文章をあれするための、あれ。 -4ページ目

文章をあれするための、あれ。

日々気づいたこと、考えること、知りたいこと、など。

前から気になっていたことのひとつに

「人はどのような基準で仲間意識を持つのか」ということがある。

 

私は大阪生まれ大阪育ちで関東には住んだこともなく、

心がとがっていた学生の頃までは「東京の人」に対しては

それだけでどこか「けっ」と思ってしまう性質であった。

 

だけどフランス留学中は東京出身だろうが「同じ日本人」ということで

仲間意識があったし、同様に台湾から来た子たちに対しても同じ気持ちがあった。

 

逆に、例えば京都から大阪に向かう電車の中で、

隣の席の人が大阪出身だったとしても、私は特に親近感を感じないと思う。

だってそんな人、車内にうじゃうじゃいそうじゃないか。

 

どうも自分がマイノリティである分野において、

同じ立場の人に仲間意識を持つのじゃないかという気がする。

 

それがどのくらいマイノリティで、とかはまだわからないが、

この間は「こんなに一瞬の、小さな範囲でのことでも仲間意識を感じてしまうのか!」と驚いたことがあった。

 

平日の朝。通勤電車は満員で、終点駅で一気に人が降りる。

ぎゅうぎゅうだから皆チビチビとしか進めない。

ポムポムプリンみたいな歩き方になる。

やっとドアのところまで来たと思うと、ちょうど扉のところで

男性二人の間と横並びになり、詰まってしまった。

 

こんな感じだ。

 

ちょうどドアの幅にはまってしまい動けない。

「これ、出れるのか!?」の一瞬焦ったが、

3人の「降りたい」という気持ちにより一斉に押し出され

プリ~ンッと電車外に降りたった。

 

 

歩き出してすぐ私はどうしようもなくこの2人の男性に「同士感」を持った。

 

突き止めるとそれは多分満員電車で多くの人がいるなか、

ドアに詰まるという苦境にあったマイノリティの同士で、

それを一緒に乗り越えたことによって仲間意識なのだと思う。

 

朝のほんの15秒にも満たない、半径1メートル内で起こる出来事がきっかけでも

他人に仲間意識は持てるものなのだ。

 

ネットで色んな人とつながれる時代。

物理的距離が遠くても、「仲間意識」のツボを押さえれば集団はできていくんだろうなぁと考えた。

2018年、初道案内!
以下レポートです。


評価基準等はこちらの記事で。


***

日時: 2018/1/5(金) 日中

【私の状態】
服装:会社の制服

状態:梅田をぶらついていた
(詳細は個人情報に達する恐れがあるので一応伏せます)


①人の多さ(選択肢の有無)
★★☆☆☆ 2/5点
私以外にも人が2.3人いる状態。さらには近くに薬局の店員さんもちらほらいたので、その中で選ばれるという高得点!かと思いきや、私は会社の制服であるスーツっぽい服を着ていたため、公の人と間違われた可能性がある。
以前もヨドバシカメラでおじいさんにコピー用紙の場所を訊かれた。
というわけで、2点と低め。

②尋ね先
★☆☆☆☆ 1/5点
ここらの外国人観光客がよく行くであろう観光地。
そしてアクセス少しわかりにくい場所でもあるので最低ポイント。

③迷い人
★★★☆☆ 3/5点
東南アジア系観光客3人組の女性に英語で聞かれた。
私はよく外国人に「マレーシア人ぽい顔」と言われるので、安心感から訊いてきたのかもしれない。低ポイント対象の観光客ではあるが、私自身の持つ顔の個性で選ばれた可能性が高いので、高得点。

◎総合得点
7点 / 15点満点

尋ね先も迷い人も観光地・観光客であり、公っぽい服装をしていたともあって、私の「道聞かれ力」が大きかったとはいえない。ただ、私は訊かれるまで考え事をしていて結構険しい顔をしていたはずなのに訊かれたということは、顔の険しさに勝る「訊けそうさ」が私にあったのかもしれない。これは大きな進歩である。

12月は結局1度も道を訊かれることなく年が明け、「道をよく訊かれる人間になる」という目標も半ば諦め忘れかけていたところ不意打ちで道を訊かれた。

12月は「訊かれたい欲」が出すぎていたのだと思う。それじゃあ人は寄ってこない。

少女漫画でも、「モテたいモテたい」って気持ちがメラメラでちゃってる人ってあまりモテない。モテてるのは大体クールな男か「みんなのアイドル」タイプの優しい男な気がする。

2018年は「道を訊かれたい!」とガツガツした気持ちを抑えていこうと思う。


P.S. リクエストがあったので今回より道案内が上手くいったかどうかも報告します!
今回は、わかりにくい場所&英語だったので、すこし難しく、何回か同じことを説明しました。必死に説明していると肩を叩かれ、笑顔で「何とか行くよ!ありがとう」的なことを言われました。実際に着けたのかどうかは知りません。以上。
時々、自分は結局、物事を中身単体では評価できていないのではないかと思う。中身自体の評価をしている気になりながら、実際はそれに付随する情報に左右されている。

例えば、有名バンドのアルバムを聴いているとき。
もし彼らでなく無名アーティストがこの曲を演奏していたら全く評価を受けず世を去っていったのでは?と思ったり、色んな賞を取っている作家が書いた、特に賞を取っていない長編を読みながら「これが第1作なら本にもなっていないのでは?」「私がこの作品を好きだとか、面白いと思うのは、『(評価されている)プロが作ったもの』という潜在意識がそうさせているのでは?」と思う。

