実は、前からずっと思っていたことがあるんです。
この世は「体験をするため」に来ているのだとしたら
その体験自体に、いい体験、悪い体験、というのが
あるわけではなく
ただ、「体験できなかったな~」っていう後悔の想いだけが
魂をこの世に縛り付けているんじゃないかって。
だから、どんな体験でもよくて
私たちは「自分」という身体を使って
精一杯に生きることさえできれば
喜びの中で「死」を迎えられるんじゃないか。
私たちは
「死」というものをいけないもののように扱ってしまう。
それについて話すのは、不謹慎だって思ってしまう。
でも、生を受けた以上、死は必ずセットであるもので
私たちは、死に向かって生きている、と言っても過言ではない。
だから、もっと私たちは「死」について
話す機会を持つべきじゃないだろうか。
先日、「みとりし」という映画を見に行ってきました。
みとりし(看取り師)とは
人生の最期に寄り添う人のこと。
大切な人を失う悲しみは
癒されることはないのかもしれないけど
もし、その大切な人の
「このように見送られたい」という思いを
知ることができたなら
そして、それを叶えてあげることができたなら
相手も自分も、「やり残した」という思いを残すことなく
納得のいく人生だったって言えるんじゃないかなって。
私のところにセラピーに来てくださる
クライアント様の中にも
大切な人との別れを体験し、
「もっとできることがあったんじゃないか」
「これでよかったんだろうか」と
答えの出ない答えを聞きに来る方もいらっしゃいます。
だからこそ、
私たちはもっと、「死」について
話せる場があったほうがいいって思うんです。
どんなふうに死を迎えたいのか
誰と、どこで、どんなふうに。
元気な時は
こんなこと考えないんですよね。
でも、「死」は
自分の想い通りにコントロールできない、
かもしれない。
誰と、どこで、どんなふうに。
を決めたって、そうはならないこともある。
でも、普段から、「何かの時はこうしてほしい」って
そばにいる人に伝えてあれば
自分はそんなときどうしたいのかを
思い出してもらえうのかなって。
だから、大切な人と
一度、話し合う機会を作れたらいいな~って思うのです。
でも、自分は死をどう迎えたいのか、なんて
なかなか考えないし、どうしたいのか分からない方も
多いかもしれません。
もしものとき、私はどうしたいの?
家族のもしものとき、どうしたらいいの?
を考える会をやりたいな~~と
密かにもくろんでおります。
興味あるって方いたら是非お声かけてくださいね~
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