ウクライナ危機をどう見るか? | Mr.Gの気まぐれ投資コラム

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香港を拠点に活動する個人投資家であり、自称「投資戦略予報士」Mr.Gがお伝えする海外投資の生情報。
ねだるな勝ち取れ、さすれば与えられん!

 

最近は世界のコロナ情勢とかどうでも良くなってしまって、ウクライナ情勢の話ばかりが報道されているが、中国は相変わらずコロナ退治(ゼロコロナ政策)に必死で、香港と隣接する巨大経済都市である深圳(シンセン)は感染拡大によりロックダウンされている。

 

今のところ中国は、今回のロシアによるウクライナ侵攻に関してある種の沈黙を守っているが、プーチンは間違いなく事が起こる前に習近平とは話をしている筈だし、パラリンピックは時期が被ってしまったが、北京オリンピックが終わるまでは侵攻しないという内諾はあったと思われる。

 

ロシアと中国は、今回の件に関して裏ではしっかり手を握っていると考えるべきだろうし、西側の誰もがそういう認識をしているだろう。

 

ウクライナ危機に関して、西側で報道されている内容は、当然のことだが侵攻されたウクライナ側に立ったものであり、人道的な見地から、「如何にロシアが酷いことをしているか」「如何にウクライナの人たちが酷い目に遭っているか」という部分にフォーカスされており、我々は「ロシアという大国の横暴によってウクライナという小国が侵略されている」と認識させられている感が強い。

 

たとえそれが事実だとしても、それをまるで映画でも観るかのように「ああ可哀想だ」「なんて悲惨なんだ」と薄っぺらいヒューマニズムで感傷的に捉えてしまう自分に吐き気がする。

 

我々個人が真実を知ったとしても、できることなどたかが知れており、こんなことを起こしたプーチンやロシアを悪者として憎んだり、ウクライナ人を可哀想だと哀れんだり、平和を祈ったりするくらいしかできることはない。

 

ウクライナからは遙かに離れた極東の島国に居る我々は、地政学的には(おそらくは手を組んでいるであろう)ロシアと中国という大国に海を挟んでいるとはいえ隣接しており、ウクライナの置かれた状況を容認するということは、それ自体が我々の国の安全保障を揺るがす事態であるため、現実には他人事ではない。

 

こんな事態が許されるなら、北方領土や尖閣諸島がいつ同じような事になるか判らないと口には出さなくとも誰もが危機を感じている事だろう。

 

中国との関係において台湾が置かれている状況は、最もウクライナの置かれている状況に近く、台湾人の感じている危機感は日本人とは比べようもない。

 

それ故、中国はたとえ裏側ではロシアとがっつり手を組んでいようとも、迂闊にはロシアに賛同したり協力したりはできない。

 

今回の件は、ロシアや中国が自国の手中にあると考えている西側(アメリカ)寄りの国や領土を武力で強引に占領する権利を西側世界に容認させることが目的とは考えられない。

 

領土の地政学的な価値やその歴史的な権利に囚われると、ロシアの行為は武力による国家侵略以外の何物でもないが、民族やそのイデオロギーという視点も加えてみると違った見方も生まれる。

 

例えば、もし、北方領土や北海道に住むアイヌ人が独立してロシア側に付くという動きをした場合、日本政府はそれを容認することはできないだろう。

 

その場合、日本はロシアであり、アイヌはウクライナという立場だ。

 

沖縄が琉球王国として独立して、中国側に付く場合も同様だ。

 

どちらも現実にはあり得ないとは思うが、もし起こったら、日本はそれを全力で阻止するために軍(自衛隊)を出動させるに違いない。

果たして、それは正義と言えるのだろうか?

