例えば、有名バンドのアルバムを聴いているとき。
もし彼らでなく無名アーティストがこの曲を演奏していたら全く評価を受けず世を去っていったのでは?と思ったり、色んな賞を取っている作家が書いた、特に賞を取っていない長編を読みながら「これが第1作なら本にもなっていないのでは?」「私がこの作品を好きだとか、面白いと思うのは、『(評価されている)プロが作ったもの』という潜在意識がそうさせているのでは?」と思う。
私が大好きなツイッターでも同じで、私がファボ(いいね)をするツイートは、そのツイートの内容自体ではなく、「この人が言っている」という潜在意識によってファボしてるんじゃないかと思う。
タイムラインでも、「誰々が言っている」という色眼鏡をかけてツイートを読んでしまっているんじゃなかろうか。
そんな考えから、パソコンをちょろまかしてツイッターアイコンと、名前の出ないタイムラインを表示できるようにしてみた。
「これで偏見なくTLが見れるぞ!」と。
それがこちら。
偏見なくツイッターを楽しめると思ったら、新たな発見があった。
ツイートに興味がわかない。
偏見なく見れるどころか、見る気にあまりならない。
これは予想していなかったので少し戸惑った。
でも考えてみたら、人って、「自分が認識した他人が何を考えているのか?」に激しく興味があるのだと思う。
だって、書店に並ぶ本に対してはサーっと流し見するのに、電車で前に立つ人がブックカバー無しに読む本に対してはこの人が何の本を読んでいるのかと必死に盗み見る。
私だけ?
