水野晴郎・選 決定版チラシBESTセレクション1000 | トラウマ日曜洋画劇場

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レンタルDVDもインターネットもなかったあの頃。インドア派の少年たちがオタクとかヒキコモリといった言葉で安易に総括されてしまうこともなかったあの時代。昭和キッズは夜な夜なテレビで放送される洋画番組をめちゃくちゃ楽しみにしていた……

『水野晴郎・選 決定版チラシBESTセレクション1000』
いまはなき映画雑誌『ロードショー』の1979年5月号の特別付録


トラウマ日曜洋画劇場-水野晴郎・選 決定版チラシBESTセレクション1000

76ページもあって、映画のチラシがぎっしり並んだ小冊子です。水野さんのミニコラムも載っていて、こんな記述が……。

チラシはいまやほとんどがB5という週刊誌と同じサイズですが、昔は大きさや形にもっとバラエティがありました。特に多かったのはレコードのシングル盤ジャケットと同じサイズのもの。『いちご白書』『いつも心に太陽を』などがそうでした。

映画のチラシは戦前からありましたが、昭和30年代から紙質や印刷がよくなりカラフルになりました。チラシをおおよそ今の形に方向づけたのは昭和30年代の後半、私がユナイト映画の宣伝にいた頃。その頃までは各社がさまざまな変型のチラシをつくっていました。フォックス時代には『ワーロック』なんかで拳銃型のチラシをつくりました。『豚小屋』『フォロー・ミー』『マニトウ』『ブリンクス』など、異色作と呼ばれるような作品に変型版のチラシがよく使われるような気がします。

『殺しのカルテ』や『等身大の恋人』など、チラシまでつくられたのに、かんじんの映画はおくら(未公開)になってしまったものもあります。

チラシを50音順に並べてみると、映画のタイトルによく使われる単語があることに気づきます。「愛」「狼」「さらば」「女」「男」など。地名では圧倒的に「パリ」が多いようです。

トラウマ日曜洋画劇場-水野晴郎さんの映画チラシコレクション

右の方にある『かもめのジョナサン』が目立ってますね。そういえば、リチャード・バックの原作本の訳者解説では、五木寛之さんが『イージー・ライダー』や『グライド・イン・ブルー』や『ファイブ・イージー・ピーセス』あたりの、いわゆるアメリカン・ニューシネマとヒッピー文化について語っていたような気がします。

トラウマ日曜洋画劇場-水野晴郎チラシBESTセレクション

カチンコ

昭和のあの頃、映画好きのよい子たちは『ロードショー』を買うか『スクリーン』を買うか、毎月21日になると真剣に悩んだものだ。

お小遣いは限られているから両方は買えない。本屋でそれぞれちょっと立ち読みしてどちらにするか決めたいところだが、「チラシBESTセレクション」「人気スター特選ポートレート集」「映画ファンカレンダー」などの別冊付録がこぼれないよう、どちらの映画雑誌もナイロンのひもで縛られていることが多かった。仕方ないので、ページの角のあたりをめくりあげ必死で中の様子をうかがっていると、いつの間にか神経質そうな店員が背後に立ってにらんでいる……。

どっちにするか決められないと、男子はみんな、『スクリーン』の方を買ってしまう習性があった。なぜか? 『スクリーン』には、『ロードショー』にない実用的なページがあったからだ。

それは、いつも雑誌の中ほどから後半にかけての2色刷りページにさりげなく混ざり込んでいた。堂々と紹介される大作封切り映画の陰に隠れるように、一応こういう作品も公開されるのでちょっと載っけてみましたみたいな感じで、昭和のチューボーが使うには十分すぎるほど刺激の強い写真がついたエログロ映画の新作情報ページがあったのだ。

シャロン・ケリーにマリリン・チェンバーズにマリー・メンダム、猟奇コレクターとかビリティスとか獣人とかイマージュとか影なき淫獣とかマダムクロードとかバルスーズとかインモラル物語とかミス・ジョーンズとかグリーンドアとか……。

ふ、女優や映画の名前の断片だけで、一つ一つどういう写真が載っていたか今でも思い出せるぜ。