ロシアがウクライナのNATO加盟や西側傾斜を絶対に認められないというのは、こういう話に見えなくもない。

 

プーチンからみれば、ゼレンスキーは、西側に魂を売った裏切り者のウクライナ国粋主義者なのかもしれないが、我々西側から見ればゼレンスキーは大国ロシアの軍事的圧力に屈せず、ウクライナ民族の独立と自由のために闘う英雄だ。

 

ただ、プーチンもゼレンスキーも結果としては国民を戦争に巻き込んで死者を増やして犠牲にしていることに変わりはなく、どちらにも絶対的な正義があるとは言えないように思える。

 

3年前に香港市民が中国に傾斜する香港政府に対して立ち上がった時に、香港民主派のリーダーとしてデモ隊を率いたアグネス・チョウ(周庭)やジョシュア・ウォン(黄之鋒)は民主派の英雄だったが、それすら中国の仕掛けだったという説もある。

実際に民主派デモ隊の中にも中国の工作員が入り込み、取り締まる香港警察の中にも中国から派遣された人間が混じって、本来は平和的なデモだったものが、暴動に作り上げられてしまった。

 

今回のウクライナ危機は、あの時の香港とも似ている。

当時も中国は国境のシンセンまで軍を出動させていたらしいが、天安門事件のような悲惨なことになる前にデモ隊が排除され、国家安全維持法で完全に封じ込められて終結した。

 

今、世界にとっても、双方の国民にとっても最も重要なことは、この争いを止めることだろう。

 

にもかかわらず、世界はロシアの暴挙を認めることができず、それと戦うウクライナを全面支援している。

イデオロギーの不一致はどこまで行っても妥協するポイントがなく、ウクライナがウクライナの自由の為に戦い続け、西側が支援し続ける限りこの争いは終結しない。

 

アメリカをリーダーとする西側諸国のできることは、ロシアに対するSWIFTの凍結や貿易の停止など経済的な制裁とウクライナへの兵器や食料といった物資の援助や、避難民の受け入れに留まり、NATOも国連も米国も直接軍を派遣することは今のところできない。

 

そんなことをすれば、第三次世界大戦を引き起こすことにもなりかねないからだ。

なので、今後如何にロシアが過激な侵攻や攻撃に出たとしても、ゼレンスキー大統領とそれに従うウクライナ国民が戦い続ける限り、西側諸国は彼らを支援するという立場に留まらざるを得ないだろう。

 

SNS(ソーシャルネットワーク)を使った情報戦というのも今回の特徴だが、香港の民主派デモで行われた手法とほぼ同じであり、如何に敵側が悪辣であるかを世界に知らしめる為には有効だが、その事によって正義と思える側を必ずしも勝利には導かない。

 

これは、ロシアと中国の間ではおそらく盛り込み済みのシナリオであり、この「世界を敵に回す狂気のナショナリスト」という悪役をプーチンは敢えて買って出たのではないかと思われる。

 

このシナリオ上は、おそらく悪役はプーチン独りが引き受けるので、習近平は今回敢えて悪役になる必要がない。もしかすると黒幕が習近平である可能性もあるが、そこまで考えると陰謀説っぽくなってしまう。

ただ、今回のロシアの動きはどう転んでも中国にとってはプラスであるということは確かだろう。

 

そしてその「たとえ世界を敵に回しても」プーチンが目指しているゴールというか、撒こうとしている何かの種は、単純に自身のナショナリストとしての矜恃を超越し、世界中の人々が疑問に思っていた何かに気付き、その為に動き出す為の原動力になるかもしれない。

 

そのヒントは、現在世界を支配する経済システムがこのままで良いのか?という部分を、米国主導で行われている対ロシアの経済制裁が、どれだけのダメージをロシアに与えるのか?与えないのか?の結果によっては、“制裁を与えている側である我々が”思い知るかもしれないというところにありそうだ。

 

プーチンは、隣国への軍事侵攻という暴挙と共に、明らかに世界の経済システムに対して挑戦をしている。

 

軍事的な制裁ができない代わりに、経済制裁を受けることは想定の範囲だったに違いないが、SWIFTの凍結によって資金(ルーブル)の国際流動性を失おうと、貿易の封鎖によって西側からの物資が滞ろうが、自国内の経済は維持できるという自信がなければこのような行動には出られない。

 

ある意味、中国の武漢発祥と言われる新型コロナウイルスの世界的な感染拡大によって、2年間ほぼ鎖国のようなゼロコロナ政策を取ってきた中国が、経済的に破綻していないことがその証明になっていると言えなくもない。

