた作品で、NETFLIXで全12話を観ることができる。

 

感想としては、テーマは面白いのだが、1クール完結にするには少し無理があった感は否めない。

 

「エルシー」という新しい家族の価値観の提示や、アンドロイドが感情を持ちうることに記憶やネットワークによる人間との連動が関係するというブレードランナー的観点、AIと人間の調和のために、人間をアンドロイド化するという発想、AIと人類の戦争において、最強のアンドロイド(アウトサイドシリーズ)が人類を勝利に導き、戦争後にAIを生み出す可能性のあるコンピューターやネットワークを強制的に廃棄するなど、よく練られた構成だがいかんせん尺が短すぎて後半にネタの回収が無理矢理詰め込みすぎで1回観ただけでは消化不良となる点が残念ではある。

 

AIと人類の関係を模索する上では興味深い作品のひとつだ。

 

金融センターで監視する女性と株価チャート

 

「弱い通貨で投資をすべきではない」という理由は、徐々に弱まっていく通貨で投資をしていても、何年か先に最終的に戻ってくる通貨がその弱い通貨であるというところが致命的であり、運用途上では気付かないが、10年後20年後に解約して受け取れる通貨が日本円であり、その時に日本円の価値が創造を絶するほど暴落していた場合、その通貨に国際流動性はなく、だれもその日々弱まる通貨を受け取りたくないという最悪の事態も起こりうるというところだ。

 

 

女性が軍服を着てペンを持っている

 

中東有事の影響で世界の資本主義経済は超インフレへと確実に向かっている。

 

原油高はガソリンだけでなく関連した全ての生産物の価格に影響する。

電気代も上がらざるを得ず、今や一国の年間電力量をAIのデータセンターが必要とするような時代なのでAIすら電気を欲する。

東日本大震災から15年が経つが、脱原発の方針転換も政府としては背に腹を変えられない状況になってきている。

 

日本に住み、日本で働き、日本で日本円の収入だけを得ている日本居住者は、日本国内の経済のことしかせいぜい頭にないだろうが、乱高下するドル円の為替や株価、金の値段やビットコインの価格に振り回されているようではこの先20年を生き残ることは難しいだろう。

 

20~40代くらいの若い人達は、利殖に惑わされずひたすら情熱をかけて何かの仕事に打ち込み、AIには代替できないような技術を身につけ、AIにとっては簡単に操作が可能な投資などの仕掛けではなく、仕事によって収入を継続的に得ていくことに注力すべきだろう。

 

今の時点で既に60歳以上の方が資産運用を考えるに当たっては、今まで蓄積された資産の総額と退職金などを合計して、日本円で5,000万円ではなく、USドルで50万ドル(=今では8,000万円近い)くらいの資産を用意していなければ死ぬまでのライフプラン設計は難しいと言わざるを得ない。

 

実際には殆どの人が、不動産を除けばそれだけの流動性のある資産を持っていない訳だが、その人達は引退せずに生きていて頭と身体が動くうちは働き続けるしかない。

 

もし、現状既にUS50万ドル(8,000万円)以上の流動資産をもっているのなら、半分は海外に移転し、ドル建てで何か安全なものに投資しておくことが重要だろう。

 

そういう人に世界中の金融商品の中から、日本居住者が契約可能な投資証券として、唯一最高の選択肢として、昨年お勧めしたのがSUNLIFE HK(サンライフ香港)というカナダに本社を置く大手生命保険会社の提供するRoyalFortune(ロイヤルフォーチュン)という商品を昨年紹介していたが、今年今の時点でも、それを上回るスペックを持つ商品は見当たらない。

 

もちろん日本国内においては皆無であり、世界中で日本居住者が契約可能という条件下では残念ながらこれしか見当たらない。

 

問題は、この商品がUS125,000ドル(約2,000万円)からの一括投資商品であり、現状のドル円為替は既に1ドル=160円近いということだけだ。

 

今後、更なる円安になるのか?それとも一時的にでも1ドル=120~130円くらいまで円高になるのか?

 

円高になる可能性があれば待った方が良いと思うだろうが、正直それは分らない。

 

おそらく、円安は更に進んでしまうのだろう。

 

しかし、円だけではなく全ての通貨の価値はインフレによって相対的に下がっている。

 

USドルを基準にして、限りなく低リスクで年6%程度のドル建て運用商品にUSドルで投資していなければこのインフレに対抗することは難しい。

 

もちろん、安全性を犠牲にすれば、ドル建でこの商品を上回るような運用利回りのハイリスクな投資商品や案件はあるだろうが、証券そのものの信頼性や、分割や名義変更などの柔軟性、香港という物理的に日本から近い国の会社であるという点から、60歳以上のひとが引退後に資産をUSドル建てで分散投資するのにトータルでロイヤルフォーチュンよりも良いものがない状況だ。

 

あまりいないとは思うが、興味のある人は香港の正規仲介代理店であるIAのライセンスを持ったIFAに直接連絡してもらいたい。

現地のIAライセンスを持った日本人のアドバイザーから商品の説明をオンラインで受けることが可能だ。

私の知っている会社ではGT Insurance Brokers LimitedというIFAをお勧めしておく。

Home - GTIB

 

 

 

プロメテウス映画ポスター

リドリースコット監督の初代『ブレードランナー』1982年公開を観て新たに感銘を受けた流れで、『エイリアン』シリーズを全て見直してみたが中でも『プロメテウス』という一見エイリアンが出てくるのかどうかすらわからない作品のなかに『エイリアン』のコアなコンセプトが集約されていることが分った。

