心屋認定講師・心屋恋愛カウンセラーの齋藤沙織です、こんにちは。
沙織の生い立ちを書いていく人気シリーズ。
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幼稚園の時からお受験対策をしていたので割と優等生でしたが
環境が変わると同時に、成績もガタガタと落ちていきました(汗)。
そんな自分をちょっと諦め始めていた頃、
小学校5年生の時に恩師のT先生に出会います。
パワフルでかっこよくて優しい女性で
生徒を丸ごと包み込み、愛に溢れているT先生。
私はT先生に救われたと思っています。
勉強する楽しさ、
チャレンジする姿勢、
人と向き合う強さ、
それぞれの個性を認めつつ協調性を持つ…などなど
たくさんのことを教わりました。
ちょうどその頃、今の父と母がお付き合いを始めました。
私は多感な時期だったので、最初こそ抵抗しましたがすぐに
「この人は大丈夫!」
と感じ、一緒に遊んでくれる時間を楽しみました^^
私は母子家庭の間ずっと、父親代わりをしていた気分だったので
本当にこの男性にバトンタッチしていいのか見極めていたような気がします。
「ママをお願いね!」
というような想いで少しずつ少しずつ頼っていくようになりました。
そんな私のいろいろな感情を、T先生は母と共に受け止めてくださり、
家庭の土台を整えていくお手伝いをしてくださったように感じています。
その頃に出会った友達は、今でもよく遊び、よく語り合い
いまでも週1で会ったりするほどの大切な親友です。
小学校5、6年は私にとって、一番の青春でした。
学芸会の主役をやったり、
クラス委員に立候補したり、
大縄跳びを頑張ったり、
男子と戦ったり(笑)、
クラスに馴染みにくそうな子に手を差し伸べてみたり・・・と
私にとって大切な経験をたくさんたくさんさせてもらいました
あ!この頃に好きになってくれた人が、初めてのまともな初恋でしょうか。
ってここに書くのめちゃくちゃ恥ずかしいのですが。。笑
小学校卒業後は、私は中学校でも生徒会の書記をやり
最後には生徒会長をやっていました。
女子で生徒会長をやるのはその学校では初じゃないか?って
先生に言われましたが、実際はどうなんでしょう。
男女問わず、同級生には「会長」って呼ばれてました・・・(笑)
大人になってから会ってもそう呼ばれたので、マジでやめてほしいです。笑
生徒会長として、全校生徒の前でするスピーチの内容が結構好評でして
今考えると、私はステージに立ったり、人前で話すことが好きだったんでしょうね。
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母子家庭で育ったので、私は母子家庭の子を見つけるのが得意でした。笑
その子がどんなに笑顔でもなんかセンサーでわかるのです。
私は小学校高学年〜中学校の時代は、「問題」を抱えている子を
あらゆるところから見つけては近寄り(笑)手を差し伸べ続けてきました。
母子家庭の子はもちろん、
リストカットをする子、
性的虐待を受けた子、
心理的に言葉を発せない子、
家庭環境が複雑でおじいちゃんおばあちゃんに育てられている子、などなど。
そんな子を見つけては、話しかけ、スクールカウンセラーに相談したり、
自分の家に連れていき、母と一緒に手助けしている気になっていました。
当時の母と私には、恥ずかしながら人を助けることが生き甲斐だったようです。
本当は自分たちが助けてもらいたかったし、認めてもらいたかったし、
何よりわかってほしかったんだろうな、と今では思いますけどね。
さらには当時「パッチアダムス」という精神科医の映画に感動して
中学生にして、将来の夢は
「カウンセラー」
でした。
どうやったらなれるんだろう?と考え、調べまくった時に
当時アメリカでは心理学が30年近く進んでいると言われており、
アメリカの大学で心理学を学びたい!!
↓
そのためにはまずは英語だ!
↓
高校からは留学をしたい!
となり、私は高校からアメリカに留学をさせてもらうことにしました。
生き急いでいたし、夢を持っていたし、自立心も強かったかと思います。
とにかく、早く一人前になりたかったんです。
母を救いたかったし、母の迷惑になりたくなかったんですね。
そんな自分の「したい」を実現する行動力を培ってくださったのは
T先生だと思っています。
自分と、自分の人生への自信をつけてくださいました。
私は本当に昔から人とのご縁に恵まれてきました。
うん。今までのちょっぴり寂しくずっと受け身だった私から
ここら辺からポジティブに生きるようになりましたね。
母子家庭ではありましたが、母も自由になったからか
おうちの中には笑い声がたっくさん増えたと思います。
母の変化と共に、私も変わっていったんだと思います^^
なぜかめっちゃオデコを出してました(笑)
これでもまだマシなお写真たち…(笑)
恥ずかしさしかないな…( ´ д ` )