 

これはまるで、中国がコロナ渦によって社会主義の原点に立ち返って逆に息を吹き返したかのようにも思える。

 

ロシアと中国が手を組んで巨大な閉鎖的社会主義経済圏を構築すれば、それ以外の国との貿易がなくても国民は食っていけると考えてもおかしくはない。

 

逆に、中国やロシアからの輸入に頼っていた西側諸国の受ける経済的ダメージの方が大きいのでは?と考えてしまう。

 

2年前にはコロナ対策用の(役に立っているのかどうか未だに不明な)マスクが中国から入ってこなくなった為に、マスクの価格が急騰し、民間の転売禁止令まで出たことは記憶に新しい。

 

たかがマスクですらそんなことが起こるのに、食品やエネルギー、希少金属など我々の生活に欠かせないものがどんどん値上がってしまったら、経済制裁の結果困るのは我々ではないのかと不安になる。

 

ロシア人にしてみれば、別にiPhoneやトヨタの車、マクドナルドやケンタッキーやユニクロがなくなったところで別に死ぬわけではない。

 

中国には既に似たようなものも同等な工業生産物も存在する。

 

西側の文化に毒されてしまった国民としては、今まであったものが無くなってしまうのは寂しいだろうが、国としては国民が飢えることなく不満のない豊かな生活を送れることが第一であり、中国は今のところそれを実現できている。

 

岸田総理が言うところの「新しい資本主義」なるものも、目指すものは中国が今推進している「みんなで金持ちになろう!」的な富の再分配という極めて社会主義的なゴールに近いと思われるが、今のアメリカが圧倒的な軍備と安全保障で仕切っている経済システム下で、そのような社会主義的ゴールの実現は難しいだろう。

 

中国は世界で唯一、国家として軍事力でも経済力でもアメリカと張り合っているが、そのどこまで行ってもアメリカだけが儲かる経済システムのルールから逃れる為にはアメリカに対抗できる軍事力がなければ難しいということを示している。

 

しかし、イデオロギーの異なる民族や国家間であっても、殆どの国民は戦争など望んでおらず、戦場に出て同じ人間と殺し合いたいとは思っていない筈だ。

 

報道を見ていて、ウクライナの国民が、最後まで戦うぞと言って、妻や子供を避難させて戦場に赴く姿が映し出されているが、尊いと感じつつも何か気持ち悪さを感じる。

 

戦争がなければ、軍備は不要であるにも関わらず、アメリカは有り余るほどの軍備を持っている。

 

私のような武器マニアでもなければ、そんなに兵器は要らないだろう。

 

一方、ウクライナはソ連崩壊後に残された大量の核兵器を保有していたが、1996年に「ブダペスト覚書」という国際法上有効とは思えない米英露3国からの安全保障と引き換えに核兵器を廃絶させられている。

 

もし、ウクライナが今でも核を保有していたなら今回の侵攻は起こらなかっただろうとも言われるが、少なくともロシアが核を威嚇にでも持ち出すことはなかっただろう。

 

現代において、兵器は威嚇の道具に成り下がっており、特に北朝鮮が打ちまくっているミサイルなど良い例だ。

 

今後も、アメリカと中国が無益な軍拡競争を続けるべきかどうか?

 

ロシアのウクライナ侵攻は、軍備持ちだがそれを行使できないアメリカやNATOをあざ笑っているかのようでもある。

 

これをきっかけに、世界は新たな軍拡競争の時代に突入するのか?

それとも使えない軍備は諦めて(他国に侵略されるリスクを背負ってでも)国民の幸せの為に使うのか?

いったい世界はどちらに向かうのだろう?

 

プーチンの挑戦は米国に支配される資本主義経済システムのみならず、いままでそれを実現してきたアメリカの圧倒的な軍事力バランスが、中国によって脅かされているという絶妙なタイミングを狙ったものとも言える。

 

その為に、世界人類の命を生け贄として危機に晒すのはちょっとやり過ぎだが、戦争のない世界などそれくらいのことがなければ実現しないのかもしれない。