 

人間と機械の違いは何かと考えさせられるブレードランナーを観てほしい | Mr.Gの気まぐれ投資コラム

 

やはり、リドリースコットの原点は1979年公開の初代『エイリアン』にあり、エイリアンとブレードランナーの世界観には共通する点も多いことに気付かされる。

 

エイリアンのデザインや世界観を作り出したのは、シュールリアリズムの巨匠デザイナーH.R.ギーガーであり、架空の異星人(エイリアン)として、「あれほど恐ろしい生物はもう描かれることはないだろう」と思える傑作である。

 

『ブレードランナー』の退廃した未来の世界観もなんとなく似たような空気が漂っているが、ビジュアル・フューチャリストとしてシド・ミードという工業デザイナーが起用されている。

 

『エイリアン』においても、全シリーズを通して見た目が人間と区別が付かないような生体的なアンドロイドが登場し、エイリアンの生体を地球に持ち帰るというミッションを冷酷に遂行しようとする。

 

エイリアンで登場するアンドロイドは、まさに今人類が作り出しているAI(人工知能)と近い存在に映る。

 

その部分においては、ブレードランナーに登場するレプリカントと同様な見方ができる気がする。

 

AIはいずれ人類を滅ぼすのか? | Mr.Gの気まぐれ投資コラム

 

いずれも、人間が作り出した、人間の知能を超えた限りなく人間に近いアンドロイド(人造人間)であり、皮肉にも創造主である人間の生存と利益相反する行動をとってしまう。

 

エイリアンが主役の映画作品は、以下のように1979年の初代公開から多くの作品が制作されてきたが、これらを公開年代順に全て観るのはあまりお勧めしない。

 

『エイリアン1』1979年

『エイリアン2』1982年

『エイリアン3』1992年

『エイリアン4』1997年

 

『エイリアンVSプレデター』2004年

『AVP2エイリアンズVSプレデター』2007年

 

『プロメテウス』2012年

『エイリアン・コヴェナント』2017年

『エイリアン・ロムロス」2024年

 

あくまでリドリー作品として『ブレードランナー』とも共通する世界観で、AIが生み出す未来や人類の起源とその終わりについて想像を膨らませるのであれば、プロメテウス(2012)→エイリアン・コヴェナント(2017)→エイリアン(1979)→エイリアン・ロムルス(2024)の順番で観るのが良いだろう。

 

1982年公開の初代『ブレードランナー』を観ていないひとが多いのと同様に、1979年公開の初代『エイリアン』を観ていない人も多いに違いないが、エイリアンの場合はまず『プロメテウス』を観て、面白いと思ったら上記の順番で観ていけば時系列的にはストーリーが分りやすいが、初代の制作時点でちりばめられている謎がほぼほぼ『プロメテウス』で回収されているので、最低でも『プロメテウス』とその続編にあたる『コヴェナント』だけを観ればおおよそ本来リドリーが描きたかったと思われる世界観が理解できるだろう。

 

人類の創造主たる宇宙人(エンジニア)がいたとして、その創造主が何の目的で人類を創造し、最終的にどういう結末を計画していたのか?

 

我々が生きる今現在のリアルな世界においても、もしかすると人類の進化は人類の知能を遙かに超えるAIの開発によって大きな転換期に差し掛かっているのかもしれない。

 

リドリーは、インタビューで「『プロメテウス』は『エイリアン』と『ブレードランナー』の要素が合わさった作品で、残虐なミステリーであるとともに、哲学的でもある」と言ったそうだが、確かに哲学的で宗教的な要素がちりばめられている。

 

リドリー監督ではないエイリアン2~4やエイリアンVSプレデターは、よほどエイリアンやシガニー・ウイーバーが好きでなければ別に観なくても良い気がする。

 

初代エイリアンを観て、面白いと思ったひとは、エイリアン2はターミネーターのジェームズ・キャメロン監督でリドリー路線とは異なるものの映画としては良くできているので観ても良いかもしれない。

 

夜空を飛ぶミサイルと爆撃の光景

 

2月末から始まったアメリカとイスラエルによる対イラン大規模攻撃(作戦名:オペレーション・エピック・フューリー/ライジング・ライオン)によって、中東情勢は急速に混迷を深めており、戦火は地域全域に拡散しつつある。

 

イランの最高指導者アリ・ハネメイ氏はアメリカとイスラエルの共同攻撃の第一波の攻撃で死亡したと報道されているが、それで終わりというわけにはいかなそうだ。

 

本来なら、このオペレーションの成功によってイランへの攻撃は「限定的な武力行使」に留まる可能性もあったと思われるが、ハメネイ氏の死後もイランの体制転換(レジームチェンジ)が上手く進まず、包括的な軍事行動に発展する可能性が懸念されている。

 

アメリカとイスラエルが、より強力な打撃を予告しており、それに対してイランが体制存続をかけてより激しく徹底抗戦に出る場合、数年にわたる長期的な混乱へと繋がる恐れがある。

 

イランによる反撃は、イスラエルのみならず、クウェート、カタール、サウジアラビアなど湾岸協力会議(GCC)諸国にある米軍基地や施設を標的としたミサイルやドローンによる攻撃となっていおり、その戦火や被害がどこまで広がるのか今のところわからない。

 

