「ない」ときはなくても全然やっていけてたのに
「ある」ようになったとたんにそれがなくなるのが極端に怖くなる。
子供がいないときには全然考えもしなかった
「子供がいなくなったらどうしよう」という不安感は
子供がない状態からある状態になった途端に
失う事の恐ろしさを抱えながら子育てをするようになる。
でもそんな不安を封印して必死に子育てをする。
子供が小さい頃は
それでなんとかやっていけるけど
子供たちが大人になって
親から離れていく時期に
自分から手が離れていく子供たちを目の当たりにして
この不安感が再浮上する。
「子供がいなくなったらどうしよう」
いなくなったら、
今までの必死で頑張ってきた自分が切り捨てられたような気分になる。
いなくなったら、
自分のやることがなくなってしまう気分になる。
いなくなったら、
自分の存在価値がなくなった気分になる。
手にれたものは、なかなか手放せない。
なぜなら、その手に入れたものは
自分の不安感をごまかすために絶対的に必要なものだったから。
いなくなったらもうごまかせない。
でもね、
本当は、必死で子育てした結果
子供は大人になり、
親がある状態でないと生きていけなかった自分から
親がなくても生きていける自分になった、ということ。
ある、から、ない、になっただけ。
子育て終了する、ということは
ない、から、ある、になり
また、ない、に戻るというだけ。
でも、本当は子供が大人になっただけなので
ない、にはなってないんだよね。
親のほうが、まだ「子供を育ててる」気分になって
「子供がいなくなった」って思ってるだけで
本当はいなくなってない。
子供は大人になり
子供の存在はいなくなったけど
大人という存在でそれはそこにある。
OSHO禅タロット
NO-THINGNESS
「無」
無の中に全てはある。
私たちは、魂があり、肉体がない、の状態から
肉体がある、という「自分という存在」を手に入れ
人生を生き
またいつか「存在」を手放す。
でも「存在」は消えることなく有り続ける。
私たちは、「あること」と「ないこと」が
同時にいつもそこにあることを知る。
いつも応援ありがとう!