誉められたい | 札幌の家庭教師 学びの森通信

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札幌でプロ家庭教師をしています。
家庭教師歴26年になります。

実家が自営業だったこともあり、子供の頃はよく家業の手伝いをさせられました。

それはテスト前だろうが受験前だろうが特別扱いされることはありませんでした。テスト前日、勉強している最中に駆り出されたこともあります。

 

テスト前に勉強させようとする親はいても、テスト前に勉強させてくれない親なんてそうそういませんよね(笑)。

 

当時は「なんて親だ!」と思ったものですが、まあその分、成績に関して何か言われたことはなかったので、精神衛生上はそれで良かったのかも知れません。

勉強に関しては、両親ともまったくの無関心。叱られた記憶もなければ、誉められた記憶もありません。

ただ、家の手伝いをしたときだけは、大げさなくらいに母によく誉められました。

「○○(←私の呼び名)がいてくれて助かった」
「○○がいなかったら今日は大変だった」
「○○はもう一人前だな」

私に対してだけでなく、近所の人にまで自慢していました。
 

今思えば、相当な「親バカ」だったと思いますが、そこまで誉められると私としても満更でもありません(笑)。

 

自分が家族の一員として認められている。
家族の働き手の一人として頼られている。

そう思うと、最初はイヤイヤやったことであってもやはり悪い気はしないもの。見事に母の術中にはまってしまった私です(笑)。

 

で、自分がそうだと言いたいわけではありませんが、「よく家の手伝いをする子は学力も高い傾向にある」と言われます。

ただ机に座って問題を解くだけが勉強ではありませんし、学力は勉強をするだけで身に付くものでもありません。

手伝いや遊びを通しての生活体験。
手伝いを通して感じる使命感や責任感。
誰かの役に立っているという充実感。

そういったものがうまく絡み合って、はじめて学力、すなわち「学ぶ力」が養われるのではないかと思っています。

もちろん学力をつけるために勉強は必要不可欠です。
 

でも、勉強を効率よく継続していくためには、勉強以外の要素、つまり精神的な面が大きく影響してくることは今さら言うまでもないことですね。

人間は「自分のため」よりも「人のため」に動いたほうが、大きなパワーを発揮すると言います。

そして子供に限らず人間誰しも、「誉められたい」「認められたい」という承認欲求を持っています。

子供にとって、「誰かのため」「家族のため」にやった行為を誉められるのは、勉強へのやる気にもつながるし、生きる力にもなると思います。

少なくとも「勉強しなさい!」という言葉を毎日浴びせられるよりは、よっぽど効果があるのではないでしょうか。

 

そう言えば、こんな言葉もありましたね。

 

やってみせ 言って聞かせて させてみて

誉めてやらねば 人は動かじ


勉強以外のことで、最後にお子さんを誉めてあげたのはいつですか?

 

 

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