「ARE」の瞬間!1985 | 土谷多恵子のRADIO DAYS

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業界歴ン十年の(笑)土谷多恵子が、目にし耳にした放送裏話や、古今東西洋邦問わず、音楽についてのウンチクをご披露します。ついでにABC「ドキハキ」のことも・・・・

おはパソ、ドキハキ、朝からタイガースの「ARE」の瞬間が何時になるかで話題沸騰!
 
それを聴きながら、
1985年10月16日神宮でのあの瞬間からの翌17日にかけての朝日放送のテレビラジオのお祭り騒ぎ、準備の段階から放送終了までの顛末を懐かしく思い出しています。
私は道上さんとラジオもテレビも全てに出演しました。
 
まず、ラジオから。
 
実は、abcラジオは阪神優勝がかかるこの神宮のゲームを生中継していましたが、10月に入っていましたので全国的には秋編成の番組がスタートしていました。
私はTBS系列局のネット番組を小林繁さんと始めていましたから、ABC以外の系列局に向け、裏送りの生放送を優勝の瞬間の直前9時まで他のスタジオからしていました。
 
9時に終わるや、隣のスタジオで優勝の瞬間を待つ道上さんや阪神ファンのタレントさんたちと合流しました。その瞬間、私は号泣でした。
いつまでもその号泣話を道上さんはネタにしていたぐらい、ワッーって泣いてしまいました。
 
優勝の胴上げやセレモニー終わりで、abcラジオの第二スタジオから優勝特番がスタートしました。
 
そして、日付けが変わる頃テレビに移動。
ニュースステーションの終了を待ってテレビの特番が始まりました。
テレビは
道上さん、黒田さん、土谷の司会で朝までの生特番でした。
道上さんはおはパソのために3時に解放されましたが、私と黒田さんは5時半頃まで。
 
ABCだけでなく、各局朝までやってたのではないでしょうか?
 
準備段階で、9月の半ばぐらいから、タレントさんの取り合いがあったり、大騒ぎでした。
 
大阪のあちこちに各局中継に出ていました。
朝やお昼のレギュラー番組を担当のお馴染みのアナウンサーやタレントさんが総動員で街のレポートに繰り出して中継していました。
あの日の大阪は眠らない街でした。
 
朝、テレビが終了し、その後、ラジオのおはパソが甲子園のアルプススタンドでファンを入れて生放送をしたので、私はそれに間に合うように、春蝶さんや安達治彦さんと甲子園のアルプスをめざしました。
アルプスには何百人のファンのみなさんが集結して、阪神の応援団、ゲストの阪神ファンのタレントさん、そして、タイガースのレジェンド初代ミスタータイガースの藤村冨美男さんをお迎えし、賑やかに楽しい放送でした。
もちろんみんなで六甲おろしの大合唱です。
忘れられません。
 
その後午後2時から4時まで私は、「歌謡曲ぶっつけ本番」の本番がありましたので、休まず出続けた
16日から17日でした。
本当に楽しい1日でした。
 
私の宝物です。
 
日本1になった時、そしてそのオフの顛末はまたの機会に❗
 
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