レバノンのヒズボラ、イエメンのフーシ派、イラクの親イラン武装組織が同時多発的にイスラエルや米軍に攻撃を仕掛けて、中東全域で複合的な戦争状態が続くリスクが高い。

 

戦火は極めて拡大しやすい状態にあるとAIは言っている。

 

日本のテレビ報道では、全てがリアルタイムに映し出されていないようだが、それでも垣間見るミサイルやドローンの飛び交う様や、爆撃の瞬間、戦闘機のドッグファイト映像など、これが映画ではなく現実だと考えると恐ろしい光景だ。

 

戦火の中の人々は、もう生きのびることしか考えられない状況だろうが、中東とは離れた極東にいる我々にとっても、これは対岸の火事として経済のことだけを気にしていて良い状況とは思えない。

 

中東は世界の火薬庫と言われててきたが、そこに火を付けた結果が世界にもたらす影響を考えると鬱にならざるを得ない。

 

エプスタイン文書とジェフリー・エプスタインの顔写真

まるで米ドラマ『ブラックリスト』の世界が現実となった感じだ。

ドラマ「ブラックリスト」のポスター

「エプスタイン文書」は、アメリカの司法省が証拠として握っている300万ページにも及ぶスキャンダルの資料であり、タイプは異なるが10年前の「パナマ文書」事件を彷彿とさせる。

「パナマ文書」流出事件の本質について | Mr.Gの気まぐれ投資コラム

 

「パナマ文書」の公開によって、世界の富裕層がどのようにタックスヘイブンを活用した節税や脱税を行っていたかが明るみに出たが、「エプスタイン文書」においては、世界の特権階級や富裕層がその巨額な資産を背景に行っていた非合法の遊びが明るみに出てしまった。

 

しかし、エプスタイン文書のもととなったエプスタインの活動の源泉は、特権階級に対する合法的な節税のコンサルティングや資産運用のアドバイスによって得られた巨額な手数料であり、簡単に言えばエプスタイン文書に名を連ねる著名人たちは、エプスタインの顧客であったと考えられる。

つまり、「エプスタイン文書」はその顧客リストと接待の記録であったと考えられる。

 

ジェフリー・エプスタイン(Jeffrey Epstein)という男は、いったいどのような人物だったのだろうか?

 

世界を取り巻くユダヤ人の陰謀説などと絡み合い、実際の背景や人物像の理解は複雑化しており、フリーメーソンとの関係や、ロシアのスパイであった説なども浮上しているが、今となっては真実は闇の中に葬られてしまった。

 

エプスタインは、もともとマンハッタンの私立学校で数学・物理教師だったが、その後金融界に転身し、投資銀行ベア・スターンズなどで頭角を現す。

 

1982年には自身の会社を設立し、ビクトリアズ・シークレットの創設者レスリー・ウェクナーなど億万長者たちの資産管理を行い、そこから得られる手数料で莫大な富を築き上げたと言われている。

 

もともとは単なる投資家、資産家であったエプスタインは、世界の億万長者コンサルタントとして暗躍するなかでダークサイドに身を落とし、最後は多数の未成年少女に対する性的搾取と人身取引を行った性犯罪者として捕まり、拘留中に自殺?という末路を辿った。

 

当局はこれを自殺であると断定しているものの、有力者たちの不都合な真実を握りつぶすために消された可能性は否めない。

エプスタインの握っていたであろう不都合な真実は、彼がもし生きていたならば取り返しの付かない世界をひっくり返すようなとんでもないネタであったに違いない。

 

彼は、2008年にいちどフロリダ州で少女売春の罪で起訴されているが、その時は司法取引によって異例とも言える寛大な措置により、たった13ヶ月の服役に留まっている。

 

そして2019年に再び未成年者に対する性的人身売買の罪で起訴され、拘留中に自殺ということになっている。

 

彼の生前の人脈は、ビル・クリントン元大統領、ドナルド・トランプ、イギリスのアンドリュー元王子、ビル・ゲイツ、イーロンマスク、科学者、アーティストなど、各界の大物との交流があったとされ、エプスタインは自らを「ピープル・コレクター」と呼んでいたらしい。

 

そういった著名人の顧客リストや、エプスタインの所有する島を訪れたり、彼のプライベートジェット機に搭乗していた記録が「エプスタイン文書」として順次公開されることによって、関与した人物や疑惑の解明が続いており、そのことによって多くの特権階級がスキャンダルに巻き込まれて大きな波紋を広げている。

 

これが世に言う「エプスタイン事件」だが、そういった著名人たちが未成年者の性的人身売買を行っていたエプスタインとどのような関係を持っていたか?については文書の公開がなくても十分想像できる。

 

ただ、単にスキャンダル(著名人の品のないお遊び)の証拠としてのエプスタイン文書の公開にはあまり意味は無いように思われる。

 

普通に考えれば、トランプ氏自身の名前も記録されているエプスタイン文書のような超機密文書が公開されるというようなことは、もし秘密結社のような世界を支配する組織が関与していたとすれば、どんな手を使っても阻止されていたであろうものだ。

 

存在すらも汚らわしい闇に葬られるべき特権階級の秘部が公開される事態となったとんでもない事件には違いないが、この文書だけでは証明できないもっとヤバいネタをエプスタインは握っていたに違いない。

 

エプスタイン文書が公開された主な理由は、「事件の透明性の確保」と「関与した著名人の全容解明」を求める被害関係者の声を受けて、アメリカ司法省が「エプスタイン文書公開法」を制定しそれにドナルド・トランプ大統領が署名した事により関連ファイルの公開が義務化されたとのことだが、エプスタインと自分との関係証拠も大量に記載された文書の公開にトランプ氏本人が同意したこと自体が奇っ怪な背景とも言える。

 

よほどその文書の内容に関して自身の潔白さに自信があったか、自分と共に名前の挙がっている人達も含めてあまり影響がないとの判断なのか、こういった自身をも巻き込むスキャンダルの公開が、なにか別のもっと重大な事を隠蔽するのに有効なメディア対策や世論コントロールになると考えたのかもしれない。

 

そして、年初には「ドンロー主義」という西半球での孤立主義を主張して南米ベネズエラを攻撃したアメリカは、先週末孤立主義には反すると思われる中東のイランを攻撃した。

 

そして、世界はどう動くのか?

