1990年のCBS・ソニー | 三遊亭王楽のぽよよんブログ

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ソニー・ミュージックグループの要職を歴任されてきた稲垣博司さんの『1990年のCBS・ソニー』(MdN新書)を読みました。

松田聖子さん・尾崎豊さん・YOSHIKIさんをはじめ、稲垣さんが携わってこられたミュージシャンについて語られております。

山口百恵さんが、阿木耀子さんと宇崎竜童さんのご夫妻に『横須賀ストーリー』を作って頂いた事は有名ですが…

稲垣さんが当時のマネージャーだった小田信吾さん(←のちのホリプロ会長)に「なぜ阿木、宇崎コンビを?」と聞くと…

「彼女が自ら夫妻を指名した」

…と返ってきたのには驚きました。

だって、その時の百恵さん、まだ17歳ですヨ?売れる人は、自分をよくわかってるんですネ?

そんな山口百恵さんが婚約・引退発表会見してから25日後の1980年4月1日、松田聖子さんが『裸足の季節』でデビューされまして…

3ヶ月後の7月1日には『青い珊瑚礁』が大ヒットしたんですから、時代の変わり目を感じずにはいられません。

そんな松田聖子さんが円熟期を迎えていた1983年12月1日、アルバム『十七歳の地図』、シングル『15の夜』でデビューしたのが尾崎豊さん。

…何と、デビュー2日前の11月29日に18歳になられたばかり!

大袈裟ではなく、所謂〈捨て曲〉がひとつもない『十七歳の地図』を、その若さで作られたんですから、本物の天才です。

稲垣さんが、尾崎豊と云うアーティストの根源にあったものは〈劣等感〉だと云い…



「劣等感がないアーティストは大成しません。

劣等感が、何にも勝る原動力だと思うからです。

劣等感以上のものは、ない。

しかし、持っているだけではダメで、劣等感と正面から向き合い、逃げないことが重要なのです」



…と続けていらっしゃいましたが、どのジャンルにも通ずる事かと感じました。

また、富澤一誠さんによる尾崎豊評が鋭く、後年曲作りに行き詰まってしまった事について…



「彼は10代でデビューしてしまっただけに、“私小説ソング”を歌うための“ネタ”を、あまり持っていなかったからです。

中学から高校までの、わずか5、6年ほどのネタを、『十七歳の地図』、『回帰線』、『壊れた扉から』という3枚のアルバムで使い切ってしまった。

そして、あまりに真面目すぎたこともあり、心身ともに疲労してしまう。

その創造の苦しみは、おそらく本人にしかわかりませんが、その苦しみから逃れるために、酒などを必要以上に求めるようになったのではないでしょうか」



と…26歳で夭逝した天才に、改めて思いを馳せました。

YOSHIKIさんが、いつも約束の時間に1時間ほど遅れて来てたのが実はわざとで、何故かと云うと「その場の主導権を握ろうとしている」意図があったのでは…ってのは面白いですネ?

自分に自信がなきゃ出来ない事ですが、談志師匠がやっていらした手法と同じです(笑)。

とても興味深く、あっという間に読めました☆是非♪