私が大好きなツイッターでも同じで、私がファボ(いいね)をするツイートは、そのツイートの内容自体ではなく、「この人が言っている」という潜在意識によってファボしてるんじゃないかと思う。
タイムラインでも、「誰々が言っている」という色眼鏡をかけてツイートを読んでしまっているんじゃなかろうか。

そんな考えから、パソコンをちょろまかしてツイッターアイコンと、名前の出ないタイムラインを表示できるようにしてみた。

「これで偏見なくTLが見れるぞ!」と。

それがこちら。

{87A8D525-7645-4227-B10E-8D438BC8C000}

(まだツイート内の画像を表示する方法がわからない。誰かご教示ください)

偏見なくツイッターを楽しめると思ったら、新たな発見があった。

ツイートに興味がわかない。

偏見なく見れるどころか、見る気にあまりならない。
これは予想していなかったので少し戸惑った。

でも考えてみたら、人って、「自分が認識した他人が何を考えているのか?」に激しく興味があるのだと思う。

だって、書店に並ぶ本に対してはサーっと流し見するのに、電車で前に立つ人がブックカバー無しに読む本に対してはこの人が何の本を読んでいるのかと必死に盗み見る。

私だけ?

今年もあと3日。

 
年末になるといつも「1年過ぎるのってこんな早かった!?」ってギャーギャー言うけど落ち着いて1月から追ってみると色々思い出す。
 
1月にはオバマさんの任期が終わり、2月にプレミアムフライデーが始まった。3月はムッシュかまやつさんが亡くなって4月フィギュアの真央ちゃん引退。5月と6月は眞子さま婚約と将棋の藤井四段が連日ニュースを騒がせ、7月からは割愛する。
 
こうやってみると、それぞれのニュースと結びついて記憶が蘇ってくる。
 
色んなことがあった1年だと思う。
悲しいこともあったと思う。
 
そこで年内更新最後の今日は悲しい記憶の忘れ方を紹介したい。
 
 
よく「悲しさ・苦しみを癒すのは時間だ」と言うけどその通りだと思う。フランスの哲学者だってそんな小話を書いているし、昔から言われていることだ。
 
「3年前何で泣いた?」と聞かれてもなかなか出てこない。記憶を探って思い出せたとしても、悲しい気持ちは殆どよみがえらない。
 
 
問題は、時間が経ってないとき。忘れてしまいたいのに、随時思い出してしまう悲しいことを、どう処理していけばいいのか。
 
私は「思い出の上書き」で対抗する。
 
例えば、恋人との別離を思い出して悲しい気持ちになるとき。
 
私は彼につながるキーワードに関する思い出をどんどん上書きしていく。
 
一緒に行った場所には(近場であれば)避けずにあえて行く。一緒に食べたアイスも食べる。定食屋さんにも行く。
 
そうしていくことで、その場所や食べ物が「彼との思い出」から「日常」に変わり、悲しい思い出に結びつきにくくなる。
 
と言いつつ、気のせいかもしれないし、そんなことをしてる時点でその悲しい思い出から離れられていないのかもしれない。
 
それでも、この方法を信じている私にとって、この間のニュースはショックだった。
 
 
自身の結婚報告を、鮮やかな封筒で12/24を配達指定日にしてファンクラブ会員に送ったV6の岡田くん。
 
「めでたいけどそりゃないよ岡田くん〜」と思う。
 
だって、クリスマスイブなんて上書きが難しいじゃないか!
 
イベント力が圧倒的すぎるのだ。
ハロウィンが終わった瞬間の11月から街はどこもかしこもクリスマスモード。
おまけに日本では「恋人がいない人のクリスマスは寂しい」というイメージが定着してしまっている。
 
つまり、イブの悲しい思い出を上書きするには、大好きな恋人と最高に幸せなクリスマス期間を過ごすことが1番有効なのだが、これってそう簡単じゃない。
 
 
岡田くんの行動が正しいとか間違っているとかそんなことは私にはわからない。
でも、上書きできないまま、毎年クリスマスにこのことを思い出して悲しい気持ちになる人のことを想像すると、辛くなってしまう。
今電車に乗っていて、ボックスシートに座っているのだが前の男性にときめいてしまう。


年は30代くらい。
スーツにキルティングジャケットを着ていて、黒縁眼鏡。(※下はスーツにキルティングジャケットの参考資料)
見ていないけど財布はポーターだと思う。そんな雰囲気が出ている。

{EAF3E549-27AF-4CC3-9CA5-3ACC16886C61}

そして膝に置いた鞄の上に図形がかかれたA4用紙を広げ、シャーペン片手に何やら必死に計算している。エンジニアなのだろうか。

ここまでだけでも おしゃれ理系男性って感じでかっこよいのだが、窓のフチのところに消しゴムを置いているのが可愛くて最高。

そんなこんなで私はあっという間にときめいて「こういう人と結婚したら面白そうだな〜」とか簡単に思ってすぐさま結婚指輪が無いことを確認しては結婚生活まで妄想したりするタチなのだが、この妄想が一瞬で冷める方法を最近得た。


それは「この人と婚活パーティーや婚活アプリで出会っても同じ気持ちになるか?」と考えることだ。

婚活パーティーで他愛もない出身地の話をしたり、アプリで「休みの日は家でまったり過ごしています😅」なんてプロフィールを見て出会ったとても同じ感情になれるのか?

大抵「いや、婚活アプリで出会ったとしたらあんまりかもしらん、、」となってしまう。
さっきまで新婚生活を想像していたというのにとんだ矛盾だ。

私は生活ですれ違う他人は自分の見たいようにしか見ていないし、婚活に参加する人にはそれだけでちょっと偏見を持ってしまっている。

これから本腰で婚活をするかもしれない24歳手前、このことを固く頭に入れて生きていきたい。