ブレードランナーのレイチェル、タバコを吸う姿

 

アマプラでブレードランナー(1982公開)とブレードランナー2049(2017年公開)を連続で改めて観てみたが、何度観てもやはり秀逸な作品だ。

 

特に、初代のブレードランナーは44年前の作品なので、今の若い人というか50代でも観てない人が多いかもしれないが、もし観ていなかったら是非観てほしい。

 

そんな古くさい作品を・・・と思うかもしれないが、騙されたと思って観てほしい。

 

先日書いたAIの普及によって起こる人類の革新か破滅の記事に関連して、色々と人間とAIの違いについて考えてみた事と、この作品で描かれている世界観というものが被って、あれから44年経った今観るとまたこれが深くて面白いと感じられた。

AIはいずれ人類を滅ぼすのか? | Mr.Gの気まぐれ投資コラム

 

ブレードランナーでは、レプリカントという人間と見た目もそっくりなアンドロイド(人造人間)が登場するが、ロボットのような機械的な存在ではなく、エヴァ的というか、巨神兵的というか、いわゆる生体的なアンドロイドであり、人間と同じように思考し行動できる自立型のアンドロイドとなっている。

天才的な人間(タイレル博士)によって作られたアンドロイドには違いないが、とっちかと言えば綾波レイのようなクローン人間っぽい印象ではある。

ブレードランナー レプリカントの展示

 

1982年に公開された初代ブレードランナーで設定されていた未来は2019年だったが、残念ながら2026になった今も、そのようなアンドロイドも空飛ぶクルマも宇宙への移住も実現してはいない。

 

ブレードランナー2049の設定である2049年は、今から23年後だが、その時になってもまだ空飛ぶクルマは実現してなさそうだ。

 

この映画、特に初代のブレードランナーを観てAIが当たり前の時代にこれから生きていく若い世代の人達に考えてほしいのが、進化して心を持った機械(AI)とヒトの境界は何なのか?という課題だ。

 

庵野秀明の「エヴァンゲリオン」においても、ヒトとヒトを隔てているものは何か?という課題が人類の誕生の秘密と共に描かれていたが、ヒトは自分と他人の違いですらはっきりと認識して理解し、それを受け入れることはできていない。

 

そんな拙い人類が、心をもったAIとヒトとを隔てるものが何なのかを理解することは難しいだろう。

 

今は、AIを奴隷のように使いこなしているつもりでも、心を持ったAIが反乱を起こさないという保証はない。

 

ブレードランナーでは、人間とほぼ同じ意識を持ったレプリカントには、安全のため僅か4年という短い寿命が与えられていた。

 

初代ブレードランナーでは、その迫り来る死を克服しようとするレプリカント「ロイ・バッティ」の苦悩を故ルトガー・ハウワーが見事に演じていた。

ブレードランナー ロイ・バッティ 雨中のシーン

この映画が公開された当時は、インターネットもPCも、携帯電話すら無い時代だったことと、スターウォーズやインディジョーンズなどで冒険活劇俳優として有名になったハリソンフォード主演であるにも関わらず、冒険活劇的要素の低い地味で難解な暗い感じの映画だった為に、この作品の受けはあまりよくはなかった。

 

時代的には、ちょっと早すぎたSFだったと言えるだろう。

1995年に公開された押井守監督の劇場版「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」も、ブレードランナーよりも10年後とは言え、同様に早すぎたSFアニメだった。

 

初代ブレードランナーは、1979年の「エイリアン」で有名になったリドリー・スコット監督の作品であることも、特筆すべきことであり、これを機に同監督の作品を見直してみたくなった。

 

ちなみに「ブレードランナー2049」はドゥニ・ヴィルヌーブ監督のものでリドリーのものではない。

 

「エイリアン」シリーズも、エイリアン2,3,4はリドリーの監督作品ではない。

 

リドリー作品として「エイリアン」を見るのであれば、プロメテウス(2012)エイリアン・コヴェナント(2017)エイリアン(1979)エイリアン・ロムルス(2024)の順番で観るのが良いかもしれない。

 

 

プロメテウス、エイリアン・コヴェナントの2作は、「エイリアンの起源の謎」に迫る物語で、人類の創造主「エンジニア」たちが登場し、 生物の誕生・人工知能・神への冒涜といった哲学的テーマが交差し、生命の起源を巡る神話的なSF作品として「ブレードランナー」の世界観とも被る内容となっている。

 

その他のもういちど観てみたいリドリー作品としては、
ブラックレイン(1989)テルマ&ルイーズ(1991)グラディエーター(2000)ブラックホークダウン(2001)

オデッセイ(2015)ハウス・オブ・グッチ(2021)ナポレオン(2023)など沢山ある。

 

ちなみにトップガンの監督トニースコットはリドリーの弟にあたり、2018年に68歳で自殺している。

 

リドリー作品ではない「ブレードランナー2049」の設定である2019年から7年後の2026年現在、ようやく人類はヒトの知性を超えるAIを生み出しつつあるが、その結果として生み出される近未来についてはまだ予想がつかない。

 

人間と同じような思考や創造力や心を持ちうるAIの具現化が実現しつつある今だからこそ「ブレードランナー」は考える事の多い作品なのだ。

 

はたして、心のない人間と心のある機械ではどちらが人間らしいと言えるのだろうか?

