強度行動障害と関係ないけど
写真がないのもさびしいので・・・
羊毛の正月おきもの
 

 

はじめましてのかたは こちらから お願いします

(週に一度くらいは リンクはります)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

行動障害について 2014年10月に書いて

今は 下書きにひっこめているブログのリニュアール版です

案外わすれていたことがあります

 

強度行動障害についての定義は当時

えいりあんさんが 「手をつなぐ」から抜粋しておしえてくださったようなんですが

コメントにのこっているはずなのに

下書きにひっこめると コメントがひらけなくなるんですねー

 

 

 

 

 

さて・・・ きのうのブログの続きです


三男 高学年になると とても 落ち着き
元通りの おだやかな 三男に 戻りました


中学生のとき 先生の愚痴を 療育の先生に話すと

「いいじゃないの 三男くんのことを くずさなかったら よし!
学校時代なんてね 通過点
そのあとは 長期的に過ごす場になるのだから
進路は慎重に選んでね」

と言われました


高等部卒業後の進路は

中学のときから 考えていた いくつかの場所と つながりを持っていました



ただ 療育の先生のいう 「くずさなかったら」が ピンときてませんでした

また 小4のときのようになるというの?

もう じゅうぶん支援をしているし 本人も だいぶ 成長したというのに?


深刻に考えないまま

特別支援学校の高等部に進学


入学式の日 三男は 「マンツーの子」として マークされていました


三男は ラッキーなことに 小中9年間 マンツーマンだったのです


マンツーだから 本人にあった指導もうけやすかったし
通常学級への交流も 本人の状態にあわせて
担任が つきっきりの状態でできました

学校中が 三男に合わせてくれていました


・・・・・が、今度は三男は特別な存在ではないわけです


みんな 障害があり 高等部の場合 (重複学級以外は)

5、6人の生徒を2,3人の先生が みることになります



入学前 校内をみせてもらいにきたとき

三男が ランチルームをみて

「ここでは 食事は 無理」という意味のことを言いました

そうだろうねえ
狭いところに ぎっちり 人がいれば 騒がしいだろうし
ここは音が反響しそうです


別室での食事を希望と 学校にいうと
できるだけ 希望にそいたいが
そういう子が多くて 空き教室がたりない とのことでした



初めての給食 どきどきしてましたが

「みんなと同じ席で食べるといって ランチルームで食べることを
選択したんですよ」

と ききました


先生も喜んでいたし 私もうれしかったです


ルーと ごはんを 別々でないと 食べられなかったカレーも
まわりのみんなと同じにしたいと言って
自ら ルーをごはんにかけたそうです



成長



そう 私たちは 喜びました



そんななか ゆっくりと 何かが壊れていき



スクールバスの運転手さん(このときのバスは いいスタッフでした)が


「すみません 時々 立ち歩くので 危ないので
もし なにか 工夫をご存じだったら 教えていただけないでしょうか」

と言われ

視覚支援をしました


スクールバスの座席は 生徒たち同士の相性をみて
何回か 席替えがありました

三男は 同じ席がよかったのですが
その席替えにまきこまれ 席が何回か かわっていました


担任の先生は まだ この学校が初任校だという若い小柄な先生で
とても熱心でした

週1は 夕方自宅に電話してきて 問題点を話し合おうとしてくださってました



あるとき

おめんをつくって 色を塗る前に
その練習として 顔の絵をプリントされた紙に
色をぬるという授業がありました


クラスの先生の名前を書いて 色を塗り
自由な色で と 指導され
ピンクや オレンジで 縫っていたそうです


ただ 三男担当の担任の先生の名前の顔は
青で塗り 眼は緑の炎の形なんだと
その担任の先生が笑ってました


「私 嫌われちゃっているかな
成長してほしくて ちゃんとした 大人になってほしくて
きちんと 指導してますから・・・」



高校1年生は あっというまにすぎ
2年生では 修学旅行にも 無事いけました

2年生の終わりから
急激に三男はおかしくなっていきました

 

校1年生の時 自閉度が強めな6人が集められたクラスでした

知的程度はさまざま

自閉度だけで 作ったクラスで
大変なことになることを 想定して担任は3人とも実力ある先生でした

先生1人につき生徒2人 知的程度の重め軽め1人ずつ担当でした


だれかの奇声がだれかが辛く そのだれかの奇声がだれかが辛い
という しっちゃかめっちゃか


親たちは悩みが似ていることで すぐなかよくなれたクラスでしたが
このクラス編成は失敗とみなされ
1年で解体されました


担任の先生が 電話をよくくださっていましたが

問題点を話し合おうにも

どちらかに 三男がいて

三男は電話が苦手なので 話し合いは難しいのです


担任の相談のなかにでてくる内容に
「頭突き」というのが ちらほらではじめました


小4のときの 崩れは 学校、家 同じように崩れて行ったので
今回も 学校と家の様子は 同じくらいかと思ってました



「家では痛いことは しないのですが
先生への それは 痛いですか?
ひどくやってますか?  大丈夫ですか? すみません」

と言うと

「私 石頭ですから どうってことないです」

と言われ
その深刻さを私が はかりきれてませんでした

 

先生は先生で 親に不安を与えまいと思われていたのでしょう



話し合っても 理由はわからず

主治医も 判断材料が少ないわけですから

(担任から 聞いた話を つたえても そのどこに問題があるか

わかりにくい)

完璧な対策は考えられません

でも 一番の薬 「ゆるめてやってください」は

つたえてありました



みるたびに 申し訳ない気分になる本が1冊あります

それは コーヒーで染まってます

私は 休日の長距離ドライブのときは

助手席で 本を読むことが多かったのですが

(次男が2列目 三男が3列目に座ることが多かったのですが)

そのとき やたら 三男が 2列目に移動してきては

私のおなかを触ったのです

急に触るので びっくりして コーヒーをこぼしたのです


「お母さんが おなかでてきたと思って さわってるんでしょー」

と 私は笑うのですが 三男の目が真剣なんです

時々 ふっと 私を触る

痛くはないけど 強い力でした


それは 三男がくずれるまえのサインだったよう 思います

 

その気持ちがわかりきらなかった私を思い出すコーヒー色の本です




やがて 三男は なにか 食べると えずき始めました

学校でも とのことで

学校を休ませ 病院へ行きましたが(近所の普通の病院)

医者もどうしようもないですよね



みていて 胃の問題と 感じられず

全てのことを もっとゆるめて いこうと 判断しました


学校では 口に詰め込み過ぎるから ゆっくりと 指導したら

えずきは 落ち着いてきたとのこと



口へ 食べ物を押し込むのも

バスで 立ち歩くのも

今 振り返れば 同じ種類のものだと わかります




スケジュール消化をあせっているのです





当時はまるきり 違う問題に 思え


つながりを見いだせず

単発で いくつもの問題がおこっている気がしました


だけど 全部 同じ種類のものだったのです


大きな問題ではないことが 群発し

それが 段々 大きくなっていきました



そして

高校2年の2月 担任が 急に

三男の 薬の量をふやしてくれと言ってきました

まだ 家庭では たいした問題はなく

三男には笑顔もある状態でした


つづく

 

 

 

 

 

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