トランプ大統領の演説を真剣な表情で見つめていたのは、東京・板橋区で居酒屋を営むイラン出身のマンスールさん(62)です。
「(Q.ご家族は?)テヘランなんです。イランのテヘランに住んでいて、軍事施設の2キロ先に住んでいる。それも心配していますね」
イランからおよそ40年前に来日したマンスールさん。兄弟や親族がイランの首都テヘランで生活していて、攻撃が始まる前日までは、毎日のように連絡を取り合っていたといいます。
「本当に平凡なメッセージばかりなんですけど、この戦争が始まってからは、一切そういうの(家族との連絡)がない」
アメリカの攻撃開始直後、妹から送られてきたメッセージを最後に連絡が途絶えたままだといいます。
「1カ月以上、一切連絡がない。ネットが遮断されているということだと思うけど、安否確認が取れないのは心配」
安否が分からないまま、すでに1カ月。テヘランにいる家族へ電話をかけ続けていますが、連絡は途絶えたままです。
「音は鳴るんですけど、ネットが遮断されているので、相手側にはつながっていない」
2日、世界中が注目していたトランプ大統領の演説。
「全然(戦争を)やめるとか話なかったね。もっとあしたは明るい世界が来るのかなと思っていたら、全然もう『おやすみなさい』で終わったじゃないですか。具体的な話をすると思った。平和に結びつくことは全然出てこなかったね」
トランプ大統領の演説に、深い失望感をにじませたマンスールさん。今後も攻撃が継続されるとの発言については…。
「(テヘランで)孫がそろそろ生まれるんですけど、そういう心配もあります。(発電所が攻撃されると)電気がなければお湯も作れないし」
「(Q.余計に心配?)心配ですよね」
一方で、トランプ大統領の演説を聞き、怒りをあらわにした人もいます。
さいたま市でペルシャじゅうたんなどの工芸品を扱う店を経営する、イラン出身のゴーハリさん(60)です。
「言ってること、めちゃくちゃだと感じていないですか。我々、核爆弾持っていない。核爆弾作っていないです、元々。NPT(核兵器不拡散条約)も入ってます。(トランプ大統領は)言っていることをご存知ですけど、コロコロ変わっています。だから言っている言葉、時々理解できない」
イランのテヘラン出身で、およそ30年前に来日。攻撃開始以降、テヘランで暮らす5人の兄弟と連絡が取れないといいます。
「家族はおそらくテヘランから離れていると思いますけど、でも生きているか生きていないか、はっきり分からない状況」
店で扱うペルシャじゅうたんは、すべてイランの職人が手作りしたもの。その職人たちとも連絡が取れず、商品の入荷も止まっているといいます。
ゴーハリさんは攻撃開始以降、毎日流れるニュースに心を痛めてきたといいます。
「私の国の政治家ダメでも、それイラン人の問題です。やっぱり、イランの国民に任せないといけない。日本の昔の映画『侍』『おしん』『七人の侍』『北の国から』とか、たくさんイランに入ってきました。戦争は非常に良くない。人間の苦労して作ったものが破壊されます。やっぱり力を持っている人、力がない人を守ってあげないと。力を貸さないと、食べさせないと」
ゴーハリさんは、一日も早くイランに平和が訪れてほしいと話します。
東京・上板橋で居酒屋「花門」を営むイラン出身のコルドバッチェ・マンスールさん(62)は首都・テヘラン在住の5人のきょうだいと連絡が途絶えているという。アメリカと緊密な関係にあるイスラエル軍が2月28日早朝(現地時間)にイラン各地を攻撃して始まった軍事衝突では、テヘランへの攻撃も確認されている。「花門」は低価格で量が並外れたことでAERA DIGITALを含めたメディアなどでも取り上げられ、マンスールさんは陽気な笑顔をふりまいてきたが……。戦況は激化するばかりで、その表情は曇る一方だ。
■イラン・イラク戦争で来日、湾岸戦争で永住
攻撃開始の28日に主な標的となったテヘランでは、大統領府や核関連施設、軍事施設が相次いで攻撃され、最高指導者アリ・ハメネイ師は、テヘランの邸宅で死亡した。
「きょうだい8人のうち1人は亡くなったので、今は7人。兄と私の2人が日本に住んでいて、妹3人、弟2人の計5人がテヘランに住んでいます。みんな一軒家で暮らしているのですが、ファリデとのWhatsApp以外は誰とも連絡がついていない」
実はマンスールさん自身も従軍経験がある。1985年から約2年間、イラン・イラク戦争(80~88年)に参加したのだ。
「今のようにドローンのような無人兵器ではなく、人と人との戦いだった。空爆の経験はありませんが、空軍でパイロットの訓練を受けたので飛行機を操縦できます。地上ではイランの国境近くまで行った。戦争だから弾丸が飛び交っていました。あんな体験をして、平和の大切さを痛感しました」
高校卒業後は大学に行く予定だったが、イラン・イラク戦争とデモの影響で進学ができなくなり、「日本語を学んでイランの日本企業で働こう」と88年に来日した。
「先に来日していた兄が呼んでくれて2年間、日本語学校へ通いました。ある程度しゃべれるようになり、イランに帰国しようとしたら、90年に湾岸戦争が始まって。日本の会社が次々にイランから撤退したので、結婚して日本にいます」
アルバイト先にお客さんとしてやってきた、きよみさんと92年4月に結婚し、同年9月に「花門」を開店。2人の子どもに恵まれ、店は人気になった。一方で、その人生はアメリカに翻弄されているようにも映る
■「イラン国民のことを考えてほしい」
「アメリカは核交渉で安心させたところで不意を狙って空爆したのではないか。学校や病院などに要人が隠れることもあるから標的になったんでしょう。たくさんの子どもたちが亡くなって、ひどいことですよ。一生懸命逃げている子どもの姿をニュースで見るだけで涙が出てきます」
攻撃の応酬は続き、イラン側も弾道ミサイルやドローンで報復。戦争が拡大するなかで、戦火が及んだ周辺国は10カ国を超える。
「イランの人は、ペルシャ帝国から続く何千年ものイランという国の歴史に誇りを持っている。戦争は先に手を出したら負け。イランはずっと我慢をしていたのだから、倍返しをする、ということ。私はイランの味方でもないし、アメリカの味方でもしない。イラン国民の味方なんです。もし地上戦に突入すると、プロの精鋭部隊がイランに送り込まれて泥沼の戦いになってしまう。犠牲者が増えるだけ。アメリカもイランも、イラン国民のことを考えてほしい」
マンスールさんの「花門」では通常の居酒屋メニューに加えて「イラン雑炊」「イランチキンケバブ」「イランの煮物」といったイランの家庭料理も提供している。最後にマンスールさんは手を広げ、アッラーの神に祈るような仕草を見せてこう言った。
「私たちは平和が戻ってくることを祈るだけしかできないよ」
安いのにデカ盛りで有名なお店ですよね。いつもニコニコ明るくお客さんを迎えてくれるイラン人のマンスールさんの人柄もあって大人気のお店でテレビでも度々取り上げられてますよね。イライラ戦争に従軍した経験があったのは知りませんでした。あの笑顔の裏側には辛くて悲惨な経験があったんですね。
妹さんや親戚の皆さんのこと心配でしょうね。早くイランを含めた中東に平和が来ますよう