先週、義理母のいるナーシングホームを訪問しました。
そこは、ABCと3つの棟に分かれていて、
Cは頭はしっかりしてるけど、
(重症軽症を含む)体が動かなくなっている人たち。
Bは痴呆がかなり進行している人たちで、
入り口全部にロックがかかっている。
Aは看取り用。
という感じになっています。
別のアシステッドリビングという施設から追い出された義理母は、
すでに痴呆が進行し、おトイレが困難でしたが、
95歳でも一人で歩けていたので、
C棟に入っていました。
C棟の人たちは、頭がしっかりしている分、
言うことも辛辣。
99%白人の地域に、アジア人がいると、目立つこと目立つこと。
私を施設のスタッフと思って、頭ごなしに用事を言いつける人や、
「あんたがいる場所じゃないのよ。」
と、吐き捨てる人など。
一般の人は、もちろん理性が働いているので、
たとえ頭で思っていても、悪意を口には出しませんが、
実際、老人の本音なんて、こんなものなのかな、
なんて思ったりもしました。
(義理兄もそうだけど、私がしゃべると、眉間に皺を寄せる人が多い。
都会と違って、訛りに慣れていないからしょうがないけど、
あからさますぎるのよ。)
しばらくして、義理母はB棟に移りました。
B棟は、痴呆の老人たちの集まりなので、
それはそれで違ったカオス。
いくら綺麗に掃除していても、
染みついたアンモニアの匂いがきつく、
それだけでゲンナリするユニット。
叫んだりぼんやりしてたりして、
すでに違う世界に入ってるな、という感じです。
だけど、割と元気なおじいちゃんおばあちゃんは、
なぜか私の側にワラワラと寄ってきます。
ものめずらしい動物を見た!
という感じ。
ジグソーパズルの出来を見せてくれたり、
自分のブランケットくれたり。
この間は、新顔のおばあちゃんが、
ずっと私にくっ付いてきて、
スタッフの愚痴を言ってました。
そして、一番びっくりしたのが、義理母。
春に尋ねたときには、
私の顔を見ながら、
「髪の毛が黒い」「髪の毛が黒い」と言って、
ずっと凝視されていました。
黒い髪がいいとか悪いとかではなさそうで、
単純に興味深かったのでしょう。
(20年以上の付き合いなのにねぇ。)
先週はもっと驚きで、
突然
「My mother. お母さんが迎えにきてくれた。」
と私の方に向かってきました。
思わず後ろを振り向きましたよね。
後ろには壁しかなかったので、
明らかに私なんでしょうけど。
自分は金髪碧眼のくせに、
どこをどう見ても、親子じゃないだろう。
アジア人の私が嫌いで、
散々嫌味を言い続けてきたのに。
なんなら去年まで、記憶が戻ったときには、
文句言ってたくらいなのに。
なんで、私を自分のお母さんだと思える?
不思議すぎる。
よく、人の本当の心はピュアだけど、
いろんな闇がかかっているので、
本当の心は美しいと信じてあげること、
なんて言われるけど、
実際無理でしょ。
頭のしっかりしているC棟の人たちは、
自分が生きてきた、知識、常識、文化でジャッジする。
完全にボケちゃったB棟の人たちは、
そんな常識などすっかり忘れて、
自分の感性で話をする。
本来、人ってみんなB棟の人たちだと思う。
ピュアで優しくて。
ほんと、理屈はわかるよね、理屈は。
でも、人は知識、常識、文化で判断しながら生きている時間の方が長いし、
葛藤したり、妥協したりして生きている。
今まで、彼女のその常識に振り回され、
散々いじわるされてきたのに、
亡くなる直前にピュアになられても、
チャラにはならないよ。
そんな簡単に物分かりよく、寛大になれるかい、って話。
かといって、怒りが爆発するほどの情も思い入れもなく、
良くも悪くも他人の義理母。
深入りせずに済んでいるので、まあよしとします。
逆に、うちの祖母がボケ始めてから、
今まで聞いたことがなかった、
母への恨みつらみを言い始めました。
チクチク嫌味みたいなことを言っていたことはありましたが、
大っぴらに、母の悪口などは言ったことがなかったんですよね。
今まで、祖母なりにいい人装ってきたんだろうな、と笑ってしまいました。
ボケるって、ある意味潜在意識のパンドラを開けること。
開けて確認しないと、
潜在意識で何を思っているのかわかりませんが、
実はとんでもないこと思ってるかもしれませんね。笑
人の心は複雑。
なんか老人たちを見ていたら、
本来の自分に戻ろうが戻らなかろうが、
どっちでもいい気がしてきました。