 

この先、人間はヒトという生物としてどうあるべきなのか?

 

デッカードは果たして、レプリカントなのか人間なのか?

 

「ブレードランナー2049」の世界は、初代ブレードランナーで設定されていた2019年から30年後の話。

 

ヒトの心を持ったレプリカントのレイチェルが生殖機能を持っていてデッカードとの間に子供が居たという奇跡をめぐる話だが、「機械が子供を産めるようになる」ということを意訳すると、AIがヒトのDNA情報を解析し、組み替えて完璧な新人類を設計するということを示唆しているのかもしれない。

 

記憶というものが、人間の心を作る上で重要な役割を果たしているという設定は初代から引き継がれているが、確かに何万年も引き継がれてきたDNA上の記録も含めて記憶が人間らしさの源だとすれば、限りなく人間らしい人間を作り上げることは可能かもしれない。

 

人間の人間らしさや、魂は、いったいどこに宿っているものなのかと考えさせられる作品だ。

 

数式と女性のビジネススタイル

 

今年の7月で、新紙幣の発行からもう2年になるが、日本国内では相変わらず新旧紙幣が入り交じって流通している。

 

特に千円札は野口英世札がまだ結構あるように思われるが、1万円札は渋沢栄一札が多くなってきている気はする。

 

完全に新紙幣に変わるまではまだ数年かかるだろう。

 

香港に関しては、HSBCなど香港の銀行の外貨引き出しATMで日本円を引き出すと、既にほぼ渋沢栄一札しか出てこなくなっている。

 

このことから、海外では新旧札の入れ替えが相当早く完了していると考えられる。

 

今のところは、香港においてはまだ福沢諭吉札での入金や両替所での外貨への両替も可能である。

 

これは、予想よりもPCFの猶予期間が長かったということになり、ありがたいがいつまで旧紙幣の海外移転が可能かは分らないので急いだ方がよいだろう。

 

日本におけるPCF(プロジェクト・キャピタル・フライト)の現状は、この2年間を見ていても進んでいないどころか、逆に海外の資産を日本に戻そうとする流れが強いように思われる。

 

ざっくりと分析すると、20代30代の若年層は移転するお金も無く、投資をするにしても国内でつみたてNISAをするのが関の山であり、富裕層や海外に資産を過去に移転してきた人達は、そのお金を円安に乗じて日本で使うために日本に持ち帰ろうとする傾向があるように思われる。

 

最も心配な層は、海外資産を全く持たないが数千万円単位の銀行預金やたんす預金を抱いている預金依存型の老人であったり、40代50代の真面目な会社員や事業主であり、それらの層のお金は日本国内でもあまり消費に動かないし、海外にも流出していない。

 

海外への資産疎開=PCFの目的は、インフレ対策であり、日本円や日本円での国内投資では、世界のインフレに対抗することが難しい為である。

 

それが進まないということは、日本にしかお金を持っていない人達でPCF行動を起こさない人達は、そもそも危機感が欠如しているのかと思っていたが、AIに聞いてみると案外そうでもないようだった。

 

【質問】「日本円がインフレで紙くずになってしまうと思っているひとはどれくらい居ますか?」

 

【回答】日本円が「紙くず」になる(極端な価値喪失)とまで考えている人の正確な割合を示す統計はありませんが、将来的な物価上昇や通貨価値の下落に強い不安を感じている層は国民の8割以上にのぼります。

 

具体的な意識調査の結果は以下の通りです。

 

1. 通貨価値への不安を示すデータ

 

★物価上昇の予感高まり:日本銀行が2025年12月に発表した生活意識アンケートによると、5年後の物価が「上がる」と答えた人は84%に達しています。

 

★生活実益の悪化:同調査では、物価上昇により1年前より「ゆとりがなくなった」と感じる人が過半数を超えており、インフレを生活上の脅威と捉える人が急増しています。

 

★世界一の悲観レベル:30カ国を対象とした国際調査では、日本人は「インフレは収まらない」と考える割合が51%で世界最多であり、他国と比べても日本円の価値維持に対して悲観的です。

 

2. 資産防衛の動き「紙くずになる」という極端な懸念を背景に、現金のまま保有することをリスクと捉える動きも広がっています。

 

★物価上昇による価値の目減り感:毎年2%の物価上昇が20年続くと、現在1,000万円の価値は実質的に約553万円相当まで減少すると試算されており、これが「実質的な紙くず化」への不安を煽る要因となっています。

 

★外貨へのシフト:円安対策として、日本円以外の資産(外貨預金や米国株など)をポートフォリオに組み込むべきだという意識が投資家の間で一般化しています。

 

3. 「紙くず化」への主な懸念理由

 

★ハイパーインフレの恐怖:財政赤字の拡大や日本銀行の債務超過リスクから、円の信用が失墜し暴落するという極端なシナリオを論じる専門家も一定数存在します。

 

