果報は寝て待つ | 札幌の家庭教師 学びの森通信

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札幌でプロ家庭教師をしています。
家庭教師歴26年になります。

私はどちらかというと「果報は寝て待つ」タイプです。

 

自分から積極的に他人に働きかけることはまずありません。

 

だからといって、人付き合いが苦手というわけでもありません。

 

自分で言うのも何ですが、人当りは悪くないほうだと思っています。

 

ただ、孤独の時間も決して嫌いではありません。

ですから、私の人付き合いの基本スタイルは「来る者拒まず去る者追わず」。すべては「自然の流れ」に任せることにしています。

そしてこれは人付き合いに限らず、仕事に対しても基本的には同じです。

評価というのは他人がくだすものであって、自分が決めることではありません。
 

いくら自分の一生懸命さ、素晴らしさをアピールしたところで、それを評価するのはあくまで他人であって、自分ではどうしようもないことだと思っています。

だから「果報は寝て待つ」です。

ただ、「寝て待つ」といっても、もちろん何もしていないわけではありません。

 

ご依頼を受けたときに出来る限りの対応ができるよう、地味な準備だけは毎日続けています。

 

自分の出番が来るか来ないかわからない状態でも、いつでも出られる準備をしている控え選手と一緒ですね。

 

準備をしていない選手に出番がやってくることは一生ありません。

 

ですから、仕事というのはその仕事をするのに相応しい人間に自然と舞い込んでくるものなんです。

 

つまりは「人が仕事を選ぶ」のではなく、「仕事が人を選ぶ」ということです。

 

「自分に合った仕事をさせてくれない」

「自分の能力に見合った給料が欲しい」

 

そういった不満を度々耳にします。

 

確かに雇う側に問題のあるケースも少なくはないと思いますが、もしかしたらその仕事とその給料が今の自分に見合ったものなのかもしれません。

 

そういった可能性も考える必要もあるのではないでしょうか。

 

だって、本当にその人が有能な人間ならば、周りが放っておくわけがありません。
 

自分でアピールするまでもなく、自然に人は集まってくるし仕事も舞い込んでくるはずですから。

 

先日お亡くなりになった「浪速のモーツァルト」ことキダタロー先生が生前、こんな言葉を遺していたようです。

 

これも嫌、あれも向いてない、なんてやってたって、いつまでたっても何にも身につきません。転々としていいのは、何か一つ食べる術が身についてからです。

 

「果報は寝て待つ」というのは、「何もしないで良い条件を待つ」ということではなく、「必要とされたときに備えてしっかり準備をしておく」ということです。

 

現状への不満ばかりを言っている人に、「果報」は決してやって来ないでしょうから。

 

 

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