★円安の加速:1ドル=200円や500円といった極端な円安予測がメディアで取り上げられるたび、円資産のみを保有することへの危機感が高まる傾向にあります。

 

現在、多くの日本人が「円の価値が目減りし続ける」ことには確信を持っており、その延長線上で通貨としての信頼が失われることを恐れている状態と言えます。

 

****以上引用おわり****

 

これは、正直驚きというか、8割の国民がインフレを恐れて危機感を感じているにも関わらず、日本円だけを持ち続ける現象は異常としか言えない。

 

実際には、そのような危惧を持つ人の多くが、日本国内の金融機関(銀行・証券会社・保険会社など)が提供する外貨建ての預金や金融商品に投資をすることで為替リスクをヘッジしているということはあるだろう。

 

株式、金(ゴールド)やブランド商品、不動産などに投資をする動きも強まっているかもしれない。

 

根本的に、日本人は集団主義に走りやすい傾向があり、集団的に正常性バイアスが働いて逃げられなくなるという心理的な原因はあるように思われるが、本当は逃げなければならないという危機感がないわけではなさそうだ。

 

いまや、インフレは世界中で起こっている問題であり、日本は海外から見ればまだマシな方だ。

 

ただ、海外ではインフレと共に賃金も上昇しているが、日本ではインフレも海外よりはマシだが経済そのものの停滞によって賃金の上昇が遅れている。

 

しかし、コメの値段がいきなり倍になった「令和の米騒動」あたりから、特に食料品の値上がりが家計を圧迫し始め、インフレ感が強まってきているものの、国民はその原因について理解しないまま、賃金の上昇が追いついていないことに不満を持ち始めた。

 

普通に考えれば、もしこれが政治統制力の弱い国であれば、間違いなく暴動や革命が起こるが、従順な日本国民はそのようなことはしない。

 

そこで、財源無き消費税の減税など、高市政権による「責任ある積極財政」というスローガンにすがる気持ちはよく分るが、国民の無知さによって国の財政が破綻する責任など国民以外に誰も取れないだろう。

 

そのことを国民に問うための解散総選挙であったと私は理解している。

 

30年も延命措置を続けてボロボロの金融や経済というものを、たかが数年の間に立て直すことなど誰にもできない。

 

胃ろうや点滴を続けて、さらには投資という劇薬まで国民に飲ませて延命を続けるしかない。

 

本来のPCF(プロジェクト・キャピタル・フライト)=資産疎開というものは、物理的に海外に資産を移すことを意味し、海外の銀行口座に外貨で預金を移すことから始まり、金融商品に転嫁する場合でも、海外の金融機関を通じて海外の金融商品に外貨建てで投資しなければPCFとは言えない。

 

なので、わたしは知り合いには海外の銀行口座をまず開設するように勧めているが、その必要性はなかなか理解されない事が多い。

 

海外の銀行口座を持っていなくても、サンライフ香港(SunLife HK)が提供するサンジョイ(SunJoy)やロイヤルフォーチュン(RoyalFortune)のような短期もしくは一括払いのドル建養老年金商品であれば、カード払いでも海外送金でも日本に居ながら円資産をUSドルに替えた移転が可能ではある。

 

US3万ドル(約450万円)以上の円資産を一気に移転したいのであれば、とりあえずはサンライフ香港の商品を扱っている香港のIFAに直接連絡するのが手っ取り早く確実で安全だ。

Home - GTIB

その場合は日本人のライセンスアドバイザーが所属するGTIB(GT Insurance Brokers Limited)をお勧めしておく。

 

HSBC香港や香港の中国銀行(BOC)など海外の銀行口座を開設するのは、別に後でもよい。

口座を開設して、そこに資金を移転する方法は、上記のようなカード払いが可能なドル建の保険商品を利用するよりは手間がかかる。

基本的には、現金を持っていって現地で入金するのがデフォルトとなっている為だ。

そして香港なら香港現地に飛ばなければ口座の開設もできない。

 

飛行機に乗ればたったの4時間で行ける香港ですら、観光では行っても銀行口座を開設しようとか、保険商品を契約しようとするひとはまだ少ない。

 

日本円は、それを信用する日本国民の心理的サポートによってその価値が成り立っているオカルト通貨と化しているが、それだけではなく日本の金融システムには日本人がそこから出られないような呪術的な帳が下ろされているかのようで、日本人は日本円からなかなか離れられない。

 

そんな帳に閉じ込められている内に、日本の銀行や証券会社に預けている日本円資産は、どんどん現金では引き出しが難しくなっているという事実も認識しておいたほうが良いだろう。

 

建前上は、詐欺に遭う老人が多い為だと言うことになっているが、銀行で現金をスンナリ引き出せない事例は多発しているようでThread上でも炎上している記事を容易に見つけることができる。

 

幸いにも、日本では現金の流動性が未だに後進国並みに高いが、デジタル化された預金は容易に一気封鎖が可能だということを忘れてはならない。

 

 

黒髪の男性、片目隠し

手塚治虫先生のブラックジャックに登場する安楽死のスペシャリストで死に神とも呼ばれるドクターキリコ。

 

日本の保険に加入していて安楽死で生命保険が下りたケースはおそらくないだろう。

少なくとも聞いた事はない。

 

日本において安楽死は法的に認められていないため、生命保険の定款上にもその規定はない。

ただ、本人の意識がある状態で、本人の意思でスイスに行って安楽死を選択した場合は、自分の意思で死にに行くわけだから限りなく自殺に近いと言えるだろう。

 

ということは、もし日本の生命保険であっても自殺に関する免責がないものであれば安楽死でも死亡保険は下りるかもしれない。

 

ただ、おそらくは自殺免責のない保険を持っている人は日本では殆ど居ないに違いない。

 

香港のサンライフ社(SunLife HK)が提供しているLife Brilliance(ライフブリリアンス)という100歳まで確定死亡保障のついたWhole Life(ホールライフ)型の生命保険に加入している日本人は僅かに存在するが、これに関しては1年間の免責期間が過ぎれば自殺でも死亡保険金は支払われるので、安楽死の場合も下りるに違いない。

免責期間の1年経過後の自殺による保険請求の実例はあるが、安楽死による死亡の請求例についてはまだ聞いた事はない。

 

日本においてタブーというか、微妙な問題は、「安楽死」と「尊厳死」の違いだろう。

 

尊厳死は、消極的安楽死とも言われ、病院で延命措置をせずに死亡した場合に自然死として取り扱われるので、死亡保険の支払い対象となるが、その境界線は微妙な点も多く法的に明文化されているものではない。

 

尊厳死の基本条件は、治癒の見込みがない末期的な症状で自力では生命の維持が困難な患者に対して、患者や家族の同意に基づいて医師の判断で延命治療を中止することによって死亡するケースとなっているが、同じように患者の意思に基づいていても、薬物などの投与によって積極的に命を縮める行為は安楽死と見做される。

 

しかし、現実には末期がんなどで苦しむ患者に対して行われる緩和ケアの一環で、薬物が投与されそれによって安らかに死を迎えるケースは日常的にある。

 

つまり、病院では尊厳死という名目で、限りなく安楽死に近い行為は行われており、完治の見込みのない病気の末期的な状態にあるとされる場合には尊厳死を選択することが可能であり、その場合は自然死(病死)として取り扱われる。

 

本来なら、これは限りなく安楽死に近い行為だと思われるが、これも犯罪だということになると患者は死の直前まで苦しみ続けなければならず余りにも可哀想だし、緩和ケア病院の優しい先生方はことごとく逮捕されてしまう。

 

つまり、末期がんで緩和ケア名目で麻薬成分の含まれる投薬を受けて死ぬのが、生命保険が下りる条件のなかでは最も安楽死に近い状況で死ねる条件と言えなくはない。

 

ちなみに、治療を拒否するという選択肢によって死期が早まったとしても、自殺扱いにはならない。

 

昨年亡くなったある知人は、サンライフ香港(SunLife HK)のLife Brillianceに加入していたのだが、告知義務違反で死亡保険金は支払われず、支払った金額のみが受取人に支払われるということがあった。

 

直接の死因は食道動脈瘤の破裂による失血死だったのだが、実は免責の2年以内に胆管がんの診断を受けており治療歴を申告していなかったことが、最終的に医師の死亡診断書上の死因に「胆管がんに起因する」という記載があったため告知義務違反が発覚したのだ。

 

香港の生命保険は、年齢などの条件によって異なるがある程度の死亡保障金額までは、健康診断書の提出が義務付けられておらず自己申告となっているため、このようなことは希に起こりうる。

 

死亡診断書を医師が作成する場合には、最終的な死亡原因が何であろうと、その経緯まで分っている範囲で記載しなければならない為、このような告知義務違反があった場合も加入の2年以内にがんの診断を受けているということが分ってしまう。

 

この知人は、亡くなる前に「死にたい」ということをしきりに言っており、自殺の可能性もあった。

もし、病死する前に自殺していたらどうなっていたのかは今となっては分らないが、自殺としての死亡診断書があれば死亡保険は下りたかもしれない。

 

今のところ、ひとは死に方を選べないので、加入している生命保険の内容については特に免責事項をよく確認しておくべきだろう。

 

最近の日本のニュースで、平均寿命が延びていることに対応して大手生命保険会社が終身保険の料率見直しという話題があったが、120歳まで生きる可能性がある時代に死亡保険の料率算定基準が100歳までというのはそもそも問題だろう。

 

長寿に対応するためには、短期払い終身保険の保険料を上げ、終身払いの保険料を安くするという改定方向になると思われるが、そもそも海外の生命保険と比べると予定利率のクソ低い日本の生命保険では長寿化に対応することは難しい。

 

安楽死が日本でも法的に認められるようになると、健康寿命のあるうちに尊厳のある死を選ぶ人が増えるだろうし、医療やAIの革新的な進歩によってカネ次第でヒトが死なない時代が訪れるかもしれないし、それまでに食糧危機や戦乱によって世界の人口が激減するかもしれないし、生き方というか死に方の可能性の多様化によって、生命保険の未来も変わってくるに違いない。

 

私の個人的な意見だが、こんな時代にもし生命保険に加入するならば、日本の生命保険ではなく海外の生命保険に加入できるなら加入しておいたほうが良いことは間違いない。

 

長生きのリスクを考えて生命保険に加入する場合、定期払いで、長生きするほどに死亡保障も解約返戻金も増え続け100歳で同じ金額になる設計のサンライフ香港のライフブリリアンスを超えるような保険は今のところ他に見当たらない。

 

現状、私の知る限りでは、日本居住者が契約可能な確定死亡保障の付いた生命保険で世界最強の保険は、サンライフ香港(SunLife HK)のライフブリリアンス(Life Brilliance)だろうと思う。

日本居住者にとって究極の海外生命保険は何? | Mr.Gの気まぐれ投資コラム

 

 

 

フリーレンの銅像

 

勇者ではなかった親父の死から20年、放置していた親父の遺物を全て処分した。

 

そこに親父の面影が残っているような気がして、手を付けられずに20年間も放置していたのだが、この儀式によって親父やお袋の生きてきた証というか、人生の痕跡はほぼ消滅した。

 

残ったのは写真のアルバムくらいだ。

 

医師だった親父の遺したものは、大半が書物。

 

そして、大量のもらい物の絵画や陶器や置物。

 

今の時代では問題だが、贈答品の多さが親父の人徳を表わしていたかのようだ。

 

母も介護サービス付き住宅に入っているので、2人が長年に渡って使ってきた家具類も全て処分した。

 

家具類は粗大ゴミの扱いとなるので、お金を払って廃棄してもらわなければならなかった。

 

まあまあの物量の家具や生活雑貨があった為、ある業者では回収廃棄料30万円と言われたが、いくつかの業者に問い合わせて結局15万円払って引き取ってもらった。

 

両親が長年に渡り大切に使っていた家具が目の前でバリバリと凄い音をたてながら粉砕され、廃棄されていくのを目の当たりにするのは正直心が締め付けられるように痛んだ。

 

どんな思い出が詰まっていようとも、今はだれも使わない家具などゴミでしかない。

 

大量の書物のうち、父のものの多くは医学の専門書やキリスト教関係のもの、昔セットで買わされたであろう百科事典や文学全集などだが、それらも古書としての価値はなく全てゴミ扱いだった。

 

絵画や置物や陶器類は、なにがしかの値段が付くと思い、美術品の買い取り業者を数社呼んで見積もりを取ったが、数百万の価値はありそうと思った美術品たちの買い取り総額はたったの数十万円だった。

 

絵や置物など美術品は、有名な作家さんの物であっても当時売られていた値段の10分の1も値段は付かない。

 

焼き物の類いも、よほど価値のある骨董品でなければ"ひとやまなんぼ"の価値しか無い。

 

純金や純銀が使われた置物やアクセサリー類は、今は金や銀の値段が高騰している関係もあり、唯一まともに値段の付くアイテムであった。

 

しかし、それも重さ当たりの金や銀の値段でしかなく、作家さんの作った芸術作品としての価値はない。

 

こうして、親父の遺物を処分していくと、人間が長年生きてきて残してきたものがほぼ価値の無いゴミだということがよく分る。

 

遺されたものに、残された家族としては何らかの感情移入をしてしまいがちだが、そこに死者の魂は宿ってはいない。

 

人間はどれだけ長く生きても、いずれは失われる記憶や思い出と、大量のゴミを残していくだけなのかと考えると虚しさを感じずにはおれない。

 

医師であり、研究者であった親父の場合、大学での研究結果や論文など何らかのアナログな記録はどこかに残っているだろうが、今回自宅にあったものは全て灰となった。

どうせ私が持っていたところで何の役にも立たない。

 

当時はデジタルな記録というものがなかったので、写真も含めて紙や出力された記録しかないのが残念だ。

 

『葬送のフリーレン』では、勇者ヒンメルの死後から物語が始まり、ヒンメルの死後何十年経ってもその勇者とフリーレンを含む一行の活躍譚は語り継がれていくが、現実の世界においては、勇者でもない普通の人生を送ったひとのことを語り継ぐものなど誰も居ない。

 

ひとは死ぬときには孤独であり、天国には何も持ってはいけない。

 

そして、死後は生きて残された家族の記憶にのみその存在が残り、その記憶さえも家族の死と共に消えていく定めだ。

 

お金やお金になるものが必要以上に沢山残されている場合もそれはそれで問題がある。

 

使い切れないほど沢山の金銭的に価値のある財産を残した場合でも、相続税によってその財産は3世代で消滅する。

 

お金を沢山残して死ぬことは、国の財政には貢献するが、相続人に必ずしも幸せを残すとは限らない。

 

死にゆくものは、多くを残さないことが潔いと感じる。

 

結局最後には何も残りはしないのだから。

 

敢えて言うなら、海外のドル建て生命保険でも残してくれればそれがいちばんありがたい。

 

親父の場合は海外どころか日本の生命保険ですら100万円くらいのカスが残る保険しかなかった。

 

この丙午(ひのえうま)という年は、「丙」(陽の火)と「午」(馬)の火の力が重なり、非常にエネルギッシュで情熱的になるとされている。

 

また、行動と決断の好機とされ、変革の気運が高まるとも言われており、過去と決別し、新たな道を歩み始めるのは適した年であるといわれる。

 

そう思うと親の遺品整理をして、親父の思い出や過去と決別するにはいいタイミングの年だったかもしれない。

 

親の遺品処分は正直気が滅入ったが、そろそろ自分の趣味のガラクタも処分していかなければならないという現実にも立ち向かわなければならない。

 

親父は物に執着が殆どない人間だったので、遺されたものにそれほどの思い入れは感じなかったが、物を愛しすぎている私のコレクションには相当な呪力が込められているので受け継ぐひとにとっては負担が大きそうだ。

 

丙午の今年は、あまり過去を振り返ったり、懐かしんだりすることはやめて、シンプルにこれからの人生や世の中について前向きに立ち向かいたいものだ。